9月11日に「パスモ告発第2弾 パスモは闇金並みの悪徳企業だ」を発表して以来のブログを書く。パスモ問題はいま小田急電鉄と全力をあげて闘っている真っ最中。私の闘いはもっと早く決着がついていたはずなのだが、三井住友銀行柿生支店の、支店長の首が飛んでもおかしくないほどの大ミスによって膠着状態に陥っている。柿生支店の足立嘉昭支店長は銀行が全責任を負うべきミスを犯したことを認め、さらに私のパスモ批判に対しプロの金融マンとして支持を表明しながら、一切の責任を回避した自己保身しか考えていない卑劣な男だった。その経緯は改めて小田急電鉄との戦いの経緯を踏まえブログに書くことをお約束する。
それはそれとして私のブログに対して「suicaはどうなんだ」というまったく的外れなご批判をいただいた。実はオートチャージ式suicaはview(ビュー)suicaと言ってクレジットカードとの一体型カードなのである。
これをご理解いただくにはスーパーなどが発行しているクレジットカードを考えていただくのが早い。たとえば私は大手小売業チェーンを擁するイオンカードを持っているが、このカードにはVISAも付いている。イオン系列のジャスコ、サティ、ビブレ、マックスバリューなどではイオンカードがそのまま使えるし、それ以外のVISAが使える店ではVISAカードとして使えるが、銀行からの引き落とし(決済)はイオンカードとして一括して行われる。同様にsuicaもオートチャージ機能が付いたview suicaにはVISAやMasterCardなど大手クレジット会社のクレジット機能(その選択はカード購入者が自由に選べる)が付いており、JR東日本と契約を結んでいる小売店などはクレジット機能があるビューカードで支払うことができるし、それ以外の店ではview suicaについている大手クレジット会社のカードで支払い、銀行からの引き落としはビューカードで一括して行われる。従ってPASMOのように紛失して不正チャージされてもクレジットカードとしての補償が適用される。ただし、不正チャージされる以前にチャージされていた残高はクレジット払いではない電子マネーとして物品購入時に即座に引き落とされてしまうため、JRの駅に届け出て使用停止の手続きを取るまでは補償されない。「suicaはどうなんだ」と私のパスモ告発にちゃちを入れた人は自分でsuicaとPASMOの全く違う安全対策を調べてから批判するなら批判してほしい。
というわけで、今回のブログ記事はPASMO問題からいったん離れて世界中に広まりつつある金融危機について私論を述べる(この記事は8月25日に投稿した「ネズミ講を禁止した政府はなぜ預託金商法を野放しするのか」の続編として書く予定だった「詐欺的預託金商法に手を貸した金融機関の罪」で告発するつもりだった銀行批判と重なるため、このブログの中で書くことにする)。
戦後日本の経済再建と経済大国に躍進する過程で、金融機関の果たした役割は決して小さくなかった。大企業の設備投資のための資金を提供してきたのが興銀などの政府系長期融資銀行、大企業の運転資金などの短中期資金を提供してきた都市銀行、地域に根ざして発展を目指した中小・中堅企業を支えてきたのが地方銀行、そして零細商店の資金需要にこたえてきたのが信用金庫や信用組合と、それぞれ融資先のすみわけができていた。
しかし1970年の日本万国博覧会を契機に経済大国への道を歩み始めた日本の産業界の資金需要の多角化を可能にしたのが株式時価発行の許可だった。つまり日本の大企業はその信用力を背景に証券市場から無担保で設備投資などの長期資金を調達できるようになったのだ。この時点で政府系長期融資銀行の役割が終わっていたのだ。だが、長期融資銀行はその存続をかけてリスキーな融資を拡大し、墓穴を掘っていく。
都市銀行も同様だった。有力な融資先である大企業が資金調達の多角化を図るにつれ、融資先を中小・中堅企業に広げていった。そのころはまだ都市銀行もかろうじて公的スタンスを維持していた。が、バブル時代に都市銀行は公的スタンスを自ら放棄した。典型的なのがリゾート開発やゴルフ場建設への融資だった。
日本の銀行は欧米の銀行と違って融資を実行する際の基準を担保価値に置いてきた。そのため一般には「日本の銀行は担保主義」と言われている。さらに日本の銀行が担保として評価するのはほとんどのケースが不動産であり、担保としての評価は時価の70%だった。
ところがバブル時代、銀行は一斉にリゾート開発会社やゴルフ場建設企業への過大融資競争を始めた。担保評価基準もリゾート開発予定地やゴルフ場建設予定地の地価の70%どころか、地価の上昇を見込んで80%、90%と融資額を上乗せし、ついには地価を超える(つまり100%以上の)融資さえ常態化していった。
