小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

民主主義とは何かが、いま問われている㉑ 安倍・岡田の「神学論争」が意味するもの。

2019-02-18 01:37:51 | Weblog
 「悪夢」だったのは民主党政権だったのか、それとも第2次安倍政権なのか。2月10日の自民党大会で安倍総裁が「悪夢のような民主党政権」と発言したことに、12日の衆院予算委員会で民主党政権時代の元副総理の岡田氏(立憲民主党・無所属フォーラム)が噛みついた。
 私に言わせれば。「目くそ 鼻くそ」の類だ。「目くそ鼻くそを嗤う」ともいう。もちろん「目くそ」は第2次安倍政権で、「鼻くそ」は民主党政権だ。
 そもそも「目くそ」や「鼻くそ」政権が生まれたのは「政権交代可能な2大政党政治」を実現するために導入された「小選挙区制」のせいだ。実は選挙制度改革の以前の55年体制は、事実上、政権交代不可能ではあったが「自民vs社会」という2大政党対立の時代でもあった。もちろん自民、社会の2大政党だけでなく、民社や公明、共産といった弱小政党もあったが、こうした弱小政党の存続も可能にするために「単純小選挙区制」ではなく弱小政党を温存するための「比例代表制」が付け加えられた。
 あらかじめ誤解を避けるために言っておくが、私は弱小政党の存在を全否定しているわけではない。日本が現在の選挙制度のモデルとしたとされているイギリスやアメリカでも、現在も多くの弱小政党が存在する。存在するが、弱小政党が議会で議席を得るチャンスはほぼない。選挙制度が基本的に単純小選挙区制のため事実上、弱小政党が議席を獲得することが不可能な仕組みになっているからだ。
 議会制民主主義の生みの親はイギリスである。イギリスでは1800年代から議会制民主主義を導入してきた。当初は多くの政党が乱立していたようだが、試行錯誤を重ねて今日の「保守党vs労働党」という2大政党政治にたどり着いた。イギリスから独立したアメリカも多くの政党が乱立しているが、事実上「共和党vs民主党」の2大政党政治に集約されている。当然、イギリスの2大政党もアメリカの2大政党も1枚岩ではない。多様な思想の議員を包含することで2大政党政治が継続可能になっている。
 このイギリスとアメリカの2大政党に共通していることは、議会での採決に際して、所属議員に「党議拘束」をかけていないことだ。日本の政党政治と大きく異なるのは、その一点に集約される。つまり民主主義政治にとって不可欠な「多様性への寛容さ」が、英米の政党政治には根付いているのだ。
 日本では違う。議会での採決で所属議員に「党議拘束」をかけるのが常套になっている。例えば日本では小泉政権時代、いわゆる郵政民営化をめぐって党内で対立が生じ、衆議院での採決では多くの反乱者が出た。かろうじて衆院では民営化法案が採択されたが、参院での通過は困難な状況にあったため、小泉総理は突然「伝家の宝刀」を抜いて衆院を解散、反乱議員を除名処分にしたうえで反乱議員の選挙区に知名度の高い候補者を立候補させるという手段に出た。現東京都知事の小池百合子氏もこの時比例近畿ブロックから反乱者・小林興起氏を落選させるため東京10区に刺客として国替えした。この衆院選で、メディアの多くが郵政民営化を支持したこともあって「小泉チルドレン」が多数誕生して小泉陣営が圧勝、参院の反乱議員と目されていた連中も態度を豹変して郵政民営化支持に回り、このとき自民党内で初めて「一強」体制が確立した。この「成功体験」がなければ「安倍一強体制」も実現していたかどうか…。
 日本の短い議会制民主主義の歴史の不幸は、政党内で「多様性に対する寛容さ」という民主政治に不可欠な要素が十分育っていない中で、形式的に「政権交代可能な2大政党政治」を実現しようとした点にある。だから「一枚岩の政党」を前提にして、弱小政党救済のために単純小選挙区制ではなく「比例代表並立制」といういびつな選挙制度にしてしまったという経緯がある。
