金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

「春を背負って」~歩きたくなる黒部を囲む山々

2014年06月18日 | 映画

「春を背負って」を観た。

Spring笹本稜平氏の原作を読んだ時から観たいと思っていた映画だ。

原作とは舞台が異なり、エピソードも少し違う。父の死後都会で仕事をしていた一人息子が山小屋を継ぐ、という大筋は同じだが、原作の奥秩父・梓小屋は映画では立山の大汝小屋に変わっている。なお実際には大汝山山頂付近にあるのは休憩所で宿泊できる小屋ではない。

「剣岳 点の記」を作成した木村大作の映画だが、山岳映画としての迫力は「点の記」の方が上である。これは剣岳と立山(大汝山)の迫力の違いからくるものだろう。

山小屋を継ぐ長嶺亨(松山ケンイチ)は、亡父・勇夫(小林薫)に助けられた後山小屋の仕事を手伝うようになった高澤愛(蒼井優)や勇夫の山岳部の後輩・多田悟郎(豊川悦司)の助けを借りて山小屋の運営を行っていく。

亨・愛・悟郎それぞれ理由は違うが、いままでの街の暮らしに疲れた人たちだ。彼らが山小屋で一緒に仕事をしながら、家族のように絆を強めていくというのがこの映画のテーマだ。

「山は心の避難場所」であり「山小屋は心の重荷を下ろす場所」なのだ。

ディーラーとして多額の金を右から左に動かして浮利を得てきた亨はその仕事が空しく、山小屋の暮らしこそ本当の仕事だと感じ始める。

恐らくこの映画は山好き中高年が多く見に来る映画だろう。もし中高年(私を含めて)が主人公・亨たちに深く共感するとすれば、我々もまた長い人生の間背負ってきた荷物を降ろし、景色の良い峠でdeep breathingをしながら、ここにこそリアルな生活があったと感じ始めているからだろう。

山の映像としては目の前の剣岳はいうに及ばず、黒部渓谷を挟んで対峙する鹿島槍ヶ岳や針ノ木岳、そして黒部源流の山々やその向こうの槍ヶ岳が美しかった。

立山から薬師岳を超えて黒部五郎岳から槍ヶ岳へ歩いてみたくなる映画だった。

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生煮えな「小さいおうち」

2014年02月19日 | 映画

山田洋二監督の映画「小さいおうち」を観てきた。封切後3週間ほど経つが、雑用や関東地方の大雪などが重なって中々観に行くチャンスがなかったのだ。だが女中役を演じた黒木華がベルリン映画祭で最優秀女優賞を獲得したことにも背中を押されて出かけた次第。

まずザックと感想を述べると「色々な具材が入っていて少し懐かしい感じはするがほとんど生煮え」というのが私の印象である。

東京大田区の赤い屋根のモダンな住宅(平井宅)で女中として働き始めたタキはその家の一人息子の看病などを通じて、奥さんの時子(松たか子)に可愛がられていく。その頃南京が陥落(1937年昭和12年)。時局は泥沼化に向かっているが、平井宅に集まるおもちゃ会社の幹部たちは目先の勝利に浮かれていた。

そのおもちゃ会社の若い新入社員(吉岡秀隆演じる板倉)と時子は道ならぬ恋に落ちていく。もっとも映像は抑制的で肉感的な感じはしないが、一方何故二人が道ならぬ恋に落ちていくのか十分説明的でもない。

そもそもご主人(片岡幸太郎)と奥さんは仲が悪いのか?意思の疎通が不十分でご主人が一方的なところはあるが、戦前の家庭の平均から考えると普通程度ではないだろうか?

この夫婦は東京大空襲で赤い屋根の自宅を焼かれ、自宅前の防空壕で抱き合って死んでいったと映画は説明するので夫婦仲がひどく悪かったとは思われない。またご主人が浮気をしていた形跡もない。なのに何故奥さんは若い板倉に惹かれていくのか?それは板倉の持つ「初々しさ」「弱さ(徴兵検査は丙種合格、でも最終的には招集された)」「優しさ」が女心を揺さぶったのか?

