昔の映画を観ていると、いつの間にか、モノクロであることを忘れてしまいます。
ブレッソンの作品集を眺めていると、いつの間にか、写真であることを忘れてしまいます。
彼女を魅ていると、いつの間にか、人妻であることを・・・。
さて、人間の感覚というものは、時に現実をも越えるものですが、
個々、感覚の違いはあるものの、これらは、いずれも、想像の産物かと思われます。
そもそも、この“想像(=イマジネーション)”たるもの、
お偉い先生によると、
「知識という既知なるものと、未知なるものとの間にある空白のギャップを埋めるもの」で、
8つの種類があるらしいです。
“想像しなければ、創造できない。”
本日は、私の主観をごちゃ混ぜにしながら、
これらについて、少々述べさせて頂きたいと思います。
『想像』について
先ず、一つ目は、<日常的な想像>
例:「お腹がへった時に想像するご飯」など、
特別な高級料理は別として、実現することが案外容易い日常的にできる想像があります。
二つ目は、<共感する想像>
他人の言動から感覚を共感する想像です。
寒さに凍える人を見て、こちらまで寒さを感じるみたいな想像を言います。
三つ目は、<戦略的想像>
これは、マーケッティングリサーチとか、会社の経営戦略とか、そういう類のものかと思います。
四つ目は、<知的な想像>
「人生について」とか、「この国の行く末について」など、哲学的、政治的、ちょっと賢そうな
ことを考える時の想像かと思います。
五つ目は、<記憶の想像>
これは、経験や記憶、あるいは歴史的事実を再構築してする想像です。
六つ目は、<ファンタスティックな想像>
先にも書きましたが、昔の名作と云われる映画を見てますと、いつの間にかモノクロであることを忘れたりするものですし、
また、音楽を聴いたり、楽器を奏でたりしておりますと、誰しも、色や景色が思い浮かんだりすることを指します。
七つ目は、<夢という想像>
願望という意味と、寝ている時に見る無意識の表れという二つの意味合いがあるかと思います。
寝ている時に見る夢は、これこそ、想像というより、創造といった方がいいのかも知れません。
八つ目は、<感情的な想像>
これが、最も気持ちに関するものと思えます。ジェラシーに、過去も未来も現実も空想も関係ありませんが、
恋愛は、イマジネーションが影響する最たるものかもしれません・・・。
このように、一言に「想像」と言っても、いろいろな感覚がありますが、
分類されているとは言え、それぞれがリンクしており、
むしろ、これらが1つのまとまり、初めて「想像」が「創造」となるように思います。
私の思春期や青年期には、現代のようにインターネットなんてなかったし、
全てがあからさまにされた画像はもとより、
色々な情報にしても、簡単に手に入るものではありませんでしたから、
良くも悪くも、あれこれ想像したりイメージしたりしながら過ごせたように思います。
あたかも、全てが簡単に分かったかのような現代、
昔に比べると、想像すること自体が難しい時代なのかもしれません。
それだけに、こうした想像論に触れてみるのも、
何か意味があるのではないかと思い、書き留めてみました。
作詞や作曲の参考に、
バンドのイメージつくりに、
或いは恋愛に・・・。