1月28日から始まった第198回通常国会は、冒頭から荒れに荒れた。厚労省が発表してきた「賃金統計」が、法によって定められた方法をとらず不正な手続きで行われてきたことが明らかになったからだ。
このインチキが明らかになった時点で私は大手メディアの方と電話で話をして「今の公務員は公僕の意識は全くないのか」と嘆いた。確かに「公僕」などという言葉は今や事実上「死語」になっていて、メディアもめったに使うことがなくなった。
時あたかも明石市市長のパワハラ発言が公になり、これまたメディアを騒がせた。市長のパワハラ発言は2年も前のことであり、当初メディアに提供された市長発言はパワハラの部分だけだった。今年4月には統一地方選挙がある。この時期に突然パワハラ発言の録音が公にされたこと自体、そこに何らかの政治的意図が隠されていたのだと私は直感的に感じた。で、私はこのパワハラ発言がどういう経緯で行われたのかまでメディアは追及すべきだと、あるテレビメディアに申し入れた。
もうこの件については読者の方々もとっくにご承知だろうからくどくどは書かない。確かに「火をつけてこい」と犯罪をそそのかすような発言はいささかも許されるものではない。が、その発言の前に市職員に対して「その場所で人が死んでいるんだ。お前たち7年間、何をやってきたんだ。税金で飯を食っている市職員は、一番きついことからやらんといかんのではないか」(発言趣旨)と諭していた。おそらく市職員を諭しているうちに、つい感情が激高してパワハラ発言が飛び出したのだと思うが、私には市長の「市民のため」という思いがひしひしと伝わってきた。森友学園問題にせよ、加計学園問題にせよ、国家公務員の顔はどっちを向いているのか。少なくとも国民や市民のほうではなく、権力者のほうを向いていることに異論はあるまい。
「権力は腐敗する」とは言い古された格言だが、どのように腐敗していくのかという「腐敗構造」が、いま私たちの目の前で進行していることだけは間違いない。いずれ歴史の検証によって安倍総理の評価も下されることになるが、歴史の検証を待つ前に私は断言する。「日本の民主主義が生み出した戦後、最低の首相だった」と。
厚労省の「賃金統計」の対象は調査対象企業の常雇従業員すべてである。正規社員だけでなく、正規社員と同じ勤務をしている非正規社員やパートも含まれる。厚労省の職員が意図的な不正をしなくても、平均賃金が下がるのは当たり前なのだ、実は。
私は前にもブログで書いたが、私たちの世代では結婚したら女性は仕事を辞めで専業主婦になるのが当たり前だった。「寿退社」という言葉もあった。いまはこの言葉も「死語」になっているが…。だいいち「非正規社員」などという雇用形態はなかった。
労働環境が、かつての高度成長時代やバブル時代とは大きく様変わりしている。そのことを完全に無視して「経済成長至上主義」で始めたのがアベノミクスである。野党もメディアも、アベノミクスの検証は、そこから始めないと、ひたすら「靴を隔てて痒さを掻く(隔靴掻痒)」という結果になる。
私はすでにブログで検証してきたが、労働環境の激変は核家族化の進行と女性の高学歴化による少子高齢化が根底にある。ネットでいろいろ調べてみたが、女性の高学歴化が進みだしたのは40年ほど前からのようだ。私が大学に進学した時代は女性の大半は高卒で就職していた。が、高度経済成長時代を経て国民生活も豊かになり、国民の大半が「中流意識」を持てるようになり、かつ核家族化の進行によって少子化も始まっているらしい。女性の高学歴化はそうした時代の流れの中で生じた不可逆的現象だったことが分かった。私が論理で組み立ててきたパズルを、統計的に検証している学者もいる。
ただ、私が調べた限りでは「女性の高学歴化と少子化(合計特殊出生率)」の相関関係を調べている学者や政府機関はあるが、高度経済成長による国民所得の増大や核家族化の進行も含めた相関関係についてはまだだれも手を付けていないようだ。ま、学者や専門家は「競馬馬」と同じ思考力しかもっていないから仕方ないか…。「狭く深く」は「広く浅く」に遠く及ばざるがごとし。
