Nonsection Radical

撮影と本の空間

飛蚊症

2015年10月16日 | Weblog
飛蚊症って症状がどういうものか、ネットとかで画像を見てもよくわからなかったんだな。
そういうものがあるんだぁって程度で、大変だなぁと思っていたわけ。
一方、眼の表面の涙膜を移動する糸くずとかってずっと昔から認識していて、まばたきするとそれにともなって上下したりするんだけど、まあゴミも入るよなと思っていたわけ。
でもどうやらそれが飛蚊症のようなのね。
そんなのあまりにも昔からあったので、そういうものだと思っていたんだけど、気になる人は気になるのね。
なんて流暢なことを言っていたんだけど、今日の仕事は超ハードで、眼がショボショボするぐらいだったんだけど、急に目の前に糸くずゴミが現れたのね。
ああ飛蚊症ダァと思ったんだけど、こんなにハッキリと意識できたのは初めてで、いつまでも気になって仕事に支障をきたしたぐらい。
疲れているんだなぁと思ったけれど、休みなく働き通し。
それにしても飛蚊症って40年ぐらいつきあっているけど、そういうものじゃないの?
どっちかって言うと気分症の方が問題が多いと思うけどな。



楢葉町の街並み 13
福島県双葉郡楢葉町井出西原
撮影 2015年9月20日 日曜日 13時10分


八幡山城下の街並み 10
滋賀県近江八幡市大杉町
撮影 2015年3月21日 土曜日 12時20分
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おでんは味気ない

2015年10月15日 | Weblog
今夜の”おかず”はおでん。
おでんでご飯を食べるのだ。
家人は好きなようだが、あたしはどうも味気なくて嫌だ。
おでん単体で食べるのならその味でもイイのだけど、”おかず”にするのならもう少し”こってり”している方がいい。
それで鍋をつつきつつ、どんな味がいいかなと考えたのだが、意外と思い浮かばないものだ。
カレー味のつゆとかキムチ味のものとか考えてもピンとこない。
それならいっそ何かをつけてと、マヨネーズをつけてみたら案外あっさり。
それよりも、果肉の柔らかい酸っぱい酸っぱい梅干とマヨネーズを和えたものの方が美味しかった。
何をしているんだと思われるだろうが、なんとかおでんをこってりさせておかずにしたいのだ。
そうじゃないと冬の鍋物がつらくなるのだ。
おでんはおかずじゃないよ。



楢葉町の街並み 12
福島県双葉郡楢葉町井出木屋
撮影 2015年9月20日 日曜日 13時05分


清水駅前銀座商店街 2
静岡県静岡市清水区真砂町
撮影 2014年12月27日 土曜日 16時45分
コメント (3)
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擦り傷

2015年10月14日 | Weblog
我が家の10年落ちのボログルマは、満身創痍で、擦り傷凹みが全体を取り囲んでいる。
これは主に家人とムコ殿の”しわざ”なのだが、ついにその仲間入りをしてしまった。
バックで入れるのはあまり好きじゃなくて、正常位  ああああそういう下品な話ではないのだった、クルマの車庫入れの話ですから!
バックで入れるのはあまり好きはないので、だからこそ慎重に操作するのだけど、今日は特別にスムーズに入り、あと少しというところでギギギギギギギと嫌な音が。
左前方を見るが、門柱とフロントポールの感覚は狭いけれど接触はしていない。
入れ直すかぁと前進すると、さらにギギギギギギギと嫌な音が。
これは何かの陰謀であると直感し、ライトをつけたまま下車して左前方ボディを確認。
フェンダー下部に盛大な筋が!
門柱を見ると、門柱から突き出た蝶番に赤いペイントが(ちなみにこれまで赤いクルマしか乗ったことがない)。
すぐさま門柱の蝶番の陰謀であることに気がつき、応急対策として指で傷跡をこすってみたがザラザラするのみ。
明日になったら消えていることを願って家に入ったのでした。



楢葉町の街並み 11
福島県双葉郡楢葉町井出木屋
撮影 2015年9月20日 日曜日 13時00分


横浜中華街 上海路
神奈川県横浜市中区山下町
撮影 2014年12月30日 火曜日 17時40分
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唐変木

