以下は昨年の記事である。
今年は昨年よりも一ヶ月も早く、
二月の初めから、猛烈痒みに襲われた。
そして、昨年と同様に掻いて掻いて、
腫れて痛くなって…
やっと決心して、掻くのを止めようと…
そして、また同じような事を同じように考えた。
花粉症の克服法 2019-03-19 12:43:37 | 弁証法
花粉症の克服は簡単である。
それは、痒くても搔かない。
搔かずに我慢し続ける。
ただ…それだけの事である。
これは私の実体験による解決談である。
三月の七日辺りから、非常に目が痒くなった。
我慢できなくなる程に…。
そこで搔いて搔いて搔くまくった。
その掻きまくった理由は、
搔くと下腹部・腹の底から快感が湧いてくるから。
その結果、なんと目が腫れて痛みを感じるようになった。
その痛みの為か…気付くと痒みが消えていた。
しかし、数日経つと、腫れがひき、また痒くなった。
そこで、快感を求めて、再び搔き始め搔きまくった。
でも、その時は、タオルを使って肌に優しく搔いた。
結果的に腫れも少ない。
でも…痒みは続くようになった。
その痒みは、断続的であり、搔いて痒みが取れても、
少し経つと、再び、痒みが襲ってくる。
その時、身近にタオルがあれば良いが…
ない時は、搔くと目の周りの皮膚が痛くなる。
そんなこんなの繰り返しの中で、
目の痒みが消えている僅かな時間の継続を求めたくなった。
そこで、十七日の日曜の朝、
起床してテーブルに座っている時の、
突然の猛烈な痒みに対して心を決めて、
我慢する事を始めた。
猛烈に痒い(これを搔くと超快感)…でも我慢する!
そんな我慢の時が続いた。
すると…突然その痒みが消えた。
そう~我慢を続けると痒みが消える体験をした。
でも、今まで我慢しよう!と思っても、搔いてしまっていた。
それなのに、何故に今回は我慢できたのだろうか?
それは、我慢の仕方が違う。
正確に書くなら、我慢している時の『思い』が違う。
我慢できなかった時の私は、
痒くなると脳裏に浮かぶのは、搔いた時の快感である。
その快感を想いながら、我慢しようとしていた。
結果は、我慢できずに搔き始めた。
でも、十七日の朝は違っていた。
痒みに襲われた時、視ていた録画を停止して、
それこそ歯をぐっと食いしばって痒みに耐えた、のである。
その結果、我慢すれば痒みが去る事を体験・実感した。
少し経って、また痒みに襲われた時は、
今度は、歯を食いしばる事なく、
ただ…我慢して、痒みが去った時の事を思い出し、
その想いがブレないよう努力した。
その次は、肩の力抜いて、楽に痒みを感じつつ、
これは消える、待てば消える…そんな想いを描いた。
そんな繰り返しの中で言える事は、
以前の私が、痒みを我慢できなかったのは、
搔いた時の快感を求めていたからである。
以前の私は、花粉症などない!
それは、「俺自身の認識の問題」と思い込もうとしていただけで、
具体的に、どこが、なにが、どう問題であるかが、分からなかった。
でも…今年の私、今回の私は、昨年までとは、一味違っていた。
師範の「夢講義」に書かれている。
花粉症は認識の問題である…と。
花粉による痒みは事実なのかもしれない。
でも、痒みを感じる要因は人体側にある。
また、例え痒くても気にせず、搔かなければ、花粉症ではない。
痒くて我慢できず、搔くから、搔く事で
日常生活に支障が起こるから、「花粉症」なのである。
以前に「心に青雲」ブログで、
「花粉症止めなさい!」と内容の記事があった。
それは、師範が搔いていた弟子を叱り飛ばし、搔く事を止めさせた…
そんな内容だったと思う。
この方法が成功するか、失敗するかは、
その弟子の師範への信頼感の強さ次第であろう。
師範の叱りを全身で受け止め、絶対に「搔くのを止めよう!」と思えるか…
搔きたくて搔いているのではない、花粉症だから無理無理…と思ってしまうか…
動物も人間も快感を求める
しかし、求める快感の内実・中身に相違がある。
動物の快感は、本能的なモノで一重であるが…
人間のは、、本能的と認識的の二重性が考えられる。
上記の私の場合は、
一重の快感、
花粉症の痒みに遭遇、
(痒いのを搔くと快感)、
だから搔く搔きまくる。
二重の快感、
痒い
(搔くと快感)を思い、
(搔いた後の不快感)を思う。
そして、搔いた時の快感ではなく、
搔いた結果の不快感を避けられた時の
快感を求めて搔かない
ここでの快感の二重性とは、
一つ、その行為の過程で得られた(快感・不快感)と、
もう一つ、その行為の結果生じた状態に対する(快感・不快感)を思う事の二重性である。
「痒い」⇒「搔くとき感じる」快感、「搔かないと痒みを我慢する」不快感。
「搔いて腫れた」⇒「痛い」不快感と「痛くて痒みを感じない」快感。
体験で得た結果とは、
花粉症の
痒みは、搔いても搔いても、また痒くなる。
搔き続けると肌が腫れる・痛い。
搔かずに我慢できれば、痒みは止まる。
それでも、また痒みに襲われる。
それを我慢すれば、また消える。
我慢を続ければ、肌は腫れない・痛くない。
上記のような花粉症の克服に至るまでに…
私は、何十年の歳月を費やした事か…
もっとも…毎年・毎年、この事ばかりを考えていた訳ではない。
弁証法・認識論・哲学・学問を師範の著書に学び続けたからの結果である。
まあ~これはこれで私的私だけの自己満足ではあるが…
それでも、昨日も今日も…数週間前の私同様に、
痒くて困っている家内を見ていると優越感を少々感じているのも事実である。