日本時間の今日、24日、私の大事な友人の一人、留美ちゃんの告別式でした
彼女は会社を通じて知り合ったのですが、公私ともに私が会社を退職してからもずっと仲良くしてました。
会社に勤務していた時は、お互いに仕事上で気まずい思いをした事もあったけれど、仕事がかかわってやむをえなかtった、と言う事を彼女も、私も理解していたので、私が会社を辞めてから、前のように共通の友人達と夕飯一緒にしたり、カラオケへ行ったり、楽しい時間を過ごしました。
その彼女が、癌に侵されたと聞いた時は、信じられない思い出一杯でしたが、また、会社に復帰をすると言う強い意志を持って、辛い化学療法を受けていました。
私が、サトリとピーチのケンカで左の中指を痛めて、リハビリに励んでいた時にその話を聞き、お互いに頑張ろう!とメッセージのやり取りをして励まし合ってました。
退院をした、と聞いた時にはとても嬉しくて、私の一時帰国には会えると思っていたのに、具合がすぐれないから、と言う事で今度の私の帰国までには治ってるからね、と言うメールをもらいました。
でも、つい数週間前、意識不明で病院へ運ばれ、そのまま脳死状態になったと友人から伝え聞き、何とか奇跡が起こって欲しいと心から祈ったのに、留美ちゃんは一人で先に遠くへ旅立って行ってしまいました。
私はお通夜も告別式も参列は出来なかったけれど、最後のお別れをした友人達からのメールには
「留美ちゃんは、今まで通りの美人のままでした」
と言う内容がありました。
2月親戚のまだ11歳の男の子イーサンが旅立ったのが最初で、3月にはペーハがどうしようもない理由で我が家を離れ、5月に大好きだった甲府の叔父さんが旅立ち、6月は、私たちの大事なサトリを安楽死させる事になり、そして、8月は友人を見送る事になりました。
この半年間で、これだけの事を受け入れてこなしていかなくちゃいけないのは、いくら気丈に頑張ってる私でも、復活の時間が足りなかったです。
正直、今は結構へこんでます。
でも、世の中もっともっと辛く悲しくても頑張って生きている人たちもいるのだから、やっぱりいつまでもへこんでいられませんね。
今日のブログは愚痴ログになってしましましたけど、留美ちゃんが苦痛から解放された事を喜んであげたいと思います。とっても寂しいけれど。
知り合えて、友達になれて楽しかったよ。ありがとうね、留美ちゃん。
彼女は会社を通じて知り合ったのですが、公私ともに私が会社を退職してからもずっと仲良くしてました。
会社に勤務していた時は、お互いに仕事上で気まずい思いをした事もあったけれど、仕事がかかわってやむをえなかtった、と言う事を彼女も、私も理解していたので、私が会社を辞めてから、前のように共通の友人達と夕飯一緒にしたり、カラオケへ行ったり、楽しい時間を過ごしました。
その彼女が、癌に侵されたと聞いた時は、信じられない思い出一杯でしたが、また、会社に復帰をすると言う強い意志を持って、辛い化学療法を受けていました。
私が、サトリとピーチのケンカで左の中指を痛めて、リハビリに励んでいた時にその話を聞き、お互いに頑張ろう!とメッセージのやり取りをして励まし合ってました。
退院をした、と聞いた時にはとても嬉しくて、私の一時帰国には会えると思っていたのに、具合がすぐれないから、と言う事で今度の私の帰国までには治ってるからね、と言うメールをもらいました。
でも、つい数週間前、意識不明で病院へ運ばれ、そのまま脳死状態になったと友人から伝え聞き、何とか奇跡が起こって欲しいと心から祈ったのに、留美ちゃんは一人で先に遠くへ旅立って行ってしまいました。
私はお通夜も告別式も参列は出来なかったけれど、最後のお別れをした友人達からのメールには
「留美ちゃんは、今まで通りの美人のままでした」
と言う内容がありました。
2月親戚のまだ11歳の男の子イーサンが旅立ったのが最初で、3月にはペーハがどうしようもない理由で我が家を離れ、5月に大好きだった甲府の叔父さんが旅立ち、6月は、私たちの大事なサトリを安楽死させる事になり、そして、8月は友人を見送る事になりました。
この半年間で、これだけの事を受け入れてこなしていかなくちゃいけないのは、いくら気丈に頑張ってる私でも、復活の時間が足りなかったです。
正直、今は結構へこんでます。
でも、世の中もっともっと辛く悲しくても頑張って生きている人たちもいるのだから、やっぱりいつまでもへこんでいられませんね。
今日のブログは愚痴ログになってしましましたけど、留美ちゃんが苦痛から解放された事を喜んであげたいと思います。とっても寂しいけれど。
知り合えて、友達になれて楽しかったよ。ありがとうね、留美ちゃん。