当時首都圏郊外(都心から車で1時間半程度かかる距離の土地)で18ホールのゴルフ場を建設するには200億円かかると言われていた。当時のゴルフ場建設の1例として茨城県の過疎地(東関東自動車道の終点・潮来ICから車で30分かかる土地)に私の友人だった黒沼萬治氏が長年かけてコツコツ用地を買収し、北浦ゴルフクラブを建設した。そのための資金は富士銀行・石川銀行やいわゆるノンバンクのOMCなどが融資してきた。私は黒沼氏の長年の友人だった関係もあり、特別縁故で入会させてもらったが、その時黒沼氏に私の友人も特別縁故で入会させてもらいたいと頼み、10人の枠をもらった。その10人の選別に悩んだが、一応10人を選び声をかけた。10人のうち9人は即答で入会を希望したが、一人だけ2~3日待ってほしいと言ってきた。即答を避けたK氏は取引先の大手銀行の支店長に相談した結果「そんなチャンスを棒に振るなんてばかだ」と言われたと私に伝え入会を申し込んできた。実際特別縁故で新設ゴルフ場の会員券を入手できたのはリクルートコスモスの未公開株を上場直前に政治家たちが格安で買えたのと同じくらいの幸運だった。実際北浦ゴルフクラブの特別縁故の会員券価格は1500万円だったが(うち預託金は1350万円)募集を始める前に予約が殺到し、黒沼氏は特別縁故の当初予定していた定員をかなりオーバーして特別縁故会員として加入させた。その分第1次募集以降の会員数を減らすと同時に会員券価格を少しずつ上乗せし、最終的には4000万円で正会員募集を打ち切った。黒沼氏は正会員の募集を打ち切った後、週日会員を1000万円で募集したが、即日完売となり、朝日新聞が社説で論評抜きでその事実を伝えたほどであった。
実は私や私の友人たちはプレー目的で北浦ゴルフクラブの会員券を買ったわけではなかった。プレーが目的なら私はすでに埼玉と栃木の名門ゴルフクラブの会員だったから、年に数回しかプレーしないだろう北浦ゴルフクラブのメンバーになるために1500万円も投じるのはきちがいじみた行為のはずである。しかし当初1500万円で募集した特別縁故の会員権が数ヶ月後には4000万円でもあっという間に売れた時代だったから、こんなおいしい投資はないはずだった。
そう考えたのは私だけではなかったことが、特別縁故として募集した1500万円の会員券の価格が数ヶ月後には4000万円に跳ね上がったという事実が物語っている。
が、過去にも小バブル崩壊と同時にゴルフブームがあっという間に消え、会員券価格が暴落し、かなりの数のゴルフ場が倒産したりした時代があった、(ゴルフダイジェスト社にその時期を電話で聞いたが「調べてみます」とのことで、数時間後同社から電話があり「そういう時期があったことは確認できたが、時期を特定できる資料がない」とのことだった。私のうろ覚えの記憶ではたぶん30~40年ほど前だったのではないかと思う)。そのことを知っていたから私は黒沼氏に預託金方式ではなく株主会員制にしたほうがいいと何度もアドバイスした。が、黒沼氏は株主会員制にすると自分の思う通りの運営ができなくなると言い張り、私のアドバイスを聞き入れなかった。その結果バブルが崩壊すると同時に預託期間(ゴルフ場によって違うが、おおむね10~15年にしていた)が来たゴルフ場は一斉に会員から預託金返還の訴訟を起こされたのである。この訴訟はすべて会員側の勝訴になったが、ゴルフ場が預託金名目で集めた金は私がブログ「ネズミ講を禁止した政府はなぜ預託金商法を野放しにするのか」で明らかにしたように土地代や芝生、グリーン、わざわざ土地を掘り返して作った池、クラブハウスなどに使われ、会員の預託金返還要求に応じたくても応じようがなかったのである。つまりゴルフ場経営者は最初から預託金を返すつもりなどなく(というより返還要求をされることがありうるという可能性を全く想定せず)、会員から多額の金を預かってきたことになる。私に言わせれば預託金方式で金を集めゴルフ場を建設した経営者は「未必の故意」による詐欺行為をしたのだ。
そこでバブル時代にリゾート開発やゴルフ場建設を行った事業者に多額の融資を行った銀行の姿勢を問わざるをえない。私が北浦ゴルフクラブの会員券を買ったのは1991年、51歳の時だった。その私が既に当時、まだゴルフをやっていなかった頃のゴルフ危機のことを知っていたくらいだから銀行にも過去のゴルフ危機を招いた預託金制度の危険性を知っていた行員はごろごろいたはずである。さらに大手都銀は自行系列のゴルフ場を持っており、ゴルフ場経営の実態も熟知していたはずである。
ゴルフ場の立地条件などによって年間の売上高にはかなりの差があるのは当然だが、先にあげた北浦ゴルフ場のような場合(都心から車で1時間半程度)、年間売上高はバブル時代でもせいぜい10億円前後だった。投下資本が200億円もかかって、売上高が10億円(利益ではなく売上高である)、これがまともな事業と言えるだろうか。そんな事業に銀行はなぜ競うように大金を融資したのか。
その行為を説明できる理由は一つしかない。新設のゴルフ場の特別縁故や第1次募集で買えた会員権は当時、富裕層にとって土地や株以上に短期で巨額の利益を得られることが「確実視」されていたおいしい投機商品だったからだ。つまり銀行にとっても短期間で確実に利息(かなり高めの金利を取っていた)が稼げるおいしい融資対象だったのである。はっきり言えば、儲かりさえすればいい、とほとんどの銀行は考えていたのだ。融資した金が本当に融資先の企業の発展を支えるため、という銀行の社会的使命など完全に失っていたのである。
