金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

西東京市いこいの森公園の春

2006年03月18日 | まち歩き

いこいの森公園は西東京市発足を記念して、東大原子核研究所跡地に作られた公園である。http://www.city.nishitokyo.lg.jp/kakuka/koen/osirase/050415/

ワイフがいこいの森公園に「河津(こうず)桜が咲いている」という話を聞いてきたので、二人で見に行った。

Kawazu

河津桜は「静岡県賀茂郡河津町の飯田勝美さんが昭和30年頃の2月のある日河津川沿いの雑草の中で咲いている桜の苗を見つけて現在の場所に植えたことから始まる」らしい。

今日は風がもの凄く強く桜の花が揺れに揺れていたので、ピントのあった良い写真は難しかったが出来るだけシャッター速度を上げて挑戦してみた。

公園の北側にはカタクリが群生していた。

Katakuri

かたくりの花の横にはつくしが見える。いこいの森公園は新しい公園だが、東大農場に隣接するので、野鳥も水辺に飛んでくる中々良いところだ。出来ることなら東大農場(移転が決まっている)の跡地を少しでも買い足して公園を充実させたいものである。

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エコノミスト誌、円高予想を強調

2006年03月17日 | 金融

私は一般的な経済誌の中でエコノミスト誌の経済予測が最も正確であると信じている。それでも米ドルの為替レート予想に関しては過去1年外れていると言わざるを得ない。というのはエコノミスト誌は一貫してドル安説を主張しているのだが、昨年米ドルは巨額の経常赤字にもかかわらず堅調だった。エコノミスト誌は今又ドル安VS円・ユーロ高を強調する記事を書いている。私見では今回はあたる可能性が高いと見ているが、如何なものだろうか?

  • 第4四半期に米国の経常赤字は2,250億ドル(GDPの7%)に拡大し、2005年度を通して経常赤字は8,050億ドルになった。米国では「経常赤字は問題ではない。赤字になってもドルは下落しない」という議論がファッションになっている。しかしファッションはすぐ変わる可能性がある。
  • 経常赤字は今年末までに1兆ドルになりそうだ。ABMアムロのエコノミストによれば、現在のトレンドと為替水準が続けば、2010年までに赤字額はGDPの12%になる可能性がある。
  • 問題は米国の輸入が輸出を上回っていることで、貿易赤字を良い傾向に保つためには輸出を輸入の約2倍のペースで拡大しなければならないことにある。モルガン・スタンレーのローチ氏によれば、1985年には輸入は国内の財購入の20%を占めたが、現在では37%になっている。米国経済の活況が続けば、貿易赤字は拡大するだろう。
  • 加えて投資収入の減少が経常赤字を広げている。米国は大きな対外債務を抱えてきたが、米国の対外投資の方がリターンが大きかったため、投資収支はプラスだった。しかし昨年第4四半期に投資収支は赤字になった。今年は2005年より米国の債券利回りが上昇し、対外株式投資のリターンが低下する見込みなので、記録開始の1960年以来始めての赤字となる見込みが高い。
  • 昨年米ドルは米国金利の連続的な引き上げにより支えられた。しかし欧州中央銀行と日銀は金融引締め政策を取り始めた。又昨年12月まで米国企業は海外利益の米国内還流について税金の優遇を受けることができた。この結果米国企業の対外直接投資は2004年の2,520億ドルから210億ドル減少した。
  • 昨年ドルはリバウンドしたが、2002年のピークに較べるとドルは対ユーロで28%、対円で13%下落している。ドルは再び下落するか?HSBC のエコノミストは今年の年末までにドルは対ユーロで1.35ドルに(現在1.20ドル)、対円では108円(現在117円)に下落すると予測する。
  • 向う数年間、円はユーロよりも対ドルで強くなるだろう。主要通貨の中で円は長期的傾向に比して最も安く見える。インフレ率を考慮した実質貨幣価値ベースで見た円は、昨月に過去23年で最も安くなった。これは単に名目価値で円が弱くなっただけではなく、日本の物価下落が円を競争力のあるものにしている。
  • 昨年1,640億ドルにもなる経常黒字を誇る日本の実質交換レートが下落するのは奇妙に見える。これに対する説明は、最近終わりに向かうことになった超金融緩和政策である。
  • 幾人かのエコノミスト達は量的緩和政策は殆ど効果がなかったと論じる。何故なら金融システムに大量の流動性を供給するこの政策は銀行による貸出増加を目的としたものだったが成功はしていないと言う。しかしながら金融緩和政策は為替レートを通じて日本の景気を刺激した。日本のマネタリーベースは過去5年の間に米国の2倍の速度で成長した。教科書によれば円のドルに対する相対的な供給量の増加は円の価値を低下させる。これはまさに起こったことである。
  • もし日銀が今年流動性の一部を回収すると、円はドル、ユーロ双方に対して上昇するだろう。そして経済再生が続く限り、財務省が円高阻止介入に入ることはないだろう。