戯言はともかく、女性の高学歴化は女性の活躍の機会の増大にも、当然だが結びつく。「少子化対策」とか言って税金を湯水のごとく保育園増設に注ぎ込んできた結果、女性の社会での活躍の場は広がったが、少子化にはますます拍車がかかった。そうなることは結果を見るまでもなく、高卒程度の思考力があれば鼻からわかりきっている話だ。
「保育園落ちた。日本死ね」とつぶやいたあほな女性がメディアや政治の世界で脚光を浴びたことも、このばかげた政策の後押しをした。
私は女性の高学歴化による社会進出を否定しているわけではない。かつてブログでも何度も書いたし、メディアの方たちにもお話してきた。が、女性が社会で活躍の場を広げたいのであれば、それは自己責任でやっていただきたい。「保育園落ちた。日本死ね」とつぶやいた女性以上にあほな政治家もいて「これまで高齢者に偏っていた社会保障政策を全世帯型にする」と、少子化をさらに進めることに躍起になっている方が、なぜか日本のリーダーだ。
いいですか。スーパーのレジ係は、昔は高卒で就職した若い女性社員もいたが、いまはパートのおばさんばかりだ(「おばさん」は別に差別用語ではないよね?)。スーパーのレジ係だけでなく、銀行の窓口に行ってごらん。いまは日常のお金の出し入れはATMで済ませるから窓口に行く必要はほとんどないが、カウンターの女性はいまおばさんがほとんどだよ。ま、銀行にしてみても高い給料を払っている高学歴女性をカウンターのルーチンワークで使うなんて、もったいないしね。
こうした時代の流れは高度に発達した資本主義社会が生み出した歴史的必然であり、【女性の高学歴化→女性の社会進出の機会増大→女性の価値観の変化による少子化→労働人口の減少→消費の減少(需要の減少によるデフレ状況)】という社会構造の変化は、さすがのケインズも想定外だったのだろう。そのうえ日本は世界でもまれな雇用形態がある。「年功序列・終身雇用」ってやつだ。
アメリカではトランプが激怒している。GMの工場閉鎖に対してだ。「せっかく輸入自動車の関税を引き上げてアメリカの自動車産業を回復してやったのに、工場を閉鎖して失業者を生むとは何事か」と。だが、GMの経営者に言わせれば、「自動車製造のコストに直結する原材料の鉄鋼やアルミ、部品類に高関税をかけたため、いまの販売価格では採算が取れなくなった。かといってコスト増を販売価格に転嫁すれば競争力が失われる。工場を閉鎖したのはあんたの政策のせいだよ」。わかってのかね、安部さんよ。
日産やシャープがなぜ立ち直れたのか。日産は経営者に血も涙もないゴーン氏を招き、外国人の手によって人員整理を大胆にやったからだよね。シャープはホンハイに身売りして、やはり外国人の手によって赤字垂れ流しの工場をばっさばっさと整理して経営の効率化を図ったからだよね。東芝はなぜゴーン氏のような血も涙もない外国人のプロ経営者を招いてばっさばっさと人員整理に踏み切らなかったのかね。そうしていれば虎の子のフラシュメモリの事業を切り売りしなくても済んだのにね。
アベノミクスの柱の一つである金融緩和。日銀・黒田総裁と手を組んで円安誘導を図った。結果、日本の輸出産業は息を吹き返した。息を吹き返したが、輸出産業は輸出価格を円安にスライドして下げようとはしなかった。輸出価格を下げると需要が激増して生産を増大する必要が生じる。設備投資も必要になるし、従業員も増やさなければならなくなる。「そんなリスクは冒せない」というのが日本の輸出産業の本音だ。だから為替差益でがっぽがっぽ。安倍さんは「せめて従業員の給料を上げてやってくれ」と経済団体に泣きついて、それなりにベースアップを復活する企業が増えて多少の効果はあったが、なにせ日本の春闘は「護送船団方式」だからね。「自分だけ、いいカッコしい」はできにくいんだよね。
言っておくけど、「護送船団方式」は金融行政だけではないんだよ。日米構造協議で骨抜きにされたが、大店法は零細商店を保護するための「護送船団政策」だったんだよ。もう忘れたのかい?
