若くから、職を転々としてきた。
話せば長いが、話したい。
誰に?
自分自身に・・・。
前職を退職したのは、一昨年、3月31日のこと。
2年の失業期間を経て、37回目の面接でようやく就業できた職場であったが、
事業縮小により、退職を余儀なくされた。
過去、もっとも長く、10年間の勤務。それなりに頑張った自分をほめたい。
その後、5カ月の失業期間を経て・・・。
さて、振り返れば、学校卒業と同時に就職した食品スーバーは、ひと月半で退職。
いわゆる、“けつわり”、辛抱が足りなかった。
その後、1年間のフリーターを経て、“ちゃんとした就職”が決まった矢先に入院。
せっかくの就職先であったが、入院にて採用取り消しとなる。
人生、もしもはないが・・・、映画じゃないから、やはり、もしもはない。
出たり入ったり、退院の後、しばらくしてから就業するが
勤務一年を経たところで、再発、入院、退職を勧告され、無職の病人に逆戻りとなる。
療養した後、二十代後半、彫金職人の見習いとなるが、半年で断念。
はたまた、挫折であった。
日常で、手先がちょっと器用だと言っても、本職には、全く通じない。音楽も同じ。
この頃、何をやってもダメなのかと、自己嫌悪な毎日を過ごしてたように記憶する。
一旦、就業することを断念して、職業安定所の勧めもあり、職業訓練校に入校することにした。
何となく、明るい兆しが見えてきたような気分になったのはよく覚えている。
修了後、気分新たに就業するが、しかし、これまた半年で退職。
書いてて、話が堂々巡り、我ながらうんざりしてきたが、
振り返れば、失業に次ぐ失業。
自信喪失と自己嫌悪の繰り返しであったことを思い出す。
二十代後半、何もかもどうでもいいような気分になりかけたが、就職活動を再開、
半年の失業期間を経て、三十手前に社会保険付きの就業を得た。
今一歩、一人前の社会人にはなりきれないまま、勤続5年を前に退職を余儀なくされた。
ただ、それでも、従来と比べて割と永く勤められたことに、
それなりに満足してたような気はする。
が、しかし、
満足もつかの間、あっという間に失業保険は切れ、一年を過ぎても仕事が決まらず、
面接に次ぐ面接、挙句、職安の担当者にも見放され、焦る毎日を過ごす。
スーバーの冷蔵庫の端、血の抜いていないタダみたいな値段の鶏肉は、不味かった・・・。
食事代さえままならないぎりぎりのところ、
失業2年、働くこと自体を半ばあきらめかけた頃、三十七回目の面接にて、ようやく決まったのが前職。
結局、そこも冒頭で述べた通り、一昨年の春、勤続丸10年となった矢先、退職を余儀なくされたが、
それは、それで仕方なかったと、今になっては思える。
振り返れば、全てが、何かに試させられていたような気がしないでもない。
その時、その時、全ての出来事は必然であったのだろう。
人生で、意味のないことはないのかもしれない。
むしろ、意味のないことほど、意味があるのかもしれない。
運命は、決まっているが、自分の人生は、それなりに自分で決めねばならない。
一見、矛盾しているが、運命も人生も、矛盾という小さな枠に収まるものではない。
そもそも、失業話で、人生論を語ることなど、おこがましいとは言えるが、
自分のブログの中で、ホザクくらい、許されてもいいだろう。
まあ、それはさておき、
5か月の失業期間を経て、昨年8月22日、現在の職場に就業できた。
勤続、今日でちょうど丸一年。
資格も取り柄もない、四十もかなり過ぎた新入社員。
採用してもらえたことに感謝しなければならない。
もちろん、感謝している。
この一年、色々あるような、ないような毎日。
五千円の偽札が出た時は驚いた。
発見した銀行も無責任極まりない、単なる不良品として突き返すだけ。
届出した警察からは、額面以上の謝金が出た。
五千円の偽札は、警察に行けば、五千円以上で売れる?
警察といえば、
出勤したら、ドアの前を陣取る男たち。
令状を見せられ“がさ入れ”されたのには驚いた。
エトセトラエトセトラ
色々あるような無いような、ありすぎるのか???
明日から、就業二年目。
“さぼらずガンバりなさい”
要するに、それを自分に言い聞かせる必要があっただけ。
話せば長いが、話したい。
誰に?