以上のエコノミスト誌の主張に私は概ね賛成なのであるが、円にも弱含む要素はあると見ている。一つは小泉首相の後継者問題。もし新しい強力な指導者の下、経済改革の促進と財政改革の糸口が見えるならばOKであろう。しかしこれが上手く行かない場合は政治的な不安定さが円の重しになる。

もう一つ利上げ問題。利上げに伴い長期金利が上昇すれば、国債費が増加し日本の財政赤字が大きくクローズアップされ消費税引き上げ議論が活発になる。回復しつつある消費活動に水を差す話だけに気になるところだ。

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目黒の「うしやま」、手頃ですね

2006年03月16日 | レストラン・飲み屋

昨日夜山友達のM君のアレンジで二人で目黒の「うしやま」http://www.tsuiteru.com/gr/usiyama/ に行った。うしやまは創作懐石のお店で、目黒駅から大鳥神社に向かい目黒新橋を渡って遊歩道の次の路地を右折したところにある。

夜はセットメニューになっている様で料理一人前3,675円。昨日のメニューの主なものは、先付が「チーズ豆腐」、前菜に「赤貝・独活 土佐酢」「白魚唐揚げ」「サーモン胡瓜」、焼き物が「新筍胡麻味噌焼き」そして「手打ちそば」が出て、篠田巻きにつながり、食事(海老 菜の花ごはん)とデザートが出る。と書くと大変な量に見えるが、一つ一つの料理は小振りなので手頃である。

因みにお酒(一の蔵を燗で)を一人3合程度飲んで、お新香をつまみに追加して一人6千円ちょっとになった。

一階はカウンター8席にテーブル2席と小振り(二階には上がらなかったが、15席強の席があるとのこと)で、昨日は満席だった。客筋は落ち着いた感じのカップルが多かった。

「中年の山男が大声で山を談ずる場所としてはこじゃれ過ぎてるね」とM君にいうと、「今度女性と来る時の下見をしているんです」という厚かましい返事が返ってきた。実際のところ軽いデートには手頃な店だと思った。問題は良い相手がいるかどうか・・・ということなのだが。

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新聞の特殊指定堅持論の問題点

2006年03月16日 | インポート

3月27日に開催される独占禁止懇談会で「特殊指定の見直し」が議論される予定だ。これを受けてか日本新聞協会は昨日の総会で「公取委に対し、特殊指定の堅持を強く求める」という特別決議を全開一致で採択した。

これに合わせて新聞では識者と称する人の賛成意見を掲載している。例えば読売新聞(3月16日朝刊)は山本 一力氏の意見を載せているので、そのポイントを紹介しよう。

  • 新聞の宅配制度というのは世界に誇れる日本の文化
  • 新聞の価格は今でも十分に安い
  • 全国均一価格が宅配制度を維持し、活字文化と民主主義の根幹を支えていることは議論の余地がない。

また前述の特別決議は「憲法21条で保障された報道の自由は・・・同一紙同一価格で戸別配達により提供されることにより実現される」と論じている。

私は新聞の特殊指定廃止を強力に主張するものではないが、読者を惑わす様な一方的な情報提供については等閑視する訳にはいかないので敢えてこれらの記事を批判する。

まず新聞の「宅配制度は世界に誇れる日本の文化」という文章だが、これは読者にあたかも日本だけが新聞の宅配を行なっているという誤解を与える。私が米国はニュージャージー州で暮らしていた時も新聞は毎日宅配された。更に言えば日本(今西東京市に住んでいる)では時々配達漏れがあるが、米国では5年間の間に大雪の一時を除いて配達漏れは一度もなかった。宅配制度は別に日本だけの文化でもなんでもないのである。

次に新聞の価格が安いという議論。そもそも物やサービスが高いか安いかという議論は比較でしか成り立たない。そこでアメリカの現在の新聞の宅配価格が如何ほどか調べてみた。まずニューヨークタイムスの朝刊のみの宅配価格は週4.85ドルつまり月19.4ドル、現在の為替(118円)で換算すると2,289円である。またウオール・ストリート・ジャーナルは紙ベースの宅配のみで年間99ドル=1万2千円弱、インターネット閲覧付で年間125ドル=1万5千円弱である。これらはキャンペーン期間等の問題があるかもしれないが総じて日本より安い様だ。また紙面の豊富さから言えば明らかにアメリカに軍配があがると思われる。

次に「全国均一価格が宅配制度を維持し、民主主義の根幹を支える」とか「報道の自由は同一紙同一価格の宅配で実現される」などと言われると牽強付会の説は止めて欲しいといわざるをえない。

反証は一つで十分であろう。米国は全国均一価格で宅配サービスを提供している訳ではない。つまり地域によって若干ながら宅配料金が異なる。しかし宅配制度は維持されているし民主主義の根幹がこれによって揺るいでいるとも思われない。

更に言えばアメリカの一流新聞は安いがその情報の豊富さと分析の鋭さで、私は日本の新聞を遥かに越えていると考えている。良い情報は多少の価格差を越えて選好されるのである。

今日本の新聞に求められることは、特殊指定の廃止反対云々ではなく、読者を惹き付ける高い情報提供を如何に提供するかという努力ではないだろうか?