2015年10月13日 | Weblog
自分で自覚しているのです、唐変木と。
あのさぁ、東京オリンピックでも思ったんだけど、どうしてロゴマークとかポスターとかが必要なの?
ついでに五輪音頭2020年バージョンとかも作るんでしょ、きっと。
話を広げれば、どうして”音頭”じゃなきゃいけないのかとかも。
まあそれは置いておいて。
何かする時に、必ずロゴマークとか、ポスターとか、イベントとかって決まりごとのように用意するけど、どういうわけなんだろうね。
なくてもいいし、あっても既存のものを使えばいいじゃないのさ。
それに、日本の場合だと、選手のユニフォームとかって用意するし、そもそも「選手団」ってなんなのさ。
選手はわかるけど、「団」って何?
その選手団が”結団式”とか”解散式”とかってするけど、どうして”式”が必要なのかわからない。
どうして団体で集まろうとするんだろうね。
そんなものなくても困ることもないし、ないから成績が振るわないなんてこともない(はず)。
あったら笑うよな。成績が悪かったのは団体行動をしなかったからです、なんて大のオトナがいうわけないよな。
そうやって決まりごとのようによくも考えもせずに同じことを繰り返している結果が、スタジアムやロゴやポスターが間に合わないんじゃないの?状態に陥ってしまう原因なんじゃないのかね。
結局すったもんだの末にようやく開催にこぎつけるというパターンなんだろうけど、そのすったもんだも終わり良ければすべて良しと責任問題も起こらず水に流す伝統でごまかすんだろうなぁ。
そして問題にするのはメダルの数だけ。
あとは感動をありがとうの感情論だけ。



龍田神社
福島県双葉郡楢葉町井出上ノ岡
撮影 2015年9月20日 日曜日 12時40分


常磐線 いわきー草野
福島県いわき市
撮影 2015年9月20日 日曜日 10時50分
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面倒くさがり

2015年10月12日 | Weblog
面倒くさがりの一言に尽きるのだけど、何かをする場合に、やっても何の意味もない場合に、それならやる必要などないじゃないかと”常識的”に考えてしまう。
たとえば、何の意味も効果も発展性もない統計調査とか。
それを誰も活かすこともなく、ただ発表させるだけの行為が統計を活かす活動という名目で継続されていくことに、一言「無駄」だと思うのだけど、この調査から何がしかの傾向をつかんで改善に活かすという発想が上にあることは理解できても、そんな集団ではないという”現実”を理解すれば自然と”無駄”だと思うものなのだ。
現状肯定だけでは発展もなく、面白くもないのだけれど、何か活動をしたらそこから新たな発展があるなんて甘くもないと思うんだけど。
そういう”無駄”なことをやらされることになると、非常にテンションが下がり、それでもやって、やはり何も変わることも活かされることもなくスルーされるごとに「バッカみたい」と思ってしまい、つまんないことをしているなぁと自責の念にとらわれる。
そもそも超一流の学問を習得したエリート達が行なうロケット発射とか経済政策とか、プロジェクトとかがとんだ大失敗なんてことがザラにあるのに、シロートがイイ加減な感じで調査して、そこから何か改善点を導き出すなんてことができると思う方がどうかしているよな。
そんなことで改善されるなら、世の中ずっと以前に良くなっているさ。
そんなこともわからないのかねぇと思うから、面倒だなぁという気持ちでいっぱいになるんだよなぁ。

ああ、あと発表することが目的だけのプレゼン資料作りなんてのも全くの無駄だよなぁ。
プレゼンしてどうかするとかの前に、さっさとやってしまえばいいじゃないのさ。
そんなプレゼン誰も役に立つとは思っていないのに、そういう場を設けることが当たり前という風潮に染まっているんだよなぁ。
幼稚園のお遊戯会と一緒だね。



楢葉町の街並み 10
福島県双葉郡楢葉町井出木屋
撮影 2015年9月20日 日曜日 12時50分


八幡山城下の街並み 9
滋賀県近江八幡市新町1丁目,大杉町
撮影 2015年3月21日 土曜日 12時15分
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