 もちろん小選挙区比例代表制を採用している国も少なくない。ロシアや韓国、フィリピン、タイ、メキシコなど多くの国が採用している。が、それらの国で政権交代可能な2大政党政治が健全に育っているかを見れば、だれの目にも明らかだろう。まして日本のように議会での採決に際して所属議員に「党議拘束」をかけることが常態化している国では、健全な「政権交代可能な2大政党政治」が育つわけがない。
 比例代表で選出された議員にだけ「党議拘束」をかけるというなら、まだわかる。有権者が選んだのは個々の議員ではなく政党なのだから。それなら比例代表は人間でなくてもいいことになる。要するに党の支持に完全に従うのが前提だからロボットで十分だ。ロボットなら「議員歳費」も不要だし、採決の時だけ党の方針に従って一票を投じればいいのだから…。それにロボットだったら突然、党に反旗を翻して離党・他党に入党といったこともあり得ない。
 単純小選挙区制で事実上「政権交代可能な2大政党政治」を実現してきたイギリスやアメリカでは、議会での採決に際して所属議員に「党議拘束」をかけない。「多様性に対する寛容さ」を規範にしているから個々の議員は自らの信念に従って一票を投じる。だからつい最近もイギリスでメイ首相の「EU離脱案」が多数の保守党議員の反乱によって否決されてしまった。政治が一時的に混乱するという弱点もあることは否定できないが、「一強体制」による強引な政治手法は不可能になる。
 確かに小選挙区比例代表並立制の導入によって、日本でも政権が2度にわたって交代したことがある。最初のケースは細川内閣である。 
 熊本県知事だった細川護熙氏が国政に転じて日本新党を結成、多くの弱小政党が細川氏の「この指とまれ」に結集して自民党政治にいったん終止符を打った。55年体制下で長期にわたって続いた自民党政治に飽きあきしていた国民やメディアは、こぞって新政権に多くの期待を寄せた。いまこんなブログを書いている私も正直、新政権に大きな期待を持った一人である。が、その期待はもろくも崩れた。しょせん「野合政権」に過ぎなかった細川内閣では「閣内不一致」が続出し、総理の女房役かつスポークスマン(報道官)である官房長官が公然と総理に反旗を翻すなど、政権の体をそもそもなしていなかった。そうした状態に、「お殿様」の細川氏が嫌気をさして総理の座を投げ出し、国民の期待は泡と消えた。
 2度目の政権交代が民主党だ。今度は一応「単独政権」を実現したが、実は民主党自体が「野合政党」に過ぎなかった。一応自民党はその長い歴史の中で「党内多様性を容認しながら結論がまとまれば一致結束する」というぎりぎりの寛容性は維持してきた。だから党内には保守派からリベラル派まで人材も豊富で、安倍総理と自民党総裁選で二度にわたって死闘を繰り広げた石破氏も、いまは党内や閣内の要職から外されてはいるが、完全に排除はされていない。だからいまでも石破氏はメディアの取材(ぶら下がり)や派閥の会合、講演会などでは歯に衣を着せない安倍批判を展開している。むしろ批判を続けることで「ポスト安倍は私だ」という印象を党内に定着させようとしているのかもしれない。「ボナパルティズム的人事」で「一強体制」を築いてきた安倍総理だが、石破氏の政治生命を奪うことはできない。自民党も、そこまでは堕落していない。
 翻って民主党政権とは何だったのか。過去の細川政権時代への反省からか(?)、一応政党としてはまとまることにした。有権者も今度こそは、という大きな期待を抱いた。その表れが、2009年の総選挙で民主党に絶対多数を超える308議席を与えるという歴史的快挙だった。
 が、民主党政権で初代総理になった鳩山氏が、国民の期待を大きく裏切った。「世界一危険な基地」と言われる普天間基地について「最低でも県外移設」を公約としていた鳩山氏だが、その舌の根も乾かぬうちに移設先を辺野古に変更してしまったのだ。
 鳩山氏の後を襲った菅氏は、かつて厚労相時代に薬害エイズ問題で見事なリーダーシップを発揮して国民から「将来の総理候補人気ナンバー1」の期待を持たれていたのだが、東北大震災で生じた福島原発事故で専門知識もないのにただ大向こう受けを狙った行為としか言いようがない「陣頭指揮」を行って現場を大混乱に陥れ、被害をかえって拡大させてしまった。
