小説 *ベンチ*

さわやかに残りの人生を生きたい。力を抜いて生きるほうがいいかも。
初夏の風の中で読みたい話、聞きたい話。

<七> 月の位置

2016-07-10 | 小説
これは贅沢すぎる。こんなに沢山のお湯を独り占めするなんて。月からの光が滑らかな水面に反射する。なにか聞こえないかと耳をすませてみたが、何も聞こえなかった。何の物音もしない、というのは不思議な事、なんだか落ち着かなくなって、手を動かして水音をたててみた。あまりにも「一人」というのはやはり落ち着かないというものなのだろうか。月というものがこれほどの情緒をかもしだすことを知らなかった。老人、といわれておかしくない年齢の日本人なのにだ。死んだ夫はどうだったろう。こんな露天風呂に入ったことはあっただろうか。二人で温泉に、なんて、まだこれからいくらでも、と、少なくとも私は思っていたけれど。五十代で死んでしまうこと、運命とはいえ、虚しすぎる。
三年間、夫のいなくなった家にひとりで暮らしたけれど、今この湯船の中にいて感じるような孤独を感じたことはなかった。何も考えずふらふらしたこころもちだったからだろうか。大きな浴槽、掃除のゆきとどいた石貼りの床、お湯の優しい感触、それらから私が感じるのは孤独だけだった。

あとから私もはいるわ、と言っていた洋子はなかなか現れなかった。この旅館は、全客室が「離れ」になっていて、それぞれに露天風呂がある。離れ同士がそう離れているわけでもないのに、ほかの客がないのか、設計が良いのか、じつに静かだった。貧乏性で節約家、ケチともいうが、そういう私が来るようなところではないのだが、洋子が行こう、と言った。彼氏は平日に温泉へは行かない、いや、行けない働き盛りだそうだ。温泉は、女同士が一番よ、と、腰の重たい私をそんなこともしてみたい気にさせてくれた。本当に三年のあいだ、ただ生きているだけだった。これといって特別なことなどなにもしなかった。時間をつぶしていたわけだが、退屈というわけでもなく、やっぱりふらふらとだ。ふらふらと生きていた、としかいいようがない。洋子は、私になにかを感じたり考えたりするきっかけを、と、何かを探している、そうらしかった。この湯船で私は孤独がはじめて身に沁みた。たった十分ほどの間に。なにかが私の中を走った。やっぱり人は一人では生きられないのかも。だれもが不意な孤独感に襲われる一瞬があるのではないか。そのとき、助け合える仲間がいたら?なにげなく見守りあうってできないだろうか。

洋子が現れた。お腹の脂肪もめだたず、なかなかのプロポーションではないか。私は一瞬気になって、自分の顎の下をつまんでみる。そういえば、「老い」についてもしばらく忘れていた。皺やたるみもどうでもよくなっていたことに気が付いた。「あら、蛙の声だわ」と湯の中の洋子が言う。え?カエル?「ずっとここにいて聞こえなかったの?」うん、聞こえなかった。私は、蛙の声もその時初めて聴いた。月の位置が少し変わった。

<六> 恋

2016-04-30 | 小説
夜が明けているのだろうか、なにかの物音がした気がして目が覚めた。家の中に人の気配か、と一瞬どきりとする。そうだ、洋子か。そのことに気づくのに数秒かかったか、よく眠っていたのかもしれない。わずかな音で目覚めるのはいつものことだが、昨夜のお酒のせいで、いくぶん眠りが深かったらしい。三年ぶりの再会で、ふたりともかなり高ぶっていた。もう起きたのだろうか。ほろ酔い気分で眠ってしまえる楽しい夜だった。もう昔のようには飲めない。わずかな量で酔ってしまうようになった。わずかな量で饒舌になった。けれど、昔のように、何を話したか覚えてない、などということはないし、台所を片付けてから、ちゃんと顔を洗い、着替えて寝た。年を取っただけなのだろうが、そんなことがなんだか大人になった気分。昔だったら、その場に眠るまで飲んでいたから。洋子といれば、3年前に会ったときのことなどすっとばして、さらに夫が死んだことも、いたことさえふっとばして、三十年前の心持になった。昔話、そう昔でもない話、そして今のことも話したけれど、気分だけは昔に戻った。