二人の道ならぬ恋を知るようになったタキもまた密かな思いを板倉に寄せていた。そしてタキは奥さんがタキに託した板倉宛の手紙を渡さずに生涯の秘密として隠し持ち続ける・・・・・

というお膳立てなのだが、色々な具材は力不足で生煮えだと私は感じた。

まずタキが秘密とした手紙の重みだ。所詮人妻が間もなく入営する若い男を最後に一目見たいと呼び出す手紙なのだ。生涯の秘密にするほど重みがあるのか?というのが私の印象だ。

道ならぬ恋を可とするか不可とするかは別として、それが命を懸けたもので、世間体もはばからずというのであれば、それはそれなりに緊張感はあったのだが、「戦時下に人妻が喫茶店で若い男とひそひそ話をしているのは人聞きが悪い」という程度では恋愛話としては生煮え過ぎる。

この映画には通奏低音として「反戦」思想が流れているという人がいるが、その音はあまり私には響いてこなかった。むしろ日中15年戦争の最中の昭和12年頃の日本は意外に明るくモノも豊富だったことや、多くの庶民が目先の勝利に浮かれている様が印象深かった。

戦前にノスタルジーを感じる人にはある種のカタルシスをもたらす映画かもしれないが、私には生煮え感が強かった。

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「終戦のエンペラー」~史実へのラブロマンスの夾雑

2013年08月25日 | 映画

映画「終戦のエンペラー」が上映されて1ヶ月ほどになる先日ぶらりと出かけて観てきた。

ストーリーの骨子は、マッカーサー元帥の幕僚として来日したボナ・フェラーズ准将は「天皇の戦争責任の有無」について10日でまとめるよう元帥から命じられる。フェラーズは近衛文麿など昭和天皇の側近と面談し、開戦に関する天皇の関与を調べるが要領を得ない日本の要人の回答に苛立ち、一時は有責論に傾く。だが最終的には木戸内大臣の「戦争を集結させたのは天皇の力だった」という陳述を重視し、天皇を有罪にすると日本は破綻し、100万人の進駐軍の派兵が必要というレポートをまとめた。天皇については戦犯とみなせる確実な証拠がなかったと述べた。

このレポートは天皇制の温存により、日本の再建を目論むマッカーサー元帥の意にかない、マッカーサーと天皇の会談につながった。

なおメインテーマの伴奏のように、フェラーズが日本人の恋人「あや」を探す場面や二人の思い出のシーンが流れる。

後で調べたところでは、フェラーズには渡辺ゆり(後に結婚して一色ゆり)という米国留学生の友人がいて、フェラーズは戦前に来日した時、一色ゆりやその先生の河井道と合っている。映画中のヒロイン「島田あや」はこのような事実を脚色したものだろうが、何故真実を映画にしなかったのだろうか?

昔の恋人の国を救うために天皇に寛大な処置をとった、というラブストーリーが観客受けするという判断だったのだろうか?あるいはこの映画はフィクションで総てが事実であるというメッセージを残したかったのだろうか?

映画製作者の意図は分からない。しかし私は戦争責任の調査にあたるフェラーズが河井道や一色ゆりと会い、彼女らの意見に強い衝撃を受けて天皇制存続に動いた、という史実の方が迫力があったのではないだろうか?と考えている。

当時米国の世論の7割は天皇の処刑を望んでいたが、マッカーサー元帥はフェラーズのレポートに力を得て、天皇の戦争責任を問わないことにした。それが日本再建の最善策と判断したのだ。

☆   ☆   ☆

アメリカ人には「原理原則を重視する」面と「現実的に上手く行けば原理原則は無視しても良い」というプラグマティックな面があると私は考えている。後者の例としては「不法に移住した移民でも長期に米国に暮らしている人には永住権を与える」法律とか司法取引などが思いつく。

天皇の戦争責任問題についても「戦争責任があるかないか」という判断を避けて、天皇の処刑や天皇制の廃止が、日本の大混乱や共産化につながるというプラグマティックな判断基準で判断したのだ。

正義は英語ではJusticeというが、Justiceには「正義」の他に「当然の報い」という意味がある。「当然の報い」が戦勝者によってなされる時、それが「過度の懲罰」や「復讐」の可能性を内包すると私は考える。人は神様ほど公平無私にはできていない。