日本の場合はそういう特殊な条件がある。最近、と言ってもバブル崩壊以降だけど、「株主優待制度」を設ける企業が増えてきた。村上ファンドなどと称された「物言う株主」の出現のせいではないんだよ。それまでせっせせっせと内部留保に精を出してきた企業が、設備投資をしてシェアを伸ばす時代は終わったと考えているからなんだ。むしろ少数株主に還元して株式を分散し、買い占めを防ぐことに力を入れだしたためなんだよ。株主を増やすことが目的だから、「株主優待」は少数株主に特に有利にしている。例えば100株の株主には年5000円分の優待をしても、1000株の株主には3万円しか還元しないとかね。こういうやり方って、普通の商売では考えられないよね。通常はたくさん買ってくれた人へのサービスのほうが大きいのに、日本の株主優待はたくさん株を持つとかえって不利になる。そういうやり方は、アメリカだったら大株主が黙っていないと思うけどね。
この辺でやめとくが、かつて日米貿易摩擦が激化した時期、アメリカから「日本異質論」なる批判が浴びせられた。日本に長く染みついてきた「弱者救済横並び」の「護送船団方式」は、弱肉強食の「自由競争至上主義」の欧米人から見ると、間違いなく異質に見えるはずだ。この日本の社会的規範については私が1992年に上梓した『忠臣蔵と西部劇』に詳しいが、欧米人から見て日本が異質ならば、日本人から見たら欧米こそ異質なはずだ。そういう論理的な反論ができないところに、たぶん日本の教育が抱えている問題がありそうな気がする。
賃金統計の不正問題に戻る。不正は不正として「なぜ不正が生じ、途中で分かったのに不正の上塗りでごまかし続けようとしたのか」の追求のほうが大切だ。
安部さんが、厚労省の「賃金統計」を鵜呑みにして「アベノミクスの成果」を国会答弁で誇ったかどうかは知らないが、国民所得(可処分所得)は間違いなく増えている。それが証拠に国民の金融資産は過去最高を更新し続けている。
安部さんが毎年、経済団体に賃上げを要請し続けてきたことも多少効果があったのだと思う。が、少子化によって労働人口は(現役世代)減り続けている。そのため安倍さんは外国人労働者の受け入れを決めたが、特別技能2の、永住権があり家族の同伴も認められる人以外は、日本で稼いだ金の大半を本国の家族に仕送りしてしまう。
実は、これが本質的問題なのだが、アベノミクスの目指す「デフレ克服」は、日本では不可能なのだ。なぜか。
結論はこれまでもブログで何度も書いてきたが、デフレは供給が需要を上回ることによって生じる経済現象だ。逆に需要が供給を上回ればインフレになる。トランプ大統領がやっていることはめちゃくちゃだが、結果的に消費者物価指数(対前年同月比)が2.0~2.2%増と、安部さんや黒田さんがよだれを流すほどの好況状態にある。なぜかは、アメリカの状況にはあまり詳しくない私にはわからない。
が、日本でいくら金融緩和政策を続けても消費者物価指数は2%には絶対に到達しない。基本的に需要層は労働人口層が担っている。子供が使う金は親がくれる小遣いの範囲だし、高高齢者は基本的に生活需品しか買わない。そこで問題になるのは最大の需要層である労働人口だが、この層が減少し続けている。少子化の結果が今、目の前にある。そのことがわかっていないから、アベノミクスでは需要は回復しない。
唯一の効果的な手法は、第2次安倍政権が誕生した時、私がブログで書いたように相続税と贈与税の関係を逆転させて(相続税を高くして、贈与税を低くすること)、高齢の富裕層がため込んでいる金を現役世代に吐き出させろということと、累進税率を厳しくして中低所得層の税負担を軽減化することだ。それ以外に需要を増やす方法はないんだよ。
現役世代は、金を使いたくても将来が不安だから消費に回さず、貯蓄に回す。前にも書いたが、別に日本人が格別「貯蓄好き」の国民性だからじゃないよ。そのうえ安倍さんが「これまで高齢者に偏っていた社会保障を全世帯型に変える」などと言い出したから、現役世代は老後生活にますます不安を持つようになった。「老後生活は自己責任」という感覚が、いまの労働人口には染みついていると思う。だから国民金融資産だけは増え続ける。アベノミクスを続ければ続けるほど、この傾向はかえって強まる。わかってねぇな。
【追記】この原稿は2日の朝書いた。朝食をしながらテレビを見たら、明石市の泉市長が辞職するという。涙を流しながらの記者会見も見た。本文で書いたが、確かに「火をつけろ」はないが、泉市長の気持ちは痛いほどわかる。「俺は命を張って市民のために仕事をしているのに、お前ら職員は誰のために仕事をしているんだ」という怒りがこみ上げた挙句のパワハラ発言だったと思う。市長選挙は3月だという。泉氏が再出馬をして、市民が泉氏を選んだとしても任期は1か月。4月には統一地方選挙がある。私がもう少し若ければ手弁当で駆け付けたいくらいだ。
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