もう一つ実例を挙げよう。群馬県にベルエアというゴルフ場を造った相武開発という会社があった。その会社にゴルフ場建設の資金を融資したのが住友銀行と群馬銀行だった。そしてその有利な立場を利用して350万円の特別縁故の会員権を100人以上の住友銀行の行員が購入した。そのあと住友銀行の行員は何をしたか。ベルエアゴルフ場の会員券のセールス活動をしたのである。もちろん350万円の特別縁故の会員券ではなく、500万円の第1次募集の会員券を売りまくったのである。これが日本の大銀行がやってきたことなのだ。
またゴルフ場経営者も、ゴルフ場経営で儲けようなどとは思っていず、会員権の販売で300億円の収入が得られれば、ゴルフ場建設に200億円かけても大儲けができるおいしい事業だったのである。
バブル景気が始まったのは1980年代後半だった。だれがまき散らした風評かは今となっては調べようがないが、きっかけは東京がアジアの金融センターになりオフィスが圧倒的に不足するという、馬鹿げたおとぎ話に不動産会社がまず飛びつき、いわゆる地上げ競争を始めたのが土地価格の急上昇を招いたのである。そしてその地上げ資金を提供してきたのも銀行やノンバンクだった。
本来経済活動を行うための基盤になる土地(個人の生活手段としての住宅地は除く)は「根源的生産手段」である(マルクスの剰余価値学説の根幹をなす定義だが、マルクスはアダム・スミスやヘーゲルなどの学説を無断で剽窃しているケースが多いので、この定義もマルクスが初めて主張したかどうかは不明である)。
だが私はこの定義は一部正しかったと考えている。ただ根源的生産手段は土地だけでなく人的労働力も含まれるべきだと私は考えている。こういう書き方をするとこのブログの筆者は共産主義者か、と誤解されそうだが、資本主義経済の大原則は「その経済活動を行うための土地と実際に経済活動を担う労働力の価格が生産活動(あるいはサービス事業)の根源的コスト」なのである。だからアメリカも日本も土地価格や人件費が安い中国など海外に生産拠点を移していったのだ。そして進出先も、高い技術力が要求される製品は韓国など人件費も高い国に、ある程度技術指導すれば欠陥品発生率を下げられる製品は中国に、高度な技術は必要ないような製品はベトナムやタイに、と海外での製造に伴うリスクとコストを天秤に掛けながら生産地を決めてきた。そして海外で低コストで生産した製品は、特にハイテク製品の場合は日本で生産するより製品の欠陥発生率が高くなるのを承知のうえで、消費者から欠陥を指摘された時は製品を丸ごと交換してしまったほうが経済原則に適うと判断しているのだ。
なぜこんな話を書いたかというと、日本の銀行の行動は社会的責任からも経済原則からも大きく逸脱し、社会的使命感を完全に喪失してしまっているからだ。
バブルが崩壊したのは、1990年3月に大蔵省が金融機関に対し不動産への融資を抑制する行政指導を行った(総量規制)のがきっかけである。その結果一直線の右肩上がりを続けてきた地価の上昇がストップし、ゴルフ場などに融資してきた金融機関は一斉に担保割れの状況に陥ったのである。そしてその時点から「失われた10年」(複合不況あるいは平成不況とも言われる)が始まり、その結果、いわゆる資産デフレ時代が長く続き、地価は大都市の商業地区の一部を除き、いまだに下落がとまっていない。
すでに書いたが日本の銀行は担保主義である。担保主義が銀行の発展を支えてきたのは、戦後地価はほぼ一貫して右肩上がりの上昇を続けてきたからである。「土地神話」が崩れるなどとは大銀行のトップも考えたことすらなかった。だからバブル景気華やかだった時期、銀行はそれまでの大原則であった「不動産を担保に融資する際、担保価値を地価の7割とする」という姿勢をいとも簡単に投げ捨て、8割、9割、挙句の果ては10割以上もの掛け目で極めてリスキーな融資を行ってきたのだ。そんな銀行を国民の税金で救済してやる必要などまったくなかったのである。
が、政府は潰した銀行もあったが(北海道拓殖銀行など)、大半の銀行には国民の税金を投入して救済策を実施した。その結果危機を脱した銀行はさらに規模を拡大するため大合併を始めた。いま「メガバンク」と呼ばれているのは三菱東京UFG銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の三行である。
銀行も民間企業である。利益を追求してはいけない、とはいくら私でも主張はしない。しかし銀行は新聞社や鉄道会社、民営化された郵便事業などと同様公的使命が厳しく求められる社会的責任がある。その公的使命とは、繰り返して書くが将来性が見込める企業に、その発展を支えるための資金を融資すること、また国民に対しては住宅取得のための低利融資を厳しい条件をクリアした人に行うことなどである。が、銀行が融資したいと思うほどの将来性が見込める優良企業は担保を提供してまで銀行から金を借りなくても、証券市場でいくらでも資金を調達できるようになったため(東証1部・2部だけでなく、マザーズやヘラクレス、ジャスダックなどの株式市場ができ、かなりいかがわしい企業でも証券市場から直接金融で資金調達ができるようになった)、借り手がどんどん減っていった。そうした場合、普通の民間企業なら需要の減少に応じて供給を削減し(当然リストラを伴う)、需給バランスを取る努力をすることで業績を回復しようとするのが当たり前の行動である。