 最後の民主党総理となった野田氏も、連合をバックにした輿石幹事長に足を引っ張られて身動きがほとんど取れず、最後は衆院解散と引き換えに自公と「社会保障と税の一体改革」の3党合意を行い衆院を解散した。結果、衆院選では大敗を喫し、野田氏は党内で「戦犯」扱いされ、もともと野合政党に過ぎなかった民主党は再び四分五裂した。自民党はその長い歴史で「党内異分子」を多く抱えながらも、まとまるべき時はまとまるというそれなりに多様性への寛容さを培ってきたが、そうした地道な努力の積み重ねがなく、突然権力を有権者から与えられた民主党は党内での足の引っ張り合いに終始し、国民の期待を大きく裏切った。そのヅケを、いま旧民主党議員たちは支払わされていると言っても過言ではない。自民党もある意味「野合集団」と言えなくはないのだが、その「野合集団」をまとめていくノウハウを長年の歴史で蓄積してきたともいえる。野党は、まずその知恵を学ぶ必要があるだろう。
 野党第一党の立憲民主党は「立憲フェア」なる初めての事実上の党大会を昨年夏に東京・高田馬場で開いたが、その場で枝野代表は「ポスト安倍は、野党第一党の党首である私だ」と気炎を上げた。自民党に対抗できる勢力を衆参で築いているのなら、そう意気込んでもおかしくないが、議会制民主主義はしょせん「数の力」がものをいう。その数は会派を含めても自公が衆院311、参院151の計462.。一方立憲は衆院68、参院24の計92でしかない。安倍総理の任期は最長でも2年半。果たして数の力で逆転できる可能性は何%あるだろうか。前回の衆院選では野党が分裂選挙になったこともあって、政党としての筋を通した立憲が予想以上の善戦をしたが、その後も政党支持率は自公に遠く及ばない。まず野党が「小異を捨てて大同につく」という一点で大人の政党に変貌しなければ、政権の座を再び自公と争う機会は永遠に来ないだろう。「選挙協力」だけで数を増やしても、また主導権争いで協力関係が分解することは必至だ。
 そもそも小選挙区制導入に際し、比例代表並立にしたことが間違いのもとだった。選挙制度改革の目的が「政権交代可能な2大政党政治」にすることにあったのなら、イギリスやアメリカのように単純小選挙区制にすべきだった。「政権交代可能な2大政党政治」を目指しながら、なぜ弱小政党への配慮をしたのか。民主主義の本来の姿からすれば、私は「政権交代可能な2大政党政治」がふさわしいとは思わないし、現にイギリスを除いてヨーロッパの大半の国は多党政治である。当然単独政権は困難で、連立政権になることが多い。政権が連立なら野党側も協力して政権と対峙する。そのほうがよほど緊張感のある政治になるし、日本のように野党の「何でも反対」という状態もなくなる。日本でも最近、野党の中には「何でも反対」路線から脱皮しようという動きが生じているが、個々の野党政党が別々に対案を提示しても、与党との間に政策のすり合わせなど生じない。野党すべてが統一対案を国会に提出することは難しいかもしれないが、自公が政策のすり合わせをしているように野党も可能な限り対案のすり合わせをして野党統一対案で与党と対峙するような経験を積んでいかないと、将来、野党連立政権が誕生しても悲劇の繰り返しになるだけだ。
 
 さて衆院予算委員会での13分に及ぶ安倍・岡田論争から何が見えてきたか。 予算委での論争を見る前に、自民党大会で安倍総裁が行った民主党政権批判はこうだ。「悪夢のような民主党政権が誕生し、決められない政治、経済は失敗し、後退し、低迷した。仕事がなかったあの時代、地方においても今より中小企業の倒産は3割多かった。人口が減少していくのだから成長なんかできないと諦めていたあの時代に戻すわけにはいかない」(要旨)
さて国会論争で口火を切ったのは岡田氏だ。(発言内容は要旨)
岡田「今日は北方領土問題について議論したいが、その前に『悪夢のような民主党政権』という発言の撤回を求める。民主党政権時代の反省は我々にもあるが、政党政治で頭から相手を否定して議論が成り立つのか」
