これは贅沢すぎる。こんなに沢山のお湯を独り占めするなんて。月からの光が滑らかな水面に反射する。なにか聞こえないかと耳をすませてみたが、何も聞こえなかった。何の物音もしない、というのは不思議な事、なんだか落ち着かなくなって、手を動かして水音をたててみた。あまりにも「一人」というのはやはり落ち着かないというものなのだろうか。月というものがこれほどの情緒をかもしだすことを知らなかった。老人、といわれておかしくない年齢の日本人なのにだ。死んだ夫はどうだったろう。こんな露天風呂に入ったことはあっただろうか。二人で温泉に、なんて、まだこれからいくらでも、と、少なくとも私は思っていたけれど。五十代で死んでしまうこと、運命とはいえ、虚しすぎる。
三年間、夫のいなくなった家にひとりで暮らしたけれど、今この湯船の中にいて感じるような孤独を感じたことはなかった。何も考えずふらふらしたこころもちだったからだろうか。大きな浴槽、掃除のゆきとどいた石貼りの床、お湯の優しい感触、それらから私が感じるのは孤独だけだった。
あとから私もはいるわ、と言っていた洋子はなかなか現れなかった。この旅館は、全客室が「離れ」になっていて、それぞれに露天風呂がある。離れ同士がそう離れているわけでもないのに、ほかの客がないのか、設計が良いのか、じつに静かだった。貧乏性で節約家、ケチともいうが、そういう私が来るようなところではないのだが、洋子が行こう、と言った。彼氏は平日に温泉へは行かない、いや、行けない働き盛りだそうだ。温泉は、女同士が一番よ、と、腰の重たい私をそんなこともしてみたい気にさせてくれた。本当に三年のあいだ、ただ生きているだけだった。これといって特別なことなどなにもしなかった。時間をつぶしていたわけだが、退屈というわけでもなく、やっぱりふらふらとだ。ふらふらと生きていた、としかいいようがない。洋子は、私になにかを感じたり考えたりするきっかけを、と、何かを探している、そうらしかった。この湯船で私は孤独がはじめて身に沁みた。たった十分ほどの間に。なにかが私の中を走った。やっぱり人は一人では生きられないのかも。だれもが不意な孤独感に襲われる一瞬があるのではないか。そのとき、助け合える仲間がいたら?なにげなく見守りあうってできないだろうか。
洋子が現れた。お腹の脂肪もめだたず、なかなかのプロポーションではないか。私は一瞬気になって、自分の顎の下をつまんでみる。そういえば、「老い」についてもしばらく忘れていた。皺やたるみもどうでもよくなっていたことに気が付いた。「あら、蛙の声だわ」と湯の中の洋子が言う。え?カエル?「ずっとここにいて聞こえなかったの?」うん、聞こえなかった。私は、蛙の声もその時初めて聴いた。月の位置が少し変わった。
三年間、夫のいなくなった家にひとりで暮らしたけれど、今この湯船の中にいて感じるような孤独を感じたことはなかった。何も考えずふらふらしたこころもちだったからだろうか。大きな浴槽、掃除のゆきとどいた石貼りの床、お湯の優しい感触、それらから私が感じるのは孤独だけだった。
あとから私もはいるわ、と言っていた洋子はなかなか現れなかった。この旅館は、全客室が「離れ」になっていて、それぞれに露天風呂がある。離れ同士がそう離れているわけでもないのに、ほかの客がないのか、設計が良いのか、じつに静かだった。貧乏性で節約家、ケチともいうが、そういう私が来るようなところではないのだが、洋子が行こう、と言った。彼氏は平日に温泉へは行かない、いや、行けない働き盛りだそうだ。温泉は、女同士が一番よ、と、腰の重たい私をそんなこともしてみたい気にさせてくれた。本当に三年のあいだ、ただ生きているだけだった。これといって特別なことなどなにもしなかった。時間をつぶしていたわけだが、退屈というわけでもなく、やっぱりふらふらとだ。ふらふらと生きていた、としかいいようがない。洋子は、私になにかを感じたり考えたりするきっかけを、と、何かを探している、そうらしかった。この湯船で私は孤独がはじめて身に沁みた。たった十分ほどの間に。なにかが私の中を走った。やっぱり人は一人では生きられないのかも。だれもが不意な孤独感に襲われる一瞬があるのではないか。そのとき、助け合える仲間がいたら?なにげなく見守りあうってできないだろうか。
洋子が現れた。お腹の脂肪もめだたず、なかなかのプロポーションではないか。私は一瞬気になって、自分の顎の下をつまんでみる。そういえば、「老い」についてもしばらく忘れていた。皺やたるみもどうでもよくなっていたことに気が付いた。「あら、蛙の声だわ」と湯の中の洋子が言う。え?カエル?「ずっとここにいて聞こえなかったの?」うん、聞こえなかった。私は、蛙の声もその時初めて聴いた。月の位置が少し変わった。