たとえばかつては日本最大の小売業だったダイエーは、中内功氏の拡大路線が裏目に出て過大な負債を抱えるようになり、破産一歩手前まで追い詰められた。中内氏退陣後のダイエーは需給バランスを回復するため拡大一直線だった店舗の大胆な統廃合に踏み切り、不採算店はどんどん閉鎖していった。それでもいったん消費者に浸透してしまったマイナスイメージはなかなか回復せず苦境をまだ脱していない。それに対しユニクロは経営危機に陥る前に需要の減少をキャッチし、店舗の統廃合を進める一方商品開発も消費者ニーズを再調査し次々にヒット商品の開発に成功、ユニクロ史上最大の利益を計上できるまでに業績を回復した。
ダイエーとユニクロの対照的な経営戦略に触れたのは、この二つのケースから銀行は何を学ぶべきかを言いたかったからである。
今日本だけでなく世界中が金融危機に直面したのは「懲りないアメリカのとばっちり」と言えなくもない。
1980年代、アメリカでは低所得者向けにリスキーな住宅ローンを組んだS&L(貯蓄貸付組合)が何百とアメリカ各地に生まれた。アメリカにも「土地神話」が根付いていたのである。だが、地価の暴落が始まった途端、当然のことだが住宅ローンの焦げ付きが始まった。こうしてS&Lは次々に破たんしていった。
その歴史を繰り返したのがサブプライムローンだった。通常の住宅ローンの審査をパスできない低所得者層向けに住宅ローンを組み、その担保を証券化して世界中のヘッジファンドに売りまくったのである。通常の住宅ローンの審査でははねられるような人を対象に住宅ローンを組むわけだから、当然そのリスクに見合った高金利が設定される。したがってその担保を証券化した場合の利回りはかなり高くなる。そのプライムローンの証券に日本の銀行は飛びついた。つまり日本の銀行はヘッジファンド事業を本業にしてしまったのである。借り手が減り、資金だけがだぶついた銀行はそれまでの拡大路線を維持するため、極めてリスキーな投機ビジネスに本腰を入れていったのだ。その結果昨年度の決算ではメガバンクをはじめほとんどの銀行が史上最高益を出すことができた。昨年まではサブプライムローンが順調に伸びていったからであった。
しかし今年に入り、またしても「土地神話」が崩れたアメリカでサブプライムローンが次々と焦げ付き、担保証券はたちまちにして紙くずと化した。アメリカも懲りなかったが、日本の銀行も懲りなかったのである。
アメリカ発の金融危機は、ブッシュが米証券大手のリーマン・ブラザーズを救済することで金融危機を止めようとしたが、救済策が議会で否決され、リーマン・ブラザーズは破たんした。その結果金融危機が世界中に広まっていく。金融危機が世界中に広がった結果、不況が金融界だけでなく、あらゆる産業を飲み込んでいった。とくに日本の基幹産業の自動車業界は平成不況を上回る危機的状況に陥った。アメリカではビッグ3がいつ倒産してもおかしくないほどの苦境にある。直近に日本の経済界に激震が走ったのはソニーが1万6千人のリストラ(世界中で)を断行すると発表したことだった。
そうした状況の中で日本の政府・与党は銀行を救済すべく暴落した保有株を買い取る方針を明らかにしている。しかしこれまで検証してきたように日本の銀行が危機的状況に陥ったのはあきらかに自己責任である。銀行からの融資に優良企業がそっぽを向き、資金をだぶつかせたのも自己責任である。需給バランスが崩れたら、ユニクロのように店舗の統廃合を行い、その上で魅力ある金融商品を開発し、預金者の信頼を取り戻すための努力をすべきだった。バブル景気が崩壊して不良債権を抱え込んだのも自己責任であったが、政府は銀行が負うべき責任を不問に付し、資金投入して銀行を救済した。その責も政府は負うべきである。
はっきり言おう。メガバンクが潰れるようなことになったら、たとえ自己責任であっても経済界や国民に及ぼすであろう影響は計り知れないものがある。そのことを考えたら、膨大な含み損を抱えてしまった銀行の保有株を買い取り、銀行を救済せざるを得ないことは、釈然とはしないが、やむを得ないだろうと思う。ただしそれには条件がある。自己責任で過大な損失を出した原因は銀行が社会的使命を忘れヘッジファンドを本業にしてしまった事態を根本的に改善することが前提である。たとえば私が住んでいるところの最寄り駅は、私のブログの読者なら小田急の駅であることはご存じだろう。その役は典型的な郊外の住宅地で、商店街らしきものや中小零細企業はせいぜい駅から500メートル圏内にしかない。その狭い商業地区に3大メガバンク、りそな銀行、全国で最大の地方銀行、八千代銀行、信用金庫、郵便局が3局と9金融機関がひしめき合い、証券会社も野村証券、日興コーディアル証券、みずほインベスターズ証券と有力企業が軒を並べている。当然これらの金融機関は駅周辺の一等地に集中している。そんなにたくさんの金融機関が競い合って地域住民から金を集めれば金がだぶつくのは当たり前だ。