安倍「民主党政権時代、若い皆さんの就職率低い。岡田さんにはそういう反省が全然ないのか。我々は政権を失った時、なぜ失ったのか深刻に反省し、全国で車座集会を開き生まれ変わろうとしてきた。しかし民主党はなぜ名前を変えたのか。イメージが悪くなったから変えたのではないか。自民党が負けたとき、党名のせいになんかしなかった」
岡田「我々も反省はしていると申し上げた。しかしその前に自民党政権時代の反省はなかったのかと聞きたい。我々は自民党政権の重荷を背負って政権運営を余儀なくされた。あなたが本当に反省したというなら、『悪夢のような』発言はできないはずだ。あなたたちがやってきたことで私たちも苦しんだことがある。いまの発言まったく了解できない。取り消しなさい」
安倍「取り消せと言われても取り消しません(笑い)。皆さんに重荷を負わせたというが、皆さん政権をとったのですから自分たちの政策を進めればいいではないか。重荷とは何ですか?(ヤジ「財政赤字!」) 財政赤字は必要があってやってきたことであり、例えば就職氷河期をつくらないための財政政策をすることもある」
岡田「民主党政権時代の最大の苦しみで、(国民に)申し訳なかったのは原発事故です。もっとうまく対応できなかったか、我々も反省している。だが、その前の自民党政権にも責任があるのでは…。自民党は責任を認めないのか」
安倍「原発事故への対応をどうこう言っているわけではない。経済政策の面で、失業率が今よりも(高く)、有効求人倍率においては我々の半分くらいだ。いま有効求人倍率は全都道府県で1倍を超えている。民主党政権時代は7割8厘だった。大体、批判するなということ自体がおかしい」
岡田「批判するなと言っているのではなく、全否定するようなレッテル張りをやめろと言っている。私が問題にした原発事故について、全会一致で設けた国会事故調の報告は根源的原因についてどう結論付けているか、述べなさい」
安倍「全否定するなというが、安部政治は許さないと全否定するプラカードを持ったのはどの党か。事故調の報告についての見解は、(あらかじめ)質問通告をしてもらわないと…。個人の見解を述べることはできませんから」
岡田「総理の見解を述べろと言っているのではない。事故調の報告書にどう書いてあるかを聞いている。事故調の報告書には『原発事故の根源的原因は平成23年3月11日以前に求められる』と。これが結論ではないか。その反省もないのか」
安倍「報告書の記述について、いま一言一句、正確に述べろと言われても…。私は政府を代表している立場なので…。そういう質問は非生産的の最たるものと言わざるを得ない。私は党大会では主に経済政策について批判した。原発の政策については一言も述べていない。(就職状況の改善について再び述べ)若い人たちが、働きたいと思う人が、仕事があるという状況を作るのが政治の大きな責任。申し訳ないが、皆さんの時はそれを果たすことができなかったのだから、その事実を受け止めないのであれば、反省していないと言わざるを得ない」
岡田「私が聞いてもいないことを長々と答弁しているが、あの原発事故(を拡大した)の原因はなぜ予備電源が地下にあったのか、津波が来た時に水没してしまうようなところに予備電源を置いていた。この本当にばかげた失敗、これは自民党政権時代の話ですよ。そのことがわかっていたら、いまのような答弁にはならないはず。民主主義はお互いに相手を全否定したら成り立たない。総理の党大会での言い方はほぼ全否定に近い。(そういう姿勢だと)議論は深まらないし、民主主義はどんどんおかしくなっていく」

その後、北方領土問題に議論は移って言ったが、最後まで総理は「悪夢のような」発言を撤回しなかったし、岡田氏も民主党政権が多くの国民の期待を背負いながら結局、国民に失望感しか与えることができなかった根源的問題に触れることなく、原発事故の責任を自民党の原発政策に転嫁することしかできなかった。これが我が日本の国会での議論の実態でもある。
