口裂け女さん、カシマさんと並び個人的気になる都市伝説三大女性の一人、牛面人身の牛女さん。
牛女の伝承は西宮市の甲山近辺に集中していますが、噂の元を辿れば芦屋から西宮市一帯が空襲で壊滅した時に、ある牛の場があって焼失したそうです。
そこには座敷牢があって中には牛頭の娘が閉じ込められていたという噂があり、その焼け跡に牛女が現れたことを地元の新聞が掲載したことが、そもそもの発端になったので、筋道的には西宮市街が発祥であるにも関わらず、牛女伝説は何故に甲山周辺に点在するのか?この疑問をどう解く?
ということで、牛女出没の噂が流れ始めて数十年になるという甲山すぐ近く、六甲山鷲林寺に向かいました。
それまでは静かな寺だった鷲林寺が昭和57年頃から夜中に若者がやって来て肝だめしをし始めたそうで、月日が経つにつれ、その数は増えていき、あまりにもひどい時は警察にお願いしたこともあったそうで、注意した若者に話を聞くと、鷲林寺のことが某週刊誌に掲載されていて、境内にある荒神の祠の回りを3周すると牛女が追いかけて来るという内容だったそうです。
どうやら読者の投稿記事を寺の断りもなく無断で掲載したでたらめな記事を見て噂はどんどん広がっていったようです。
荒神の眷属として祠の両脇に牛を祀ってあり、その牛が牛女だと誰かが言った一言が要因となり(荒神社に牛を祀ってあるのは珍しいことではないのですが)、最終的に週刊誌に掲載されたことで一気に広がってしまったという経緯があったみたいです。
牛女の噂はさらに独り歩きしだし、荒神から本堂下に八大龍王を祀る洞穴へと移行していきますが、この洞穴は戦国時代に織田信長によって焼き打ちされた折の兵火から逃れるために、鷲林寺のお坊さんが有馬まで穴を掘って逃げ延びたといわれるもので、現在は10m程でせき止められています。
何故、この洞穴に牛女が住むと言われだしたのかはわかりませんが、実際は牛女とは何の関係もないわけです。
夜中の肝試し訪問者が、面白半分でその洞穴に入り奇声を発するので入れないように鉄柵を取り付けたそうですが、それがかえって逆効果を招き、「牛女が出れないようにするための鉄柵」となってしまう。今はその鉄柵は見られません。
鷲林寺の住職さんは夜の訪問者に対しての悩みが尽きず睡眠不足の日が続いてノイローゼ状態になったそうです。
そんなある日、「牛女は残念ながら引越しされました」と冗談のつもりで山門入口で看板をだしたところ、夜中の訪問者の数は激減し、静かになったのです。
余談ですが、ある日寺務所に男性が訪ねてきて、牛女はどこに引越ししたのかと問い合わせされて、思わず「東北地方と聞きましたが」と答えそうで、「東北地方か。遠いな。せっかく来たのにな」と言い残して帰っていく姿が印象的だったと住職さんは述べています。ちなみにその男性とは俺ではないのであしからず(笑)。
怪異趣味で寺社を訪れたり、目的はどうあれ、自分もこうやって実践している一人ですから、偉そうなことをいうつもりはないのですが、それ相応のマナーを守ることはやはり必要不可欠ではないでしょうか。
住職さんはいつかこの噂が消滅して一日も早く静かな鷲林寺になることを願っているそうで、どこか後ろめたい思いを持ちつつ、鷲林寺のレポを終わります。
火炎を吐く大鷲を桜の霊木に封じ込め、その木で本尊十一面観音と鷲不動を刻んだことが寺名の由来だということです。
牛女の伝承は西宮市の甲山近辺に集中していますが、噂の元を辿れば芦屋から西宮市一帯が空襲で壊滅した時に、ある牛の場があって焼失したそうです。
そこには座敷牢があって中には牛頭の娘が閉じ込められていたという噂があり、その焼け跡に牛女が現れたことを地元の新聞が掲載したことが、そもそもの発端になったので、筋道的には西宮市街が発祥であるにも関わらず、牛女伝説は何故に甲山周辺に点在するのか?この疑問をどう解く?
ということで、牛女出没の噂が流れ始めて数十年になるという甲山すぐ近く、六甲山鷲林寺に向かいました。
それまでは静かな寺だった鷲林寺が昭和57年頃から夜中に若者がやって来て肝だめしをし始めたそうで、月日が経つにつれ、その数は増えていき、あまりにもひどい時は警察にお願いしたこともあったそうで、注意した若者に話を聞くと、鷲林寺のことが某週刊誌に掲載されていて、境内にある荒神の祠の回りを3周すると牛女が追いかけて来るという内容だったそうです。
どうやら読者の投稿記事を寺の断りもなく無断で掲載したでたらめな記事を見て噂はどんどん広がっていったようです。
荒神の眷属として祠の両脇に牛を祀ってあり、その牛が牛女だと誰かが言った一言が要因となり(荒神社に牛を祀ってあるのは珍しいことではないのですが)、最終的に週刊誌に掲載されたことで一気に広がってしまったという経緯があったみたいです。
牛女の噂はさらに独り歩きしだし、荒神から本堂下に八大龍王を祀る洞穴へと移行していきますが、この洞穴は戦国時代に織田信長によって焼き打ちされた折の兵火から逃れるために、鷲林寺のお坊さんが有馬まで穴を掘って逃げ延びたといわれるもので、現在は10m程でせき止められています。
何故、この洞穴に牛女が住むと言われだしたのかはわかりませんが、実際は牛女とは何の関係もないわけです。
夜中の肝試し訪問者が、面白半分でその洞穴に入り奇声を発するので入れないように鉄柵を取り付けたそうですが、それがかえって逆効果を招き、「牛女が出れないようにするための鉄柵」となってしまう。今はその鉄柵は見られません。
鷲林寺の住職さんは夜の訪問者に対しての悩みが尽きず睡眠不足の日が続いてノイローゼ状態になったそうです。
そんなある日、「牛女は残念ながら引越しされました」と冗談のつもりで山門入口で看板をだしたところ、夜中の訪問者の数は激減し、静かになったのです。
余談ですが、ある日寺務所に男性が訪ねてきて、牛女はどこに引越ししたのかと問い合わせされて、思わず「東北地方と聞きましたが」と答えそうで、「東北地方か。遠いな。せっかく来たのにな」と言い残して帰っていく姿が印象的だったと住職さんは述べています。ちなみにその男性とは俺ではないのであしからず(笑)。
怪異趣味で寺社を訪れたり、目的はどうあれ、自分もこうやって実践している一人ですから、偉そうなことをいうつもりはないのですが、それ相応のマナーを守ることはやはり必要不可欠ではないでしょうか。
住職さんはいつかこの噂が消滅して一日も早く静かな鷲林寺になることを願っているそうで、どこか後ろめたい思いを持ちつつ、鷲林寺のレポを終わります。
火炎を吐く大鷲を桜の霊木に封じ込め、その木で本尊十一面観音と鷲不動を刻んだことが寺名の由来だということです。
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