これは私ひとりで検証することは不可能なので、金融庁が専門家を集めた諮問機関を作り、その諮問機関が救済対象の銀行に需給バランスがとれる規模(店舗数・行員数・役員数・平均給与など)に縮小することを検討し、その勧告に銀行が応じた場合のみ救済するという厳しい処置をとることである。そうしなければ目先銀行を救済しても、需給バランスが崩れたままだとまた同じ過ちを犯すことは、バブル景気崩壊で不良債権を抱えた銀行を救済した結果が証明しているからだ。(了)
それはそれとして私のブログに対して「suicaはどうなんだ」というまったく的外れなご批判をいただいた。実はオートチャージ式suicaはview(ビュー)suicaと言ってクレジットカードとの一体型カードなのである。
これをご理解いただくにはスーパーなどが発行しているクレジットカードを考えていただくのが早い。たとえば私は大手小売業チェーンを擁するイオンカードを持っているが、このカードにはVISAも付いている。イオン系列のジャスコ、サティ、ビブレ、マックスバリューなどではイオンカードがそのまま使えるし、それ以外のVISAが使える店ではVISAカードとして使えるが、銀行からの引き落とし(決済)はイオンカードとして一括して行われる。同様にsuicaもオートチャージ機能が付いたview suicaにはVISAやMasterCardなど大手クレジット会社のクレジット機能(その選択はカード購入者が自由に選べる)が付いており、JR東日本と契約を結んでいる小売店などはクレジット機能があるビューカードで支払うことができるし、それ以外の店ではview suicaについている大手クレジット会社のカードで支払い、銀行からの引き落としはビューカードで一括して行われる。従ってPASMOのように紛失して不正チャージされてもクレジットカードとしての補償が適用される。ただし、不正チャージされる以前にチャージされていた残高はクレジット払いではない電子マネーとして物品購入時に即座に引き落とされてしまうため、JRの駅に届け出て使用停止の手続きを取るまでは補償されない。「suicaはどうなんだ」と私のパスモ告発にちゃちを入れた人は自分でsuicaとPASMOの全く違う安全対策を調べてから批判するなら批判してほしい。
というわけで、今回のブログ記事はPASMO問題からいったん離れて世界中に広まりつつある金融危機について私論を述べる(この記事は8月25日に投稿した「ネズミ講を禁止した政府はなぜ預託金商法を野放しするのか」の続編として書く予定だった「詐欺的預託金商法に手を貸した金融機関の罪」で告発するつもりだった銀行批判と重なるため、このブログの中で書くことにする)。
戦後日本の経済再建と経済大国に躍進する過程で、金融機関の果たした役割は決して小さくなかった。大企業の設備投資のための資金を提供してきたのが興銀などの政府系長期融資銀行、大企業の運転資金などの短中期資金を提供してきた都市銀行、地域に根ざして発展を目指した中小・中堅企業を支えてきたのが地方銀行、そして零細商店の資金需要にこたえてきたのが信用金庫や信用組合と、それぞれ融資先のすみわけができていた。
しかし1970年の日本万国博覧会を契機に経済大国への道を歩み始めた日本の産業界の資金需要の多角化を可能にしたのが株式時価発行の許可だった。つまり日本の大企業はその信用力を背景に証券市場から無担保で設備投資などの長期資金を調達できるようになったのだ。この時点で政府系長期融資銀行の役割が終わっていたのだ。だが、長期融資銀行はその存続をかけてリスキーな融資を拡大し、墓穴を掘っていく。
都市銀行も同様だった。有力な融資先である大企業が資金調達の多角化を図るにつれ、融資先を中小・中堅企業に広げていった。そのころはまだ都市銀行もかろうじて公的スタンスを維持していた。が、バブル時代に都市銀行は公的スタンスを自ら放棄した。典型的なのがリゾート開発やゴルフ場建設への融資だった。
日本の銀行は欧米の銀行と違って融資を実行する際の基準を担保価値に置いてきた。そのため一般には「日本の銀行は担保主義」と言われている。さらに日本の銀行が担保として評価するのはほとんどのケースが不動産であり、担保としての評価は時価の70%だった。
ところがバブル時代、銀行は一斉にリゾート開発会社やゴルフ場建設企業への過大融資競争を始めた。担保評価基準もリゾート開発予定地やゴルフ場建設予定地の地価の70%どころか、地価の上昇を見込んで80%、90%と融資額を上乗せし、ついには地価を超える(つまり100%以上の)融資さえ常態化していった。
当時首都圏郊外(都心から車で1時間半程度かかる距離の土地)で18ホールのゴルフ場を建設するには200億円かかると言われていた。当時のゴルフ場建設の1例として茨城県の過疎地(東関東自動車道の終点・潮来ICから車で30分かかる土地)に私の友人だった黒沼萬治氏が長年かけてコツコツ用地を買収し、北浦ゴルフクラブを建設した。そのための資金は富士銀行・石川銀行やいわゆるノンバンクのOMCなどが融資してきた。私は黒沼氏の長年の友人だった関係もあり、特別縁故で入会させてもらったが、その時黒沼氏に私の友人も特別縁故で入会させてもらいたいと頼み、10人の枠をもらった。その10人の選別に悩んだが、一応10人を選び声をかけた。10人のうち9人は即答で入会を希望したが、一人だけ2~3日待ってほしいと言ってきた。