新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

認識と言語~(始まりの前)~

2023-10-26 18:18:30 | 新発見と新たな気付き
認識と言語~(始まりの前)~

10月17日 火曜日の事である。

五年男子二人が、音楽の交流授業参加の為に音楽教室へ行こうとしない。
特別支援学級の担任が、行くように催促するが…なかなか行かない。
私は、彼らの音楽交流授業へ参加は、支援員としての仕事・義務であったので…
彼らの感情に訴えかけようと…
色々な角度から、音楽・嫌な授業・面倒な事…
をやり通す意味・意義を私の過去の体験を元に説き続けていた…
この時、久しぶりの感情的な高揚感…を感じた。

最終的には、担任の説得と妥協(音楽教室の前で聞く事)で一件落着。

その音楽教室の前で授業を聞いている時に、
KO君が「音楽ではなく、授業中のクラスの私語の五月蠅さ・雑音が嫌い」である事を話してくれた。
そこから、彼の父親や家族の話聞く事ができ…彼の色々な家族への思い・感情を知った。



その後、彼が「○○先生(通常級での彼の担任)の殺気を感じていた」と言った。
私は『殺気とは…○○先生は怖い顔していた?』と思ったが…
彼は「先生の声が聞こえた…」と…私は『声で殺気が分かるモノなのか?』と思った…

そこで、私は「○○先生の意見・反応」を見たくて…
「○○先生!」「KO君が、先生の殺気を感じたって…」と伝えた。
すると○○先生は「殺気が感じるとは、KO君は凄いね!」と答えていた。

その後、教室へ戻る途中に、ふと~気付いた…
KO君の殺気は、「殺す気」ではなく、単なる「気配」である事を…
KO君は、○○先生が近くに来た事を、遠くで彼の声が聞こえる事から知り、「殺気を感じた」と表現した。

なのに…
私は、彼が音楽教室に入れない事に後ろめたさを感じ、
彼の先生に何か言われるだろう被害的な認識から「殺気」と言ったと解釈した。

これは、私が、KO君の「殺気」・言葉を、私の認識で理解して、
上記のように解釈して、いたという事であろう。


その人の言葉は、その人の認識の表現である。
また、認識には、理性的認識と感性的認識がある。

話し手が、怒りの感情で言った「馬鹿野郎!」と呆れた時の「馬鹿だね!」とでは、
同じ「馬鹿」でも、その言葉の感情・認識が異なっている。

当然に聞き手が、
自分が怒りの感情の際中に言われて・聞いた「馬鹿野郎!」と、
反省の気分の時に言われて・聞いた「馬鹿野郎!」とでは、
その感情・理解・認識は、大きく違ってしまうモノ…

この「気配」と「殺気」とでは、言葉としての概念レベルが違っている。

気配の種類に、殺気・正気・嘘気・本気…が含まれるのだろう。


以上~久しぶりの連続投稿だ!…と書いても前回の連続投稿の記憶がない…
となると…私は、無自覚的な嘘を書いているのか?

「久しぶり」の確信が無く、なんとなく「久しぶり」と書いている…事。






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