洋子が夫の部屋へ荷物を持ち込んでから三日になる。わさわさと転がり込んだその日はさすがに疲れたらしく、軽い食事だけで眠りこけていた。元気を取り戻すとパソコンに半日はりつき、そして出かけた。戻ってきたのが昨日。昨夜の酒盛りとなったのだった。やはり洋子の心情は、わたしには計り知れない。今になって恋なんて。なんてことだろう。私と洋子と、どこまでかけ離れているのだろう、なのにどうして時を越えてこうまで親しいのか、それを考えると不思議でたまらない。

恋の相手は十才年下の、出張中だった会社員だそうだ。きっと慣れない街で洋子に会って、緊張がほぐれてしまったのだろう。とにかく恋に落ちた、という気になっているらしい。十才年下、といったところで若くはない。大学生の子供がいてもおかしくない年齢。まあ、洋子の話が正しければだけど。二十才差だとしたらいいにくいかもしれないから。他人事、とはいえ、私もすこしは興奮する。他人事なので、無責任に詮索したくなる。そのために帰国?と、驚くばかりではあるが、洋子のうきうき感は隠せない。それは、私にも快く、救われる思いにも似た感情がわいた。

私もパソコンに向かう。『丸信太郎です』というEメールを発見した。そうだ、手紙を出してみたんだ。検索して見つけたその名前が、あの丸君だったのか、ちょっとだけ心臓が動いた、と同時にクリックした。

<五> 引っ越さないでね

2016-04-05 | 小説
そろそろじゃないか、とただ漠然と洋子のことが頭に浮かんだ。桜が咲いたからかもしれない。洋子というのは、十代のころからの友。友達の少ない私の、親友、といえるのか、同い年だ。四十才が近くなっても結婚せず、とにかく人生を楽しんでいるもの、とばかり思っていたが、あるとき突然、「アメリカに住むことにした」といって、いとも身軽に引越していってしまった。「引っ越す」は、私にとっては、家財道具を移動、家の中のものを箱に詰め、それをトラックに積む、という行程。洋子が「アメリカに引っ越す」といったときには、それって、どうやるの?と言ってしまった。その後の二十年のあいだ、私の暮らしは平凡で、地味で、夫が亡くなったこと以外にはたいした変化もなかったが、洋子のほうはどうだったろうか。まだインターネットがなかったころには、たまに電話がかかってきていた。手紙もときどきくれていたので、だいたいのことは想像できたけれど、口に出さない辛さも十分に察せられた。

ネット時代になって、メール交換もするようになっていたが、洋子は長い間帰国してこなかった。突然の帰国は、私の夫が亡くなってから初めて咲いた桜の時期だった。全く突然に我が家に転がり込んできた。事前の知らせ、全く無し。「今、成田」の電話。「もし連絡とれなかったら、様子見てまた明日かけてみようとおもった」そうだ。私は一人暮らしにまだ慣れていなくて、遺品を片付ける元気もだせないでいた。親友とはいえ、来客、となれば準備をしたいけど。洋子は私の家に来たいという。自分の判断、自分の意志で動く洋子。ふらふらと周りの人たちに生かされているような私。でも、思えばこのときの洋子の帰国はありがたかった。少しづつでも前進する仕方をおそわった。

三年くらい経つと日本が恋しくなる、と洋子は言っていた。そして三年が経ち桜が咲き始めた。案の定、メールが来た。「そっちに行くので、引っ越さないでね」。なんだ、なんだ、せっかく私は私の意志で今引越し準備中なのに。それに、引っ越そうという話はまだ誰にもしていないのだ。



<四> 四角い庭 

2016-03-16 | 小説
丸信太郎は、自分で淹れたコーヒーを飲んでいる。気持ちの良い日差しのなか、春の花が咲き始めている。マンションではあるが、一階を選んでよかった、と思う。四角い庭でも、低木を植える余裕があり、春になれば沈丁花が香る。足元には妻が植えた鈴蘭が増えて愛らしい。毎日通っていた大学へ行かなくてもいい、ということになると、はて、一日をどうして過ごしたものか。読もうと思っていた本がいくらでもあったが、なかなか思うようにはいかない。予定表には、ぽつぽつと講師の仕事に行く記述があったが、そのための下調べを済ませると、ずいぶんと家の中が静かに思えた。キッチンへ行き、コーヒーを淹れたのだった。