自分自身に・・・。
前職を退職したのは、一昨年、3月31日のこと。
2年の失業期間を経て、37回目の面接でようやく就業できた職場であったが、
事業縮小により、退職を余儀なくされた。
過去、もっとも長く、10年間の勤務。それなりに頑張った自分をほめたい。
その後、5カ月の失業期間を経て・・・。
さて、振り返れば、学校卒業と同時に就職した食品スーバーは、ひと月半で退職。
いわゆる、“けつわり”、辛抱が足りなかった。
その後、1年間のフリーターを経て、“ちゃんとした就職”が決まった矢先に入院。
せっかくの就職先であったが、入院にて採用取り消しとなる。
人生、もしもはないが・・・、映画じゃないから、やはり、もしもはない。
出たり入ったり、退院の後、しばらくしてから就業するが
勤務一年を経たところで、再発、入院、退職を勧告され、無職の病人に逆戻りとなる。
療養した後、二十代後半、彫金職人の見習いとなるが、半年で断念。
はたまた、挫折であった。
日常で、手先がちょっと器用だと言っても、本職には、全く通じない。音楽も同じ。
この頃、何をやってもダメなのかと、自己嫌悪な毎日を過ごしてたように記憶する。
一旦、就業することを断念して、職業安定所の勧めもあり、職業訓練校に入校することにした。
何となく、明るい兆しが見えてきたような気分になったのはよく覚えている。
修了後、気分新たに就業するが、しかし、これまた半年で退職。
書いてて、話が堂々巡り、我ながらうんざりしてきたが、
振り返れば、失業に次ぐ失業。
自信喪失と自己嫌悪の繰り返しであったことを思い出す。
二十代後半、何もかもどうでもいいような気分になりかけたが、就職活動を再開、
半年の失業期間を経て、三十手前に社会保険付きの就業を得た。
今一歩、一人前の社会人にはなりきれないまま、勤続5年を前に退職を余儀なくされた。
ただ、それでも、従来と比べて割と永く勤められたことに、
それなりに満足してたような気はする。
が、しかし、
満足もつかの間、あっという間に失業保険は切れ、一年を過ぎても仕事が決まらず、
面接に次ぐ面接、挙句、職安の担当者にも見放され、焦る毎日を過ごす。
スーバーの冷蔵庫の端、血の抜いていないタダみたいな値段の鶏肉は、不味かった・・・。
食事代さえままならないぎりぎりのところ、
失業2年、働くこと自体を半ばあきらめかけた頃、三十七回目の面接にて、ようやく決まったのが前職。
結局、そこも冒頭で述べた通り、一昨年の春、勤続丸10年となった矢先、退職を余儀なくされたが、
それは、それで仕方なかったと、今になっては思える。
振り返れば、全てが、何かに試させられていたような気がしないでもない。
その時、その時、全ての出来事は必然であったのだろう。
人生で、意味のないことはないのかもしれない。
むしろ、意味のないことほど、意味があるのかもしれない。
運命は、決まっているが、自分の人生は、それなりに自分で決めねばならない。
一見、矛盾しているが、運命も人生も、矛盾という小さな枠に収まるものではない。
そもそも、失業話で、人生論を語ることなど、おこがましいとは言えるが、
自分のブログの中で、ホザクくらい、許されてもいいだろう。
まあ、それはさておき、
5か月の失業期間を経て、昨年8月22日、現在の職場に就業できた。
勤続、今日でちょうど丸一年。
資格も取り柄もない、四十もかなり過ぎた新入社員。
採用してもらえたことに感謝しなければならない。
もちろん、感謝している。
この一年、色々あるような、ないような毎日。
五千円の偽札が出た時は驚いた。
発見した銀行も無責任極まりない、単なる不良品として突き返すだけ。
届出した警察からは、額面以上の謝金が出た。
五千円の偽札は、警察に行けば、五千円以上で売れる?
警察といえば、
出勤したら、ドアの前を陣取る男たち。
令状を見せられ“がさ入れ”されたのには驚いた。
エトセトラエトセトラ
色々あるような無いような、ありすぎるのか???
明日から、就業二年目。
“さぼらずガンバりなさい”
要するに、それを自分に言い聞かせる必要があっただけ。
私も頑張らねば。
人生において・・・
何かを失えば替わりに何かを得ている。
得をしたと思っていてもどこかで損をしている。
現世が恵まれない人は後世でいい思い(前世かもしれないが)
仕事に恵まれなかった替わりに得たものはありませんか?
時間?友人?奥様・・(おっと、独身だったっけ?)
貴方は他の人と少し違う体験をしたのです。その体験の中には人と違う何か得るものがあったはず。
まだ見つかっていなければこのブログを通して発見していってください。
どこかに置き忘れているかも知れませんよ。
そして・・
今から本番。遅くはない・・・
私の持論
こんな感じ・・・
落ち:(ちなみに私は宗教とは無縁です)
アチキも、そんな考えになれる男になりたい。(^^)v
のほほんと公務員とかしてる人よりROCKERじゃないか♪
私はGOは持ってまへん。
が、同じTSトレモロユニット搭載のブローラ―を持ってるんです。
GOというとゴダイゴの浅野孝己さんが使ってたGOⅢ-1500が欲しいんですよ。高騰してて買えませんがね(^_^;)