即答を避けたK氏は取引先の大手銀行の支店長に相談した結果「そんなチャンスを棒に振るなんてばかだ」と言われたと私に伝え入会を申し込んできた。実際特別縁故で新設ゴルフ場の会員券を入手できたのはリクルートコスモスの未公開株を上場直前に政治家たちが格安で買えたのと同じくらいの幸運だった。実際北浦ゴルフクラブの特別縁故の会員券価格は1500万円だったが(うち預託金は1350万円)募集を始める前に予約が殺到し、黒沼氏は特別縁故の当初予定していた定員をかなりオーバーして特別縁故会員として加入させた。その分第1次募集以降の会員数を減らすと同時に会員券価格を少しずつ上乗せし、最終的には4000万円で正会員募集を打ち切った。黒沼氏は正会員の募集を打ち切った後、週日会員を1000万円で募集したが、即日完売となり、朝日新聞が社説で論評抜きでその事実を伝えたほどであった。
実は私や私の友人たちはプレー目的で北浦ゴルフクラブの会員券を買ったわけではなかった。プレーが目的なら私はすでに埼玉と栃木の名門ゴルフクラブの会員だったから、年に数回しかプレーしないだろう北浦ゴルフクラブのメンバーになるために1500万円も投じるのはきちがいじみた行為のはずである。しかし当初1500万円で募集した特別縁故の会員権が数ヶ月後には4000万円でもあっという間に売れた時代だったから、こんなおいしい投資はないはずだった。
そう考えたのは私だけではなかったことが、特別縁故として募集した1500万円の会員券の価格が数ヶ月後には4000万円に跳ね上がったという事実が物語っている。
が、過去にも小バブル崩壊と同時にゴルフブームがあっという間に消え、会員券価格が暴落し、かなりの数のゴルフ場が倒産したりした時代があった、(ゴルフダイジェスト社にその時期を電話で聞いたが「調べてみます」とのことで、数時間後同社から電話があり「そういう時期があったことは確認できたが、時期を特定できる資料がない」とのことだった。私のうろ覚えの記憶ではたぶん30~40年ほど前だったのではないかと思う)。そのことを知っていたから私は黒沼氏に預託金方式ではなく株主会員制にしたほうがいいと何度もアドバイスした。が、黒沼氏は株主会員制にすると自分の思う通りの運営ができなくなると言い張り、私のアドバイスを聞き入れなかった。その結果バブルが崩壊すると同時に預託期間(ゴルフ場によって違うが、おおむね10~15年にしていた)が来たゴルフ場は一斉に会員から預託金返還の訴訟を起こされたのである。この訴訟はすべて会員側の勝訴になったが、ゴルフ場が預託金名目で集めた金は私がブログ「ネズミ講を禁止した政府はなぜ預託金商法を野放しにするのか」で明らかにしたように土地代や芝生、グリーン、わざわざ土地を掘り返して作った池、クラブハウスなどに使われ、会員の預託金返還要求に応じたくても応じようがなかったのである。つまりゴルフ場経営者は最初から預託金を返すつもりなどなく(というより返還要求をされることがありうるという可能性を全く想定せず)、会員から多額の金を預かってきたことになる。私に言わせれば預託金方式で金を集めゴルフ場を建設した経営者は「未必の故意」による詐欺行為をしたのだ。
そこでバブル時代にリゾート開発やゴルフ場建設を行った事業者に多額の融資を行った銀行の姿勢を問わざるをえない。私が北浦ゴルフクラブの会員券を買ったのは1991年、51歳の時だった。その私が既に当時、まだゴルフをやっていなかった頃のゴルフ危機のことを知っていたくらいだから銀行にも過去のゴルフ危機を招いた預託金制度の危険性を知っていた行員はごろごろいたはずである。さらに大手都銀は自行系列のゴルフ場を持っており、ゴルフ場経営の実態も熟知していたはずである。
ゴルフ場の立地条件などによって年間の売上高にはかなりの差があるのは当然だが、先にあげた北浦ゴルフ場のような場合(都心から車で1時間半程度)、年間売上高はバブル時代でもせいぜい10億円前後だった。投下資本が200億円もかかって、売上高が10億円(利益ではなく売上高である)、これがまともな事業と言えるだろうか。そんな事業に銀行はなぜ競うように大金を融資したのか。
その行為を説明できる理由は一つしかない。新設のゴルフ場の特別縁故や第1次募集で買えた会員権は当時、富裕層にとって土地や株以上に短期で巨額の利益を得られることが「確実視」されていたおいしい投機商品だったからだ。つまり銀行にとっても短期間で確実に利息(かなり高めの金利を取っていた)が稼げるおいしい融資対象だったのである。はっきり言えば、儲かりさえすればいい、とほとんどの銀行は考えていたのだ。融資した金が本当に融資先の企業の発展を支えるため、という銀行の社会的使命など完全に失っていたのである。
もう一つ実例を挙げよう。群馬県にベルエアというゴルフ場を造った相武開発という会社があった。その会社にゴルフ場建設の資金を融資したのが住友銀行と群馬銀行だった。そしてその有利な立場を利用して350万円の特別縁故の会員権を100人以上の住友銀行の行員が購入した。そのあと住友銀行の行員は何をしたか。ベルエアゴルフ場の会員券のセールス活動をしたのである。もちろん350万円の特別縁故の会員券ではなく、500万円の第1次募集の会員券を売りまくったのである。これが日本の大銀行がやってきたことなのだ。
