井上 靖原作「氷壁」は少し前NHKで数週間に渡り放映された。また今度DVDになるということだ。ワイフがこの土曜ドラマに執心していたので私もほぼ毎回(録画も含めて)観た。テレビでの放映が終わった後、私は井上 靖の原作が読みたくなり、古本屋で日本文学全集の中の「井上 靖集」を買って読み、本日漸く読み終えることができた。
山屋の私が井上 靖のこの名作を今まで読んでいないことについて奇異に思われる方がおられるかもしれないので、読んでいない理由を少し述べておこう。
実は原作を読んでいないとは言ったが、私には原作の朗読をラジオで聴いた記憶がある。それは私がまだ小学校に行く前か、精々低学年の頃のことなので昭和30年代初めの頃、つまり「氷壁」が書かれた昭和31年の直ぐ後のことだったろう。私には布団の中でラジオから「コサカ、コサカ」と遭難した友を呼ぶ魚津の声を聞いた記憶があるのだが、無論話の背後にある人妻と若い登山家の関係など理解するすべもなかった。しかし「氷壁」を聴いた後私は山好きになり、近所の赤土の切通しの登攀等に熱を上げていた様である。そしてその熱が高じ、登攀対象は赤土の切通しから比良山の沢になり、雪と岩の剣になり終にヒマラヤになったので、「氷壁」は私の人生に相当な影響を持った小説と言えるかもしれない。
ただし私は文章で「氷壁」を読んだことはつい最近までなかったし、また読みたいとも思わなかった。その理由としては事情はどうあれアルピニストとして山で遭難死する話は余り読みたくなかった・・ということが大きいだろう。
とはいうものの一度テレビで「氷壁」を見てみると、原作の精神をどの程度正しく伝えているのか?などという興味も湧き小説を実際に読んでみたのである。
「氷壁」は小説としては中々面白かった。さすが井上 靖である。ピンと張ったザイルの様な緊張感が続く良い小説だったと思った。小説の中に放り込まれた登場人物は活き活きと動き出している。しかし女主人公 八代 那美子(テレビでは鶴田 真由が演じた)の心理とか動きについてはストンと腑に落ちないところがあった。つまりリアリティに欠けるのである。
美那子は小阪をある夜自分から誘いホテルでひと時を過ごす。しかしその後自分が冒したことを嫌になり彼女に心を奪われてしまった小阪を拒む様になる。そして小阪の死後その親友であり、ザイルパートナーだった魚津の心を奪ってしまう。しかし魚津は小阪の妹かをる(テレビではゆかり・吹石 一恵が演じた)と婚約し、那美子への思いを断ち切るべく滝谷の単独登攀に向かう。そしてついに無理な登攀を続け落石を受け死亡する。
美那子を小阪や魚津に向かわせたものは何なのだろうか?年の離れた夫との生活に対する不満や倦怠か?アルピニストのひたむきさに対する憧憬か?そこがよく分からないのだ。
井上 靖は美那子を通じて何を言いたかったのだろうか?魅力ある女は鉄人の様な山男すら狂わす悪魔の磁界のようなものということなのか?年の離れた夫を持つ若い美貌の妻のアンニュイが若者の命を奪うという人生の悪戯か?
この小説の様なことが本当とすれば、一昔前は氷壁を目指す若い山男達は随分美人に持てたことになる。若い私が氷壁を登っていたのは小説発表の約15年後位後のことだが、そんな美人にもてた記憶が全くない。つまり私にとって那美子の様な人が存在することは架空の話の様に思えるのである。そのリアリティの欠如に対する軽い嫌悪感あるいはひがみ根性のようなもののため、私は長い間「氷壁」を読まなかったのかもしれない。
そうして一読した今なお私は美那子について「作り話っぽいなぁ」と感じているのである。そう思う山男は私だけだろうか?世間の山男とはもう少し美人にモテルものなのだろうか?