新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
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tadaさんへ「概念の弁証法」について~

2024-05-28 12:01:18 | …弁証法…
tadaさんへ「概念の弁証法」について~


tadaさんに読んで欲しい!
tadaさんコメントが欲しい!



「概念の弁証法」という言葉を始めてアマゾン?ネットでのtada氏の投稿・記述で見た時、
良く分からずに更に、その意味・概念を知りたくネット検索したが…未発見…

しかたないので…自分勝手的に思ったのは、それって「認識の弁証法性」?!

その後、最近、どこかで南郷氏の「武道講義」の引用を見て・読んで…

今は以下のよう考えている。


~私から始まる「概念の弁証法」~

以下のような概念の変化・運動を意図的・目的意識的に行える・行うのが「概念の弁証法」

「具体」⇔「具象」⇔「抽象」


(一)私自由びと⇔67歳・男性⇔人間、
(二)人間⇔脊椎動物⇔動物、
(三)動物⇔生物⇔生命体、
(四)生命体⇔生命現象⇔地球上での地球・太陽の変化・運動(物体機能)…

これは、
「物体・物質の機能」から、今・現在の[私・自由びと]へ続く弁証法性の法則化(弁証法)
なのだろう…


↑~なんて…書いてみたけど…
読み方によっては、唯の「言葉の羅列」…
それでも…今後(可能なら)私の学問的な知識が、今より豊かになれで…
上記の、「言葉の羅列」が、より現実・対象に即した言語に変化・変換される可能性はある!

因みに~
(一) には、具体レベルの弁証法性があり、
(二) ・(三)には、具象レベルの弁証法性、
(四)には、抽象レベルの弁証法性…


それぞれ論理レベルの弁証法性があり、そのレベル内であれば、特に「概念の弁証法」の使用は不要。
「概念の弁証法」は、論理レベルの意図的・目的意識的な変化・運動を求める時に必要な弁証法なのだろう…


言葉の羅列には、その言葉を発した当人の認識内に、その言葉・記述に即した感情変化がない。
逆なら説くなら、その言葉・記述に即した感情変化・運動があれば、それは言葉の羅列できない。

ただし…その「感情変化」というモノが、
現代の社会的な「言葉・記述」によって生じるだろ感情変化が、多くの人々が納得し得るモノでないなら…
それは、当人にとつては正しい認識「言葉・記述」でも…
社会的には「言葉の羅列(認識)」になり得るのだろう…


ここまで書いて思い出しました!
認識は、頭脳の機能、
認識が「概念の弁証法」レベルの変化・運動をできるようになるには、
実体・頭脳は、五体・身体の変化・運動が、頭脳を変化・運動させている。
だから、日々弁証法的な生活を繰り返す事が必要である!という事なのだろう。


そうそう…認識の弁証法とは、
日々の弁証法的な生活・習慣の繰り返しで、
頭脳の無意識・本能的な変化・変化・運動が弁証法性を帯びた・弁証法的な変化・運動性へ変化した。


無意識レベルの弁証法レベルの変化・運動性を、己の弁証法を駆使して、
目的・意識的に、求める対象の変換・創造・結果を可能にし得る、のだろう。


という事は~
普通レベルの認識・機能が、
弁証法的な弁証法レベルの変化・運動性へ量質転化化して、
それを法則化したのが「概念の弁証法」…

書かれた法則は、言葉・言語の中から
その実体は、その人物の認識・頭脳の法則的な変化・運動性~




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