ここで原発議論をやるつもりはないが、私は原発事故はいつか起きると考えてきた。政治家たちは「安全神話によりかかりすぎた」といまさらのように弁解しているが、私は1989年8月に上梓した著書の中で、原発絶対安全論を展開していたSF作家の豊田有恒の著書『原発の挑戦――足で調べた全15か所の現状と問題点』について、こう書いている。

豊田は同書のまえがきで、こう述べている。「僕が発言できるジャンルは(中略)それぞれ、何年も年季がかかっている。知らないことは知らないというしかない。ただし、これらのジャンルに関して、自分が発言したことには、すべて責任を持つ。それが、何かにつけて論評する際の礼儀であり、アフターサービスだと思う」誠に立派な姿勢である。私もジャーナリストの端くれだが、豊田の爪の垢でも煎じて飲みたくなった。
その豊田が、日本の原発推進派が大いに喜びそうなことを本文で書いている。そのくだりの小見出しは「原発の安全性を証明したスリーマイル島事件」である。ちょっと長いが、引用させてもらう。
「事故(1979年3月)は、何重もの人為的ミスから起こった。などというと、さっそく、鬼の首でも取ったような、反対論が聞こえてくる。しょせん、動かすのは人間である。それみろ、やっぱり原発は危険じゃないかという人が多いだろう。事故は、常識では考えられないようなミスの重なりによって発生した。そのため、一時は、破壊活動によるものという疑いすら持たれた。
 原子炉が空焚きの状態になり、原子炉棟の中に水素ガスが充満し、爆発の危険すらあった。断っておくが、この場合の水素爆発は、化学反応による急激な燃焼という意味で、水爆のような爆発ではない。それだけの重大な事故が起こっても、なおかつ、一人の生命も失われなかった。まったくの不測の事故が起こったにもかかわらず、原発は安全だったのである。
 日本では、原発が故障すると、すぐ事故と書き立てる。機械というものは、必ず故障するものなのである。絶対に故障しない機械があったら、お目にかかりたい。ただし、原発はいくら故障しても、放射能が外部に漏れないように設計されている。
 スリーマイル島の事故は、逆に、原子力発電の安全性を証明する形になった。ああいう事故が、日本でも起こりうるかというと、ノーという答えしか出ない。アメリカより日本のほうが、危機管理が数段進んでいるからである」
 豊田がこの本を書いた時点では、もちろんチェルノブイリ事故は起きていない。もしチェルノブイリ事故の後だったら、いくら豊田でも「原発はいくら故障しても、放射能が外部に漏れないように設計されている」とは書かなかったに違いない。(中略)
 日本では、チャイナ・シンドロームの危機一髪といった事故はいまだに公表されていない。隠しているわけではなく、そうした類の事故はいまだに本当になかったのだろう。
 だが、それはあくまで安全率の問題であり、その限りでは「絶対にない」と断言し得るものではあるまい。どのように危機管理が行き届いていても、事故が皆無になるという保証はない。それは過去の事例が教えている通りである。

 なお豊田が同書を書くに当たって取材したたという全国15か所の原発の取材費を、豊田はどうやってねん出したのだろうか。単行本の場合、収入は印税(原則、定価×発行部数×0.1)だけだ。私にはそんなリスクは到底冒せない。おそらく取材費は東電など電力会社が負担したと思われる。ということは、豊田は電力会社の意を受けて同書を書いたと疑われても仕方あるまい。私が、爪の垢でも煎じて飲みたくなったほどの彼の著作に対する姿勢は、ただ同書に対する信頼性を高めるためだけの印象操作だったのか。ちなみに、インターネットで調べた限りでは、チェルノブイリ事故についても福島原発事故についても、豊田が同書の責任をとった形跡は見られない。

 原発問題に深入りしすぎた。文字数もすでに8000字を超えた。最後に民主党政権と安倍第2次政権のどっちが「悪夢のような政権」だったのか…。
