新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

続・「頑張る」について…

2020-04-10 13:07:58 | 弁証法


「頑張る」とは、辞書には以下のように書かれています。

頑張るー
① 最後まで一生懸命努力する。
② 自分の考えを譲ろうとしないで主張し続ける。

人は、
どのような時・状態なら一生懸命に努力できるか?
どのような時・状態だと一生懸命も、努力もできないか?

また、
どのような時・状態に「自分の考えを譲らず主張する」か?
どのような時・状態なら「自分の考えを譲り主張しない」か?


ある人が、「頑張っている」時、
その人は、「何かを努力してやっている」。

その「努力してやっている何か」が正しいなら、
それは、当然に求める結果につながる。
求める結果が得られたなら、
普通それは更なる努力の糧となり得る。

ある人が、「頑張り続けていられる」なら、
そこには、納得できる結果が生じ続けている、だろう。

納得できる結果が得られない状態・時には、
人は、頑張りを諦めたくなる、だろう。

それでも、時・人によっては、結果が出なくても、
その努力を一生懸命に続ける場合もあり得る。

この場合は、
「結果の出ない一生懸命な事・努力」を
「引き続き一生懸命に努力」し続ける事になる。

言い換えるなら、
「初めの頑張り」を頑張り続けてやっている、
と言い得る。


「頑張って!」と言われて、嫌な感じを受ける場合、
それは、その頑張った結果に納得できていない、のだろう。

そんな時、頑張っている・その努力は評価しつつも、
その「一生懸命」の中身、その「努力」の中身の再考が必要である。

人は、日々生活している。
生活とは、食べ・動き・休むモノである。

食事・運動・労働・休息のバランスを無視しての、
「一生懸命」・「努力」が「頑張りすぎる」、
というモノなのだろう。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「頑張る」について… | トップ | 「弁証法」について… »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

弁証法」カテゴリの最新記事