暑い週末に藤沢周平の「市塵」(しじん)を読んだ。「市塵」は江戸中期の儒者にして幕府の政治顧問を務めた新井白石を主人公とした歴史小説で、藤沢はこの小説で芸術選奨文化大臣賞を受賞している。私は藤沢周平の小説の中で「市塵」を一方の頂点だと考えている。そしてもう一つの頂点は何か?というと「蝉しぐれ」ということになるだろう。
「蝉しぐれ」はテレビドラマや映画になっている様に、淡い恋愛や斬り合いの場面が多く一般受けする。一方「市塵」は地味で一般受けはしないかもしれない。しかし「市塵」を読むと「随分調べているなぁ」「もとでがかかっているなぁ」という印象を受ける。
藤沢周平は「書斎のことなど」というエッセーの中で「(小説を書くには)高い本を買ったり旅行をしたりという、もとでがかかる。もとでのかからない小説は、さほどよくないのである」と書いているが、「市塵」はまさにもとでのかかっている小説である。そのことは巻末の参考文献リストを見ると分かる。
さて私が何故「市塵」に深い感銘を覚えるかというと、新井白石の人生の中に現在にも共通する人生の哀歓を見出すからだ。仕えていた堀田家の財政事情から勤めを辞めた白石は37歳の時に「侍講」(お抱え学者)として甲府綱豊に仕えた。甲府綱豊は後に五代将軍綱吉の後を襲い六代将軍家宣となる。
新井白石はこの家宣の下で側用人・間部詮房とともに綱吉時代の悪政を改めるべく色々な改革を進めていく。それは生類憐みの令の廃止であり、貨幣改鋳であり、朝鮮通信使との対等外交の推進であった。おのれを知り任せてくれる上司に出会えた喜び・・・・学者にとどまることよりも学問を実践に生かすことに重きを置いた白石にとって家宣との出会い程幸いなことはなかったろう。
しかし良い日は長続きしない。将軍の座について3年で家宣は死を迎える。死を覚悟した家宣が間部詮房を通じて、白石に自分の後継者問題を諮問する。このシーンが「市塵」の中で最もドラマティックな場面だろう。
・・・こみ上げて来たのは、お上はもはや死を覚悟しておられるという思いだった。答え終わってはじめて、白石は今日の問答がことごとく、家宣の死を前提にしたものだったことに気づいている。白石は袴の膝をつかんで、涙を流しつづけた。(「市塵」)
家宣の後は幼い家継が後を継ぐが、詮房・白石の勢力は次第に力を失い数年後家継が死に吉宗が八代将軍になった時彼等は失脚する。失脚後白石は学者に戻り、いくつかの著書を残す。「市塵」は最後はこうだ。
(白石は)命がようやく枯渇しかけているのを感じていたが、「史疑」を書き上げないうちは死ぬわけにはいかぬと思った。行燈(あんどん)の灯が、白髪蒼顔の、疲れて幽鬼のような相貌になった老人を照らしていた。
「市塵」は甘い小説ではない。しかし男というものがこの世で何かをなし、そして失望しそれでもなお何かをなそうと死の間際まで前向きに生き続ける姿を描いたという点で心を打つ小説であり、藤沢文学のひとつの頂点である。