妻の智子は、その老いた両親の暮らしを心配して毎日のように実家へ行っていた。台所に立つ母があぶなっかしい、だの、おとうさんがときどきへんなことを言ってね、痴呆症が進んでいるらしいのよ、と、自分も若くないのに、それなりに頑張っているつもりらしかった。このマンションを選んだ一番の理由は妻の実家に近いことだった。子供たちが出て行って、この家は二人で住むには不経済、と、思い切って引越しを決行したのだった。家にいる時間が長くなった信太郎にかわって、妻は留守が多かった。それでも朝食だけはふたりで食べましょう、と、仕度をした。口数の多い夫婦ではなかったが、智子は、今年も咲きましたね、今年は花が少ないようですが、どうしたんでしょう、と、草花の話をした。庭のみえる食卓のおかげで、庭木や花のことなど気にも留めなかった信太郎も花の名をいくらか覚えた。妻が出かけたあとの家の中も信太郎は気に入っていた。自分が庭の花を愛でたり、季節の風を心地よいと感じたりすることが不思議で、そして新鮮な気がした。遠い昔にかかわった知人たちのことが思い出された。

ある日、信太郎が講師をしている女子大へいくと、「丸先生にお手紙、きてますよ」と封書を渡された。差出人の名に覚えがあった。高科ルナ(旧姓春田ルナ、東京都渋谷区出身)とあった。

<三> 三年間

2016-03-06 | 小説
その部屋を、私は「死の底」と思うようになっていた。眠っている人の肌は青白く光っているように見え、するっとして、蝋人形のようでもあり、一人で対面するのも怖い気がした。眠っているのは私の夫だ。突然倒れて眠ってしまった。その傍らにただ座り続けた。何も考えていなかったと思う。自分の顔に表情がないかもしれない、と洗面所の鏡の前で棒立ちになったが、鏡の中の自分の顔を覚えていない。無表情だろう顔に涙はいくらでもでてきた。「聞こえてるからはなしかけたほうがいい」、「楽しかった思い出なんかをね、話してあげて」といわれるが、とてもそんな気になれないのだった。世の中の夫婦って、そうなの?そんなことを正面から語ったりするの?今にも目を覚ますかもしれない、と一瞬一瞬緊張していたが、ひと月を過ぎるるころには、この人はもう死んでいるのではないか、という思いがつのった。薄情だろうか。こんな気持ちになるのは私だけだろうか。死の底、と感じるようになってからも、私は病室に座り続け、夫は眠り続けた。やっぱり私はなにも考えていなかったのだと思う。楽しかった思い出なんて、ぜんぜん思い出せなかった。半分開いた口、息をしているようではあった。死の底へ吸い込まれそうな気がした。

夫が本当に死んでしまってから、いろいろなことを思い出した。「同時に死ねたらいいね」と本気で言う人だった。それは無理ね、死に方は選べないのよ。わたしは痛くなければそれでいいけど。できたら介護なんてされないうちに死にたいわ、というと、女はロマンがない、と新聞のむこうに顔を隠した。ときには煩わしさも感じながら暮らしたけれど、別れたいと思ったことは無かった。お互いを補い合って、静かに、他人に迷惑をかけないように、が基本だった。そこにいた人がいなくなったことを意識しなくなるのと、夜毎に流れた涙が止まるのと、どっちが先だったか。ふわふわと生きていた時期は三年間。一人の生活にリズムができるよう、自分に厳しく、ふわふわではあっても、だらだらにならないように意識してきた。一人になれたことをよかった、と感じるまで、そして夫が私にこの時間をプレゼントしてくれたように感じるまでの三年間だった。自分に都合よく考えることも、罪ではないだろう。他人に迷惑をかけない、という信条は忘れていないし。