小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

首相官邸に「物申した」--天皇が政治権力を持つことになる

2020-10-08 01:52:54 | Weblog
7日、私は学術会議会員の任命問題について首相官邸に2回、メールで意見を申し上げた。国会の閉会中審議(衆院内閣委員会)でも再三にわたって野党側がが「学術会議法違反だ」(立憲・枝野代表)と追及したが、政府側は6名を排除した理由の明示は避けた。
加藤官房長官は任命にかかわる法解釈について「平成30年に内閣府と内閣法制局が協議した結果、任命権者の総理が学術会議の推薦通りに任命しなければならないわけではないという結論を得た」と説明したが、だとすれば天皇は憲法6条の規定に従って、内閣総理大臣の任命権を有することになり、国会の指名を拒否することもできることになる。
私は前回のブログで、6名の任命拒否は「学問・研究の自由に対する侵害には当たらない」と書いたが、確かに菅総理が言い訳したように「学問・研究の自由を損ねることにはならない」ことは確かだが、それ以上に重要な問題が、この任命拒否問題で明らかになった。で、以下のような意見を首相官邸に発したのである。

●1回目の意見
日本学術会議会員の任命権や任命責任は内閣総理大臣にはありません。日本が法治国家であるならば、ですが。
まず、法治国家の前提として法文解釈が恣意的に行われないことが極めて重要です。政府はこれまでも憲法解釈や法律解釈をかなり恣意的に行ってきましたが、今回のケースは従来の解釈変更のレベルと明らかに異なります。
日本学術会議法第7条2項には「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあります。
一方、第17条には「日本学術会議は、規則に定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるとことにより、内閣総理大臣に推薦するものとする」とあります。つまり選考権は日本学術会議のみにあり、第7条の「内閣総理大臣が任命する」は単なる手続きを定めた条文でしかないことも明白です。そう解釈しないと、大変な問題が生じます(後述)。
菅総理は「政府の機関であり、年間約10億円の予算を使っている」「会員は特別職の公務員であり」「総理には任命権がある」と主張されていますが、総理大臣が直接任命権を行使するのは閣僚に限られています。閣僚が不祥事を起こした場合、総理の任命責任が問われるのはそのためです。
確かに総理大臣は行政府の長ですから、行政官である公務員の任命権は形式的にはありますが、公務員が起こした不祥事についていちいち総理大臣が任命責任を取るべきだと考える法曹家はいません。しかし、総理大臣が、「日本学術会議会員の任命責任がある」から「任命権もある」とお考えなら、今回任命しなかった6名の学者を除き任命した99名に対して閣僚と同様に任命責任が生じることになります。その自覚をお持ちの上で99名は任命されたのですか。なお日本学術会議会員は公務員ですが、行政官ではありません。

さらに日本学術会議法第7条の「内閣総理大臣が任命する」という法文をもって「任命権および任命責任がある」と解釈されたのであれば、法文解釈の整合性の点からも重大な疑義が生じます。
憲法6条には「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」とあります。ここでの「任命する」が、やはり「任命権の存在」を意味することになると、天皇の位置づけは象徴天皇ではなく最高権力者としての親政天皇になります。法文解釈の整合性が崩壊します。
なお、この件についてはブログで詳述しています。

●2回目の意見
今日の第1回「規制改革推進会議」で、菅総理は「行政の縦割り、既得権益、悪しき前例主義を打ち破って規制改革を進めるために各省庁が自ら規制改革を進めることが必要だ」と指示されたようです。(日本経済新聞のネット配信記事より)
私も大賛成ですので、大いに進めていただきたいと願っていますが、まず総理ご自身が範を垂れていただかないと…。
これまで政府はご都合主義というか恣意的に憲法や法律を解釈変更しておいて、野党やメディアの質問に対しては真摯に答えない…そういう悪しき前例をぜひぶち壊してください。
まずは、日本学術会議法によれば、会員の選考権は日本学術会議にしかないことになっていますが、同法7条の「内閣総理大臣が任命する」という条文を援用して総理大臣に任命権があるかのような解釈変更をしたことについて、野党議員やメディアにその合理的理由を明確に答えてください。

なお法文解釈に整合性が欠けると法治国家とは言えないので、日本学術会議法7条の「内閣総理大臣が任命する」のだから「総理大臣に任命権がある」という解釈は当然憲法6条にも適用できることになりますので、内閣総理大臣を任命する天皇にも内閣総理大臣の任命権が付与されることになります。つまり天皇には「国会で指名された内閣総理大臣を任命しない」という政治権力が生じることになりますが、そういう法的解釈でいいのでしょうね。

