昨日ボランティアの日本語教室で、中国人の生徒とデンマーク人の生徒を同時に教えていました。この日はスタッフ(先生)の欠席が多く、一対一のレッスンでは追いつかなったかったのです。
二人の生徒に聞いたところ、カタカナ表記される外来語は、発音や意味が違うことが多く、理解に苦しむことがあるという話でした。
またパーソナル・コンピューターをパソコンと略するような外来語の略語も外国人を困惑させることがあります。
その代表例は、最近東京都で防止条例が制定されたカスタマーハラスメントでしょう。「カスハラってわかる?」と二人の生徒に聞いたところ答はNo.
そこで「カスタマーハラスメントは?」と聞いたのですが、今一つピンとこなかったようです。
その理由は何だろうか?と考えてみました。
一つは「顧客が従業員に威張り散らしたり、不当な要求をする」カスタマーハラスメントという行為が日本に較べて少ない(日本では従業員の46.8%がカスハラを経験しているという調査報告があります)のではないか?という推測です。日本では「お客様は神様」という考え方がありますが、欧米諸国では、顧客と物品・サービスの売り手はもっと対等ですから、顧客が従業員に威張り散らすということはそれほど多くないのではないかという推論です。
もう一つは「カスタマーハラスメント」という行為はあってもそれを別の呼び方をしているからカスハラが伝わらないという可能性です。
AIで調べてみると英語圏ではカスタマーハラスメントではなく、cistomer abuse(顧客虐待)とかcustomer bullying(顧客いじめ)という言葉の方が多く使われているということでした。
ところでハラスメントの省略形は沢山あります。
パワハラやセクハラは多くの人が知っていますが、次のようなハラスメントはご存じですか?
モラハラ、アカハラ、マタハラ、レイハラ、オタハラ、サイハラ…
レイハラはレイシャルハラスメントで人種や民族に基ずく差別的な言動や行為を指します。サイハラはSNSや掲示板などで他人を誹謗中傷する行為です。
ところで「パワハラ」「セクハラ」などと略語を使うと、それらの行為の罪悪性が軽く感じられると思うことはありませんか?
私は略語を使うことで、それらの行為が頻繁にありうることというイメージを多くの人に与え、その結果罪悪感が軽く感じられることがあるのではないか?と感じています。
もしそうだとすれば、何でもかんでも略語略称を使うということは、真剣に受け止めるべきことを軽く受け止める傾向を助長しているかもしれませんね。
どうでしょうか?
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