That's the Way I Am

私の好きなものについて

映画■■アンナ・カレーニナ■■

2013年04月15日 00時05分25秒 | 映画
トルストイの名作の映画化ということで
興味があって観てきました



映画■■アンナ・カレーニナ■■

☆☆

yahoo映画の評価(2013年4/14現在) 3.33(5点満点)




同じくロシアの小説家ドストエフスキーの
「罪と罰」を思い出した
全然違う作品なんだけどね

罪というものは犯した時から
罪悪感という重い罰を科すものだ

そして
完璧に整っていた家族を、生活を崩壊させる
破壊力のあるものなのだ

だから、法律上は罪に問われなくても
罪を犯した人は、十分に精神を病み
多くのものを失うことで償っていることになる



「富も地位も家柄も全て備えている
善良な人との結婚生活」って
完璧なのに

恐ろしくつまらないのね
死にそうなくらい退屈なの



「何かが足らない」と感じる人は
ある日、稲妻に打たれたように
心を激しく揺さぶるパッションに
突き動かされ
後先を考えずに行動してしまう

パッションの導くままに進む先には
崩壊が待っていると分かっていて
その麻薬のような魅力に
あらがうことが出来ない

いや
危うい橋だからこそ、渡りたい
禁じられているからこそ
どうしようもなく惹かれる

「もう、どうなってもいい」と
パッションの誘うままに行動し

平凡な幸福の日々を壊していく



罪は
犯した瞬間から、罰を用意している

パッションも
炎が勢いを無くした時から
手のひらを返したように
その代償を請求してくる

社会的地位の失墜
家族との別離
侮辱と非難の的
最終的には、全てを失うことになる



でも、その代償が
どんなにどんなに過酷で
どんなにどんなに後悔しても

「パッションの閃き」というものには
それだけの代償を払う程の価値があったのだと思う




でも
全ての人がパッションに突き動かされているのではない

恐ろしくつまらなく、退屈な生活を
「何よりの幸福」と感じる人達もいる



幸福というものは
恐ろしく退屈な、当たり前の平凡な日々を
ただひたすら
繰り返し繰り返ししていく
その先にあるのかな

暖かい家族の笑顔
これこそが幸福なのではないか?



パッションに突き動かされるタイプの人から見ると
平凡な毎日というものは
砂を噛むような、退屈で味気ない苦痛だろう



平凡な毎日は
この上ない幸福か、退屈な拷問か



そんなことを考えました



ヴロンスキー伯爵役の人
「キック・アス」のアーロン・テイラー=ジョンソンって
知らなかった!

ものすごく印象深い good-looking guy になっていて
驚いた!

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