もちろん憲法に、天皇に内閣総理大臣の指名権があると解釈できる条文はありませんが、日本学術会議法にも内閣総理大臣が学術会議の会員を選考・指名する権利があると解釈できる条文はありません。

天皇は日本国民の象徴ですが、内閣総理大臣は日本国民の代表です。海外の人たちから「日本人は自分の都合によって悪しき前例を踏襲したり無視したりする国民だ」という烙印を押されたら、それは菅総理大臣の責任になります。

【追記】 今朝(8日)テレビのニュースを見ていて、自民党の下村政調会長が学術会議の在り方について見直す考えを示したことを知った。内閣第2部会(平部会長)に塩谷(しおのや)・元文科相を座長とするプロジェクトチーム(PT)を設置し、議論したうえで党の提言をまとめて政府に伝えるという。
 下村氏によれば日本学術会議は平成19年以降「答申」を、また22年以降「勧告」をまったく出していないことを明らかにしたうえで、「役割がどの程度果たされているのかも含め議論する必要がある」と述べたという。
 それが事実だとして、学術会議会員の怠慢によるものなのか、それとも政府が会員の「答申」や「勧告」の機会を十分に保障してこなかったためなのかも、徹底的に検証すべきだろう。欧米のアカデミーのほとんどは非政府組織になっているようで、私も政府のひも付きの組織にはすべきではないと考えているが、いちおう日本学術会議は政府機関であっても高度の独立性が保証されており、だから会員は研究成果を自由に政府に「答申」したり「勧告」できる仕組みになっているはずだ。
 戦後の、経済力が疲弊していた日本で、学者の科学的見地からの提言を政策に生かすために設置された日本学術会議の役割は、私も今日の日本の経済状況からみて終わったと考えてもいいと思う。いまは政府が学術会議に金銭的支援をしなければ十分な研究活動ができないとは考えにくいので、欧米先進国では非政府組織のアカデミーの提言(答申・勧告)を政策にどう反映する仕組みになっているかも検証したうえで、学術会議の「あり方」を考え直すべきだろう。(8日)

【追記2】 国民の固有の権利=総理大臣の固有の権利?
 連日、国会では閉会中審査が行われている。もちろん日本学術会議会員の任命権問題をめぐってだ。政府答弁のご都合主義的解釈も「ここに極まれり」としか言いようがない。
 8日も衆院の審査で内閣府の大塚官房長が、日本学術会議法に定める首相の任命を「形式的」とした1983年の国会答弁(中曽根総理)との整合性について、「推薦の通りに任命すべき義務があるとまでは言えないというのは一貫している」と答弁した。
 大塚氏は憲法15条の公務員の選定罷免権に触れ、「形式的な発令行為と発言はされているものの、必ず推薦の通りに任命しなければならないとまでは言及されていない」と、総理の「任命権」について新しい解釈を示した。
 なるほど。「罰則規定がない違法行為は違法ではない」と言っているようなものだ。
 国会議員の方たちはゴルフが好きな人が多いと思うので、ゴルフの規則を例にとって政府の「ご都合主義的解釈」について解明する。
 カート道路上(人工の障害物)に止まった球は救済を受けることができることは周知のルールである。ただ、救済方法は何度か変わってきた。
 私がゴルフを始めた40年ほど前のルールは、カート道路のセンターラインを基準に球が右側にあったら右側に、左側にあったら左側にドロップすることになっていた。
 その後、ドロップする地点がニアレスト・ポイントに変更になった。このときニアレスト・ポイントを決めるために使用するクラブは、もし救済の必要がなかったら使用しているだろうクラブを使うべきである、とされた。が、実際にはプロでも最も有利な地点にドロップするためのクラブ(ほとんどの場合はドライバー)を使用してドロップ地点を決めていた。
 さらに、いまではどのクラブを使ってもいいことになっている。それまでのルールは罰則規定がないため、有利なクラブを使うことができた。で、「もし救済の必要がなかったら使用しているだろうクラブを使うべき」という規定の意味がないから「どのクラブを使ってもいい」ことにした、と大半の人は思っている。実は違う(はずだ)。
「違うはずだ」と書いたのは、ルール・ブックにはルール変更の理由が書いていないからだ。法律を変える場合でも、六法全書には新しい法律が記載されるだけで、なぜ法律を変えたのかという理由など記載されていないのと同じだ。ゴルフのルールは全米ゴルフ協会とイギリスの名門ゴルフクラブのセントアンドリュースが協議して決めている。日本ゴルフ協会はまったくあずかり知らないところで決められ、ただ日本のゴルフ規則集には翻訳文が印刷されているだけだからだ。だから、このルール変更について日本ゴルフ協会の会員でも理由が分かっている人はたぶんいないと思う。だから、私も実のところ、本当の変更理由は知らない。知らないが、99%、私の理解が正しいと思っている。
 私は、なぜニアレスト・ポイントを決めるに際して罰則規定を設けなかったのか、を考えた。理由は簡単。「いま、そこにある球を打つためにどのクラブを使うべきかはプレイヤーしか決めることができない」からだ。たとえば一時、カラーに止まった球をスプーンで打つことが流行ったことがある。誰かは覚えていないが、パッティングに悩んだプロが試行錯誤の末スプーンを使いだしたのだろうと思う。これが長尺パター開発のきっかけになったようだ。
 ゴルフのルールと同様に、学術会議会員は「内閣総理大臣が任命する」という文言をどう解釈するかだ。これは義務規定なのか権利規定なのか。
 確かに「することができる」とも解釈できるし、「しなければならない」とも解釈できる。そこで大塚官房長が総理の任命権の根拠にした憲法15条を精査してみよう。憲法15条の全文はこうだ。

