新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

壁を越える…

2021-05-09 12:41:08 | 悟りシリーズ

ゴールデンウイークからアニメ「キングダム」を見始め、
今日やっと、シーズン3の#5話まで見終わった。
第六話は、5月10日である。


アニメの中でよく使われている言葉…
と言うより私が意識した言葉に
「壁を越えてやる」とか、「超えるべき壁」…があった。

この「壁…」とは、天下の大将軍を目指している主人公の一人である童の「信」が
敵対する大将軍・軍隊との戦いで「…越えるべき壁…」と表現したモノである。

それらは主人公である「信」の行く道の前に立ちはだかった障害物…。
では、何故に「越えるべき壁」であって、「迂回すべき壁」ではないのか…

それは、その「道」によって決める

「天下の大将軍になる為の道を邪魔する壁」か、
「天下の大将軍として戦う道を邪魔する壁」か…


大将軍になるには、実力養成が不可欠である。
それには、強者との戦いを避けていてはダメである。
とは…言っても強者と戦って死ねば「道」は立たれる。


目の前に「壁」が聳え立った時、
先ず、すべきことは、「壁」を直視する事。
次に、己の「進むべき道」の再確認である。

例え…高く自分には越えられそうにないと思える「壁」であっても、
取り敢えず最大限の神経を使い「登る事を試みる」。
自力でダメなら、他力を借りてでも「登る試み」をする。

それでも、越えられない壁なら、壁をぶち破って進む。
壁のぶち破りなら、自力・他力・爆薬力…とあらゆる工夫もあり。

それでもダメなら…
一度退却して、道具・武器・爆薬…を揃えて再度の挑戦であろう。
もっとも…それだけの時間的猶予がある…ならばだが…

「天下の大将軍への実力養成への道」では、
避けていては実力養成にはなり得ない。
だから、何としても一度退却しても「壁は越える」べきモノ。


しかし、
「天下の大将軍の道」なら、敢えて「壁を越える」必要はなく…
「壁を越える」事が、唯一の勝利への道なら越えるべきモノ。



大将軍への道なら、実力養成が全て、
大将軍の道ならば、戦の勝利が全て。

「同じ壁」ても、目的の相違が
「違う壁」になり得てしまうモノ。





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