またゴルフ場経営者も、ゴルフ場経営で儲けようなどとは思っていず、会員権の販売で300億円の収入が得られれば、ゴルフ場建設に200億円かけても大儲けができるおいしい事業だったのである。
バブル景気が始まったのは1980年代後半だった。だれがまき散らした風評かは今となっては調べようがないが、きっかけは東京がアジアの金融センターになりオフィスが圧倒的に不足するという、馬鹿げたおとぎ話に不動産会社がまず飛びつき、いわゆる地上げ競争を始めたのが土地価格の急上昇を招いたのである。そしてその地上げ資金を提供してきたのも銀行やノンバンクだった。
本来経済活動を行うための基盤になる土地(個人の生活手段としての住宅地は除く)は「根源的生産手段」である(マルクスの剰余価値学説の根幹をなす定義だが、マルクスはアダム・スミスやヘーゲルなどの学説を無断で剽窃しているケースが多いので、この定義もマルクスが初めて主張したかどうかは不明である)。
だが私はこの定義は一部正しかったと考えている。ただ根源的生産手段は土地だけでなく人的労働力も含まれるべきだと私は考えている。こういう書き方をするとこのブログの筆者は共産主義者か、と誤解されそうだが、資本主義経済の大原則は「その経済活動を行うための土地と実際に経済活動を担う労働力の価格が生産活動(あるいはサービス事業)の根源的コスト」なのである。だからアメリカも日本も土地価格や人件費が安い中国など海外に生産拠点を移していったのだ。そして進出先も、高い技術力が要求される製品は韓国など人件費も高い国に、ある程度技術指導すれば欠陥品発生率を下げられる製品は中国に、高度な技術は必要ないような製品はベトナムやタイに、と海外での製造に伴うリスクとコストを天秤に掛けながら生産地を決めてきた。そして海外で低コストで生産した製品は、特にハイテク製品の場合は日本で生産するより製品の欠陥発生率が高くなるのを承知のうえで、消費者から欠陥を指摘された時は製品を丸ごと交換してしまったほうが経済原則に適うと判断しているのだ。
なぜこんな話を書いたかというと、日本の銀行の行動は社会的責任からも経済原則からも大きく逸脱し、社会的使命感を完全に喪失してしまっているからだ。
バブルが崩壊したのは、1990年3月に大蔵省が金融機関に対し不動産への融資を抑制する行政指導を行った(総量規制)のがきっかけである。その結果一直線の右肩上がりを続けてきた地価の上昇がストップし、ゴルフ場などに融資してきた金融機関は一斉に担保割れの状況に陥ったのである。そしてその時点から「失われた10年」(複合不況あるいは平成不況とも言われる)が始まり、その結果、いわゆる資産デフレ時代が長く続き、地価は大都市の商業地区の一部を除き、いまだに下落がとまっていない。
すでに書いたが日本の銀行は担保主義である。担保主義が銀行の発展を支えてきたのは、戦後地価はほぼ一貫して右肩上がりの上昇を続けてきたからである。「土地神話」が崩れるなどとは大銀行のトップも考えたことすらなかった。だからバブル景気華やかだった時期、銀行はそれまでの大原則であった「不動産を担保に融資する際、担保価値を地価の7割とする」という姿勢をいとも簡単に投げ捨て、8割、9割、挙句の果ては10割以上もの掛け目で極めてリスキーな融資を行ってきたのだ。そんな銀行を国民の税金で救済してやる必要などまったくなかったのである。
が、政府は潰した銀行もあったが(北海道拓殖銀行など)、大半の銀行には国民の税金を投入して救済策を実施した。その結果危機を脱した銀行はさらに規模を拡大するため大合併を始めた。いま「メガバンク」と呼ばれているのは三菱東京UFG銀行、三井住友銀行、みずほ銀行の三行である。
銀行も民間企業である。利益を追求してはいけない、とはいくら私でも主張はしない。しかし銀行は新聞社や鉄道会社、民営化された郵便事業などと同様公的使命が厳しく求められる社会的責任がある。その公的使命とは、繰り返して書くが将来性が見込める企業に、その発展を支えるための資金を融資すること、また国民に対しては住宅取得のための低利融資を厳しい条件をクリアした人に行うことなどである。が、銀行が融資したいと思うほどの将来性が見込める優良企業は担保を提供してまで銀行から金を借りなくても、証券市場でいくらでも資金を調達できるようになったため(東証1部・2部だけでなく、マザーズやヘラクレス、ジャスダックなどの株式市場ができ、かなりいかがわしい企業でも証券市場から直接金融で資金調達ができるようになった)、借り手がどんどん減っていった。そうした場合、普通の民間企業なら需要の減少に応じて供給を削減し(当然リストラを伴う)、需給バランスを取る努力をすることで業績を回復しようとするのが当たり前の行動である。
たとえばかつては日本最大の小売業だったダイエーは、中内功氏の拡大路線が裏目に出て過大な負債を抱えるようになり、破産一歩手前まで追い詰められた。中内氏退陣後のダイエーは需給バランスを回復するため拡大一直線だった店舗の大胆な統廃合に踏み切り、不採算店はどんどん閉鎖していった。それでもいったん消費者に浸透してしまったマイナスイメージはなかなか回復せず苦境をまだ脱していない。それに対しユニクロは経営危機に陥る前に需要の減少をキャッチし、店舗の統廃合を進める一方商品開発も消費者ニーズを再調査し次々にヒット商品の開発に成功、ユニクロ史上最大の利益を計上できるまでに業績を回復した。