公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 この憲法の条文をどう解釈しても、学術会議会員に対する選定罷免権を総理大臣が権利として有していると主張するには無理がある。公務員の罷免権は国民固有の権利であることは確かだが、【国民=総理大臣】とはいくらなんでも拡大解釈が過ぎる。もし、そんな解釈が罷り通るなら、日本の首相はオールマイティの権限を有していることになる。国民から選挙で選ばれた国会議員(国会議員も公務員だ)の罷免権も有することになる。少なくとも大塚氏は憲法15条を援用して総理の任命権を解釈するなら、憲法15条でいう「国民」についての定義を明確にすべきだ。わたしたちが一般に考えている「国民」の定義とは相当の開きがあるようなので…。

 なお、改めて確認しておくが、憲法6条は政府解釈によれば「天皇に内閣総理大臣の任命罷免の権利がある」ことを定めていることを意味する。それでいいんだろうね。(9日)

【追記3】天皇は任命責任を果たせ
菅総理は9日、毎日新聞などのインタビューに応じ、学術会議会員の任命問題について語った。総理の発言によれば、
●政府が学術会議が選考した推薦会員名簿を受け取ったのは8月31日(安倍総理の在任中)。菅総理が(内閣府から?)受け取った名簿は99人に絞られたもので、すでに6名は除外されていた。
●任命権者として、広い視野に立ち、バランスの取れた活動を行い、国の予算を投じる期間として国民に理解される存在であるべきことを念頭に判断した。
●法解釈を変更してはいない。
菅総理が新会員の名簿を見たときにはすでに6名の推薦学者が排除された後だったにもかかわらず、総理は「任命権者として……を念頭に判断した」と言う。実際には「任命権者」として推薦者のだれも判断していないのに(つまり誰かに丸投げしておきながら……を念頭に判断した)と言う。
そういえば、この日、池袋での悲惨な交通事故の加害者、飯塚幸三氏は「運転ミスはしていない。クルマの故障だ」と法廷でうそぶいたようだ。

しつこいようだが、菅総理が内閣総理大臣に任命権があると主張している根拠は、日本学術会議法第7条2項の「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」という条文だけだ。この条文以外に総理大臣の任命権のよりどころはない。
ところで、憲法6条には天皇が内閣総理大臣を任命することが規定されている。菅総理の見解によれば、天皇は総理大臣の任命権者として、日本の総理としてふさわしい見識、品格、国際的視野などを有した人物かどうかを十分に精査したうえで任命しなければならないことになる。
そういう観点からすれば、過去、天皇(戦後の昭和天皇以降)はその責務を十分果たしてきたと言えるだろうか。残念ながら内閣総理大臣の任命権者としての責務を果たさず、国会に丸投げしてきたと言わざるを得ない。
学術会議会員は210名もおり、3年ごとに半数が入れ替わるとしても、総理は入れ替わる105名に対して任命権者としての責任を負うとしている。が、総理自身が105名全員を面接して会員としてふさわしいか否かの判断を個々人に対して行うのは不可能だ。が、天皇が任命責任を負うべき相手は内閣総理大臣一人だけだ。少なくとも国会に数名(3~5名)の総理大臣候補を推薦させ、その中から総理大臣としてふさわしい人物を天皇自らが選ぶのでなければ、任命責任を果たしたとは言えない。それとも憲法6条が違憲憲法なのか?(10日)