事実とは、
実際に現実にあった・起こった物事、
実際に現実にある・起こった物事。
論理とは、物事の性質。
事実とは、・言葉・言葉の表現ではなく。
それは、現実で実際にある物・あった物。
それは、現実で実際に起きた事・起きている事。
以上が、端的な事実と論理である。
ならば…論理的事実とは?である。
例えば以下の記述は事実の正確な表現だろうか?
「机の上に万年筆がある」
これは正確な事実の表現ではない。
事実を正確には表現するなら以下であろう。
机の呼ばれているモノの上に、万年筆と呼ばれているモノがある。
更に、より正確に書くなら以下であろうか…
「机」というの性質を持っているモノの上に、
「万年筆」という性質を持ってモノの存在がある。
以上から言える事は以下である。
端的な事実は、「モノの上のモノがある」、となる。
論理は、
机と呼べるモノの持っている「机的な性質」、
万年筆と呼べるモノの持っている「万年筆的な性質」の事である。
ならば、論理的事実とは?
それが、「机」という表現であり、「万年筆」という表現であり、
それらの状態を「机の上に万年筆がある」という表現である。
ここから分かる事は~
我々は、事実を事実として表現していない。
我々は、事実を、論理的に把握して表現している。
この論理的表現された・されている表現を論理的事実と呼ぶのだろう。
事実はシンプルである。
○○と呼べる「モノ」がある・あった。
××と呼べる「コト」がある・あった。
例えば、「〇〇がない」という表現について…
これは、事実でない。
事実は、
「私が求めているモノがない」
「私の頭脳・認識内にあるモノがない」
「目の前にあるモノは、私の頭脳・認識の中にあるモノではない」
これは、
「〇〇がない」ではなく、
「○○とは別のモノがある」となる。
実際の現実には、
「ない」はなく、「ある」だけがある。
それでも、人間が自ら認識で外界に問い掛けた時、
そこには、元々はなかった筈の「ない」が生まれる。