~読者の皆様~
♪♪♪新年あけましておめでとうございます♪♪♪
今年は、2018年、平成30年、戌年。
本日は、一月二日、元旦は昨日なので…
一日遅れのあけましておめでとう、です。
問い~何が「おめでとう」の?
答え~あけた事!
問い~何が「あけた」の?
答え~年があけた!
問い~どうして「年があける」と、「めでたい」の?
答え~また、生きて年を迎えられた、!
問い~どうして「年を迎えられる」と「めでたい」の?
答え~また一年生き延びた・生きられた、から!
問い~どうして「生き延びた」事が「めでたい」の?
答え~う~ん…難問・難解だ!
なんとか…説いて・解いてみよう~
一つ、
人間のスタートは「生」であり、
そのゴールは「死」である。
一度ゴールした人間に、二度目のスタートはない。
もっとも…「生まれ変わり」を主張するモノもいるが…
仮に、人間として再度のスタート「生」があり得ても、
その二度目の「生」には一度目の記憶が無いのが普通である。
ならば、それは人間一般として二度目であっても、
個体的に人間としては初めての「生」になってしまう。
従って、人間生は二度でも、個人生は一度である。
また、現代社会は、生きていけるのが普通で当たり前、である。
しかし、過去には、疫病・戦争・食料不足…様々な理由・原因で、
生き延びるのが普通で当たり前でなかった時代が存在している。
そんな中、生きて新しい年を迎えられた事は、
「めでたい」モノであったのだろう…
だからといって…そんな生きいて普通・当たり前の現代で
ただただ…年を、新しい年を迎えられて「めでたい」でいいのだろうか?
それは、大いに良い事なのだろう~
それが、今にも死にそうな生い先の短い老人なら…
しかし、それは駄目であろう。
それが、若者、成長を望んでいる者なら…
人間の己が生きる事。
己が人間として生きる事。
人間が人間として人間らしく生きる事。
人間の己が人間として人間らしく生きる事。
このような生き方・人生を求めて達成しつつ、
新年を迎えられたなら、それは大いにめでたい事であろう。
さてさて…皆さんにとって何なのだろう?
「人間」とは?
「人間らしい」とは?
「己」とは?
その意味・中身・内実…が違えば、
言葉は同じ、でも…でも…である。