 私はこのブログの冒頭で、「目くそ鼻くそを嗤う」ような論争だと書いた。そして「目くそ」は第2次安倍政権であり、「鼻くそ」は民主党政権だとも書いた。すでに「鼻くそ」についてはその根拠を書いた。「目くそ」について書く。言っておくが「鼻くそ」の問題は、安倍総理が言うように民主党政権の経済政策の失敗ではない。すでに明らかにしたように「政党としての体」をなしていない野合政党がたどった必然的な経緯であり、その失敗から野党はまだ学ぶべきことを学んでいないことも明らかにした。
 では「目くそ」のほうの第2次安倍政権の罪は何だったのか。誤った集団的自衛権の解釈を根拠に、重大な安全保障政策の過ちを犯したこと(※インターネットで「集団的自衛権 誤解釈」または「国連憲章51条 誤解釈」で検索すれば、検索結果のトップに私のブログ記事が表示される。これは私が作為できることではない)、またアベノミクスなる経済政策の失敗でもない。
 かつては「世界一優秀」とされてきた日本の官僚機構をめちゃくちゃに破壊しつくしたこと。この一点に尽きる。
 政策の過ちは、のちの政権が修正することができるが、ここまで破壊しつくした官僚機構を本来の使命を担える組織に変えるには、政権交代によっても簡単にできることではない。安倍総理自身には、自らが官僚機構をそこまで破壊する意識はなかったと思う。が、自民党の党則を変更してまで総裁3選を実現し、「一強体制」を作り上げたこと。そのことが、どれだけ日本をめちゃくちゃにしたかということに、まだ気づいていない。「勝手に忖度したほうが悪い」と考えているようだが、官僚たちが忖度せざるを得ない状況を作ってきたのは、安倍総理あなた自身だ。
 独裁権力の腐敗は、こうして生じる。ロシア革命を実現したレーニンにしても、その後を継いだスターリンにしても、また毛沢東や金日成、キューバのカストロも、権力を掌握するまでは、たとえ誤った理想であったとしてもそれなりに理想に燃えて命をかけた戦いをしてきたはずだ。が、権力者には栄耀栄華のおこぼれにあずかりたい連中が群がり、そういう状況は権力者にとってもこの上ない居心地の良さを保証してくれる。いつか「耳に痛い声」は入ってこなくなる。権力者とは、言うなら「裸の王様」なのだ。
 実は権力の掌握は、本来は自ら抱く理想や信念の実現のための手段に過ぎない。が、権力を掌握した途端、権力を維持することが新たな目的になり、権力を維持するための新たな手段が講じられえるようになる。この構造的変化が、実はヘーゲル論理学におけるアウフヘーベンの表れでもある。
 ヘーゲル論理学は社会の進歩の過程を解明しようとした試みだが、らせん構造を描く変化は、実は進歩だけではなく後退の過程でも生じる。それが手段と目的の関係にとりわけ顕著に現れ、ある目的を実現するための手段が、第2次目的に変化し、第2次目的を実現するために第2次手段が講じられ、さらに第2次手段が第3次目的になり、第3次目的を実現するための第3次手段が講じられる。こうしたらせん構造的変化が権力の腐敗の構造であり、それを身をもって証明したのが安倍総理だった。
 あえて言う。「第2次安倍政権は戦後、最悪の政権だ」と。
 悪夢の政権になったのは2戦目の総裁選の際、他の立候補者を排除して信任投票に持ち込み、「一強体制」を構築し、さらに党則まで変更して3選を果たして「一強体制」を盤石なものにしたこと。そして安倍総理は自分では気づかないうちに衣を一枚ずつはがれ、「裸の王様」になった。自分を取り巻く閣僚がいくら致命的な失言をしても「泣いて馬謖を斬る」ことができなくなっていく。こうして戦場に残ったのは「腐りきった閣僚たち」と「忖度を使命とするようになった官僚機構」だけとなった。
 日本の民主主義が、いま危機に瀕している。野党もその片棒を意図せず担いできたことを忘れるな。(2月14日記)

【追記】13日、日銀・黒田総裁が衆院予算委員会で、あくまで2%の物価目標達成を目指してマイナス金利を含む金融緩和を継続する姿勢を強調したという(時事通信)。日銀が安倍総理の意を受けてなりふり構わぬ金融緩和を継続し、マイナス金利という劇薬も3年になる。劇薬はカンフル剤のようなもので、その効果は一時的でしかない。実際、そうした劇薬投与によっても、この3年間、消費者物価の伸び率は0%台後半にとどまっている。効果があらわれていないにもかかわらず劇薬投与を続けるのは、日銀の金融緩和政策はもはや「中毒」あるいは「依存症」状態になっているとしか言いようがない。