ダイエーとユニクロの対照的な経営戦略に触れたのは、この二つのケースから銀行は何を学ぶべきかを言いたかったからである。
今日本だけでなく世界中が金融危機に直面したのは「懲りないアメリカのとばっちり」と言えなくもない。
1980年代、アメリカでは低所得者向けにリスキーな住宅ローンを組んだS&L(貯蓄貸付組合)が何百とアメリカ各地に生まれた。アメリカにも「土地神話」が根付いていたのである。だが、地価の暴落が始まった途端、当然のことだが住宅ローンの焦げ付きが始まった。こうしてS&Lは次々に破たんしていった。
その歴史を繰り返したのがサブプライムローンだった。通常の住宅ローンの審査をパスできない低所得者層向けに住宅ローンを組み、その担保を証券化して世界中のヘッジファンドに売りまくったのである。通常の住宅ローンの審査でははねられるような人を対象に住宅ローンを組むわけだから、当然そのリスクに見合った高金利が設定される。したがってその担保を証券化した場合の利回りはかなり高くなる。そのプライムローンの証券に日本の銀行は飛びついた。つまり日本の銀行はヘッジファンド事業を本業にしてしまったのである。借り手が減り、資金だけがだぶついた銀行はそれまでの拡大路線を維持するため、極めてリスキーな投機ビジネスに本腰を入れていったのだ。その結果昨年度の決算ではメガバンクをはじめほとんどの銀行が史上最高益を出すことができた。昨年まではサブプライムローンが順調に伸びていったからであった。
しかし今年に入り、またしても「土地神話」が崩れたアメリカでサブプライムローンが次々と焦げ付き、担保証券はたちまちにして紙くずと化した。アメリカも懲りなかったが、日本の銀行も懲りなかったのである。
アメリカ発の金融危機は、ブッシュが米証券大手のリーマン・ブラザーズを救済することで金融危機を止めようとしたが、救済策が議会で否決され、リーマン・ブラザーズは破たんした。その結果金融危機が世界中に広まっていく。金融危機が世界中に広がった結果、不況が金融界だけでなく、あらゆる産業を飲み込んでいった。とくに日本の基幹産業の自動車業界は平成不況を上回る危機的状況に陥った。アメリカではビッグ3がいつ倒産してもおかしくないほどの苦境にある。直近に日本の経済界に激震が走ったのはソニーが1万6千人のリストラ(世界中で)を断行すると発表したことだった。
そうした状況の中で日本の政府・与党は銀行を救済すべく暴落した保有株を買い取る方針を明らかにしている。しかしこれまで検証してきたように日本の銀行が危機的状況に陥ったのはあきらかに自己責任である。銀行からの融資に優良企業がそっぽを向き、資金をだぶつかせたのも自己責任である。需給バランスが崩れたら、ユニクロのように店舗の統廃合を行い、その上で魅力ある金融商品を開発し、預金者の信頼を取り戻すための努力をすべきだった。バブル景気が崩壊して不良債権を抱え込んだのも自己責任であったが、政府は銀行が負うべき責任を不問に付し、資金投入して銀行を救済した。その責も政府は負うべきである。
はっきり言おう。メガバンクが潰れるようなことになったら、たとえ自己責任であっても経済界や国民に及ぼすであろう影響は計り知れないものがある。そのことを考えたら、膨大な含み損を抱えてしまった銀行の保有株を買い取り、銀行を救済せざるを得ないことは、釈然とはしないが、やむを得ないだろうと思う。ただしそれには条件がある。自己責任で過大な損失を出した原因は銀行が社会的使命を忘れヘッジファンドを本業にしてしまった事態を根本的に改善することが前提である。たとえば私が住んでいるところの最寄り駅は、私のブログの読者なら小田急の駅であることはご存じだろう。その役は典型的な郊外の住宅地で、商店街らしきものや中小零細企業はせいぜい駅から500メートル圏内にしかない。その狭い商業地区に3大メガバンク、りそな銀行、全国で最大の地方銀行、八千代銀行、信用金庫、郵便局が3局と9金融機関がひしめき合い、証券会社も野村証券、日興コーディアル証券、みずほインベスターズ証券と有力企業が軒を並べている。当然これらの金融機関は駅周辺の一等地に集中している。そんなにたくさんの金融機関が競い合って地域住民から金を集めれば金がだぶつくのは当たり前だ。
これは私ひとりで検証することは不可能なので、金融庁が専門家を集めた諮問機関を作り、その諮問機関が救済対象の銀行に需給バランスがとれる規模(店舗数・行員数・役員数・平均給与など)に縮小することを検討し、その勧告に銀行が応じた場合のみ救済するという厳しい処置をとることである。そうしなければ目先銀行を救済しても、需給バランスが崩れたままだとまた同じ過ちを犯すことは、バブル景気崩壊で不良債権を抱えた銀行を救済した結果が証明しているからだ。(了)
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