世界には色々な宗教・文化・文明がありそれぞれに原理原則がある。時に原理原則に固執すると大きな惨事を招くことがある。プラグマティクな判断は時にきわめて重要であるということをもっと打ち出して欲しかったが、映画ではラブロマンスが夾雑していたと私は感じた。

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映画「風立ちぬ」、牛が引く戦闘機に日本を見た

2013年07月25日 | 映画

過日今話題の「風立ちぬ」を見た。清々しい良い映画だったと思う。映画全般の評価は、詳しい人に任せるとして、私が興味を持ったシーンは、二郎たちが作った戦闘機が牛が引く荷車で飛行場に運ばれていくシーンだ。

欧米列強に並ぶべく独自に戦闘機を開発する設計力とそれに見合う運搬力を持たないというアンバランス。このシーンに宮崎監督のどれほどの思い入れがあるのかは知らないが私は第二次大戦における日本の戦争突入の原因と敗因を見事に象徴していると感じた。

ゼロ戦、酸素魚雷など部分的には日本は優れた兵器を開発した。当時から戦術的には過去の遺物となっていたが戦艦大和や武蔵も当時のハイテクのかたまりだった。この一部の優れた兵器を軍部が国民に喧伝して「日本は強い、米英とも戦える」という神話が醸成され多くの国民がそれに酔った。そして神話を語っている内に、冷静であるべき指揮官まで「敵を知り己を知る」ことを忘れてしまった。それが戦争突入の原因である。

だが優れた兵器はそれを運用する基盤がなくてはならない。南洋の島で日本軍がつるはしで土を起こし、もっこで土を運んでいる時、米軍はブルドーザーで一気に飛行場を建設していった。これでは日本の飛行機の性能が優秀だとしても運用力で太刀打ちすることはできない。

情報と兵站の軽視、はっきりいうと無視が日本の敗因である。武道には「技は力のうちにあり」という言葉があるが、部分的に優れた技術があっても、牛に戦闘機を引かせているような国力では、米国とまともに戦うことは無理だったと示唆するシーンだったと私は感じている。

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「あなたへ」の中の剱岳

2012年09月05日 | 映画

高倉健さん主演の映画「あなたへ」を観てきた。健さん演じる富山刑務所の指導技官のもとに亡き妻からの手紙が届く。手紙には自分の遺骨を故郷・平戸の海に散骨して欲しいと書いてあった。退職後は妻と全国を旅行するつもりで改装していたワゴン車に乗り、健さんは平戸を目指す。各地の風景がなかなか素晴らしい。

中でも富山刑務所から仰ぐ剱岳の荒々しくたくましい山塊が素晴らしい。山のことにあまり関心のないワイフですら「あの山なんていうの?」と聞いてきた位だ。

カシミールという地図ソフトを使って、富山刑務所付近の上空から剱岳の写真をバーチャルに撮影してみた。

Turugivirtual

右が南で立山につながり、左は北で赤谷山につながっていく。左端のV字の切れ込みは「大窓」だろう。「あなたへ」では時々剱岳から立山にかけての雄大な山塊が映し出される。山は脇役の脇役に過ぎないが、見る人に自然は大きいなぁと感じさせる効果がある。

テーマは違うが中年夫婦の自分のやりたいことに対する思い入れのスレ違いを描いたRailways~愛を伝えられない大人たちへ~という映画を半年ほど前に観た。退職寸前の富山地鉄の運転手さんとその妻が主人公の映画で、ここでも剱岳から立山にかけての山岳風景が美しかった。

一般の映画に登場する美しい山岳風景というと、藤沢周平の一連の作品では春先のどっぷり雪を被った月山が映し出されることが多い。剣立山連峰と富山平野、月山と庄内平野。雪を頂いた大きな山を見て暮らした人々。共通することは多いのだろうか?

美しい山は又厳しい。今年登ることができた山に来年もまた登ることができるという保証はない。人生もまた山と同じく一期一会である。

「あなたへ」のテーマも一期一会。そして夫婦といえど本当の気持ちは口では説明できない、ということもこの映画がテーマなのだろう。剱岳は美しくも厳しい人間関係のメタファーである。

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