Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

追記: In memory of Satori (サトリを追悼して)

2016-08-16 15:07:29 | シャイロ・シェパード/Shiloh Shepherd
私のブログを読んで、某団体のAAA(動物介在活動)で私と一緒に活動をしていた方からわざわざを頂きました。
そのお一人の方は、実際にサトリと一緒に活動をして、リーダーとして色々とお世話になったYさんでした。
Yさんも愛犬が不治の病に侵され、辛い決断をされた経験がありました。
そのYさんがメールの中で、

「(その団体の)セミナーで[安楽死は飼い主さんができる最後のプレゼントです]と聞いていたので、その選択ができました。」

と書いてありました。

私の父が入院し、お医者さんから「どのような治療をして欲しいと考えているか」と、問われた時、母も弟も私も、延命治療は望まず、ただ苦痛は取り除いてほしいと言う考えを持って父を看取った経験があります。(幸いな事に最後まで父は病の為に苦痛を感じる事はありませんでした)
サトリに対しても、彼女の衰えをまざまざと感じるようになった頃から、同じ様に考えていました。
サトレラパパは、勿論考えるまでもなくそうでした。

でも、サトリを連れて行ったその日・・・
あと、1週間好きなようにさせてあげようと思ったその日・・・


その日が最後になってしまったわけです。
食欲もあったし、耳は遠くなっていたけれど目はまだしっかり遠くも見えていたし、ヨタヨタとだけど日陰に移動する事も出来てたし、違う病院で処方してもらった薬を飲んで少しは、よくなったようにも見えてたし・・・。
サトリがすべてを悟っていただろうことも病院で見てわかっていたけど、やっぱり本当にこれでよかったのか、よかったんだよね、って言う自分を否定出来なくて。

だけど、Yさんからのメールを読んで、ハッとしました。

「飼い主さんが出来る最後のプレゼント」
そうですね。家畜となった「犬」は野性の動物のように自分で死を選ぶ事が出来ない可能性は多いですよね。
だから、病院でのサトリの態度を思い返すと、サトリはやっと楽になれると思って静かに眠って行ったのかもしれない。
もう1週間好きな事をさせてあげてから・・・
と言うのは飼い主の満足だけであって、サトリはもう眠っていいですか?って言ってたのかもしれない。

あなたたちに出来る事はもう何もない
考えてみれば過酷な宣告ですよね

それでも、1日でも長く生きて欲しいって、その場しのぎの治療を続けて最後はうちで亡くなってたとしたら、それで
「ああ、よかった。
サトリの好きな家で看取る事が出来て。
これで飼い主の責任を果たす事が出来たんだ」

って思えただろうかと思うとそうでないと思う。
大事な私たちのサトリに最後のプレゼントをあげられたのならよかったと、今は思ってる。


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