我田引水の提灯記事に大きなスペースを割くことなど、読者を愚弄するものだと言わざるを得ない。公平は報道態度とは例えば世界の宅配価格に関する公平な情報を読者に知らせ、読者の判断に委ねるということではないだろうか?

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「氷壁」を観た、そして読んだ

2006年03月14日 | テレビ番組

井上 靖原作「氷壁」は少し前NHKで数週間に渡り放映された。また今度DVDになるということだ。ワイフがこの土曜ドラマに執心していたので私もほぼ毎回(録画も含めて)観た。テレビでの放映が終わった後、私は井上 靖の原作が読みたくなり、古本屋で日本文学全集の中の「井上 靖集」を買って読み、本日漸く読み終えることができた。

山屋の私が井上 靖のこの名作を今まで読んでいないことについて奇異に思われる方がおられるかもしれないので、読んでいない理由を少し述べておこう。

実は原作を読んでいないとは言ったが、私には原作の朗読をラジオで聴いた記憶がある。それは私がまだ小学校に行く前か、精々低学年の頃のことなので昭和30年代初めの頃、つまり「氷壁」が書かれた昭和31年の直ぐ後のことだったろう。私には布団の中でラジオから「コサカ、コサカ」と遭難した友を呼ぶ魚津の声を聞いた記憶があるのだが、無論話の背後にある人妻と若い登山家の関係など理解するすべもなかった。しかし「氷壁」を聴いた後私は山好きになり、近所の赤土の切通しの登攀等に熱を上げていた様である。そしてその熱が高じ、登攀対象は赤土の切通しから比良山の沢になり、雪と岩の剣になり終にヒマラヤになったので、「氷壁」は私の人生に相当な影響を持った小説と言えるかもしれない。

ただし私は文章で「氷壁」を読んだことはつい最近までなかったし、また読みたいとも思わなかった。その理由としては事情はどうあれアルピニストとして山で遭難死する話は余り読みたくなかった・・ということが大きいだろう。

とはいうものの一度テレビで「氷壁」を見てみると、原作の精神をどの程度正しく伝えているのか?などという興味も湧き小説を実際に読んでみたのである。

「氷壁」は小説としては中々面白かった。さすが井上 靖である。ピンと張ったザイルの様な緊張感が続く良い小説だったと思った。小説の中に放り込まれた登場人物は活き活きと動き出している。しかし女主人公 八代 那美子(テレビでは鶴田 真由が演じた)の心理とか動きについてはストンと腑に落ちないところがあった。つまりリアリティに欠けるのである。

美那子は小阪をある夜自分から誘いホテルでひと時を過ごす。しかしその後自分が冒したことを嫌になり彼女に心を奪われてしまった小阪を拒む様になる。そして小阪の死後その親友であり、ザイルパートナーだった魚津の心を奪ってしまう。しかし魚津は小阪の妹かをる(テレビではゆかり・吹石 一恵が演じた)と婚約し、那美子への思いを断ち切るべく滝谷の単独登攀に向かう。そしてついに無理な登攀を続け落石を受け死亡する。

美那子を小阪や魚津に向かわせたものは何なのだろうか?年の離れた夫との生活に対する不満や倦怠か?アルピニストのひたむきさに対する憧憬か?そこがよく分からないのだ。

井上 靖は美那子を通じて何を言いたかったのだろうか?魅力ある女は鉄人の様な山男すら狂わす悪魔の磁界のようなものということなのか?年の離れた夫を持つ若い美貌の妻のアンニュイが若者の命を奪うという人生の悪戯か?

この小説の様なことが本当とすれば、一昔前は氷壁を目指す若い山男達は随分美人に持てたことになる。若い私が氷壁を登っていたのは小説発表の約15年後位後のことだが、そんな美人にもてた記憶が全くない。つまり私にとって那美子の様な人が存在することは架空の話の様に思えるのである。そのリアリティの欠如に対する軽い嫌悪感あるいはひがみ根性のようなもののため、私は長い間「氷壁」を読まなかったのかもしれない。

そうして一読した今なお私は美那子について「作り話っぽいなぁ」と感じているのである。そう思う山男は私だけだろうか?世間の山男とはもう少し美人にモテルものなのだろうか?

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