 私はアベノミクスについて、輸出産業の国際競争力回復によるデフレ脱却政策について「まったく効果がない」ことを何度も繰り返し述べてきた。日本企業の体質というより、年功序列・終身雇用を前提とした日本型雇用賃金形態(ただし正規社員に限る)のため、企業は経営環境が悪化しても簡単に工場を閉鎖したり正規社員をレイオフしたりできない。トランプ大統領は激怒したが、トランプの貿易政策によってかえって国内での競争力が低下したGMが工場を閉鎖して多数の従業員をレイオフするといった対策は、日本企業にはとれない。日産やシャ-プが経営立て直しに成功したのは、外国人経営者によって容赦ない工場統廃合や人員整理ができたからだ。
 国内市場が伸び続けたバブル期には、プラザ合意によって2年間に円の価値が2倍になるという急速な円高に見舞われながらも国内市場の拡大によってしのぐことができたメーカーだが、少子化による人口減少と労働人口の減少(つまり国内需要の減少)で、メーカーにとっては日銀の金和緩和政策で一時的に国際競争力が回復してもむやみやたらと生産力増強に踏み切れない状態にある。これが金融緩和による円安誘導で、おしりを叩かれてもメーカーは輸出価格を据え置き「為替差益」をがっぽり内部留保してきた理由である。にもかかわらず、日銀はなぜカンフル剤の劇薬投与をこれからも続けるのか。
 すでにこの記事のはじめに書いたが、安倍総裁は自民党大会で民主党政権が悪夢だった理由について「人口が減少していくのだから成長なんかできないと諦めていたあの時代に戻すわけにはいかない」と述べている。私に言わせれば、この問題に関して民主党政権が無能だったのは、「成長をあきらめた」ことではなく、国内需要が減少していく中で従来の産業政策を継続すべきではないという決断に基づいて産業構造の転換を大胆に進めようとしなかったことにある。
 黒田発言の翌日、全銀協の藤原会長(みずほ銀行頭取)が日銀の金融政策を批判し、「2%に固執すべきではない」とし、マイナス金利政策によって効果より副作用が大きい可能性を指摘した。効果と副作用は単純には比較できないが、金融機関にとってはマイナス金利政策はカンフル剤どころか毒薬だったことは否定できない。
 このこともすでにブログで書いたが、日本は明治維新以降、経済政策として「殖産興業」を掲げてきた。そのための資金を国民から広く集めるために金融機関の育成に力を注いできた。国民の間では「消費より貯蓄」という流れが構築され、金融機関は国内の隅々まで支店網を張り巡らし、規模の拡大に狂奔してきた。しかし産業界は今や資金の調達を金融機関からの融資に頼らなくなった。株式の時価発行が認められ、担保や経営者の個人補償も必要ない増資や社債の発行で資金を調達するようになった。そうした金融機関を取り巻く環境変化に対応しようとせず、漫然とシェア至上主義を続けてきた金融機関にも大きな問題が内在していることは間違いない。金融機関の社会的使命は大きく変わらなければならない。安全で安定した融資に経営の根幹を頼るのではなく、リスクはあるが、大きな可能性を秘めたベンチャー企業に、融資ではなく投資という形で新しい産業を育てているという経営スタイルを構築すべき時期に来ている。
 そういう意味では日銀のマイナス金利政策は、皮肉なことに金融機関の体質改善に大きく貢献する可能性はある。
 だが、悲劇は日銀・黒田総裁も安倍総理も、そうした意識が皆無なことだ。ひたすら高度経済成長期やバブル期のような経済成長至上主義にとらわれていることに、アベノミクスの根本的問題があることに、まだ気づいていない。人はパンのみによって生きているわけではない。(2月16日記)







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