「誰も知らない」の是枝裕和監督の最新作
第66回カンヌ映画祭審査員特別賞受賞
本当に楽しみにしていました
映画 ■■そして父になる■■
☆
福山雅治演じる父親が
「もし私に子どもがいたとしたら
こんな母親になるのではないだろうか」
と、想像できるタイプで
彼の気持ちが手に取るように分かるので
本当に心が痛くなりました
福山演じる野々宮良多は
息子を私立小学校に入学させたり
ピアノも習わせたりと
「よりよい教育を与えることで
子どもに、輝かしい未来を贈りたい」と考え
しつけも厳しくしてきた
家庭を顧みない程に仕事に没頭してきたが
それは、家族に経済的に不自由のない生活を
保障したいから
それもこれも
彼なりの愛情表現なのだ
でも、泥だらけになるまで子どもと遊んだり
とっくみあいのケンカをしたり
キャンプに行って、楽しい思い出を作ったり
...という時間はほとんど持たずに来た
それは、家族の生活を守るために
仕事を優先してきたからであるが
一緒に笑ったり抱き合ったり
いたわりの言葉をかけたり...という
ストレートな愛情表現が苦手だから。
多分
鼻水を垂らしたり、服を汚したり
部屋を散らかしたり
騒々しく騒いだりする子どもは嫌いなタイプ。
ホント、誰よりも子どものことを愛していて
命よりも大切と思っているのに
そういう気持ちを自分の中に隠して
なかなか見せない
愛情表現が下手なのね
恥ずかしがり屋
不器用
「それじゃ伝わらないよ...」
と思うことが多い
彼の人生の中では常に勝者で
収入の高い仕事に就き
都内の高級マンションで暮らしているが
「愛情表現の豊かな父親」という面では
一番負けたくない
リリー・フランキー演じる斎木雄大に負けている
そして斎木雄大が
身体ごと子ども達にぶつかって
ヘトヘトになるまで一緒に遊んでいるのを見ると
ますます頑なになり
こわばってしまうのだ
この映画は
「生みの親と、育ての親、どっちが大切?」
或いは
「血のつながりのある子どもと
血はつながっていなくても、自分が育てた子ども
どっちが我が子?」
という問いを投げかけている
これは私が常々興味を持って考えている
「先天的な才能(遺伝子)で決まるのか
それとも、後天的なもの(環境、努力)が
鍵となるのか」
という謎とも共通する部分があって
ハートだけじゃなくて
私の脳も満足させてくれる映画であった
私はずっとその謎に対して
「後天的なものの方が大切」と信じてきた
そして、この映画を観て
改めて同じように思いました
「親子に生まれてくる」ことも大切だけど
「親子になる」一緒の時間も大切
私は自分の祖父と
「血が繋がっていない」と
成人してから知らされたのだけど
その時、知らない人が
「本当のおじいちゃんだよ」と現れても
嬉しくはなかったと思う
私のおじいちゃんは一人しかいない
私はそう受け止めたのだけど
答えは、この映画を観た人によって違うだろう
「それでいい」と
監督は思っているのだと思う
病院で起きた、子どもの取り違えは
双方の両親、当事者である子ども達
そしてその兄弟、祖父母、友達
多くの人の人生を
一生に渡ってねじ曲げてしまう恐ろしい出来事であった
しかし、この出来事が発端となって
良多は
「自分は良い父親だったか?
子どもを幸せにする力があるのか?」
と、立ち止まり、考え
父親として成長していた
この映画の参考文献である
奥野修司著
「ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年」
図書館で予約しました
また違う感想も出るかも知れません
ネタバレ感想
最後が、よく分からなかったんだけど...
結局、双方共に
今まで6年間育ててきた子と
今まで通り暮らしていくことを
選んだのよね?
福山は
血の繋がった我が子に
「リリー・フランキーの方が良い!」
と、家出され
一方、我が子だと思って来た慶多は
リリー・フランキーの家から家出することなく
兄弟達と楽しく暮らしている
ってことで
リリー・フランキーの妻に
「大変だったら
うちで2人とも育てても良いんですよ~」
って
生活レベルも落ちる田舎者に
福山が一番言われたくない人に
上から目線で言われて言われちゃって
もう、完全なる負け犬なのね
人生の中で一度も負けたことがない福山が
初めて負けたのね
しかも、自分の一番大切な息子に去られ
その敗北感たるや、想像を絶する
でも、慶多は
「つらいけど
慶多が成長するためのミッションだから」
という、お父さんの言いつけを守って
じっと耐えていたのだと思う
本当は、今まで一緒に時間を重ねた
福山が恋しくて、元に戻りたくて
仕方なかったのだと
会うと、戻りたくなってしまうから
逃げ出したのだと思う
私はこう受け止めたんだけど...
的外れな受け止め方で
なければ良いのだけど
第66回カンヌ映画祭審査員特別賞受賞
本当に楽しみにしていました
映画 ■■そして父になる■■
☆
福山雅治演じる父親が
「もし私に子どもがいたとしたら
こんな母親になるのではないだろうか」
と、想像できるタイプで
彼の気持ちが手に取るように分かるので
本当に心が痛くなりました
福山演じる野々宮良多は
息子を私立小学校に入学させたり
ピアノも習わせたりと
「よりよい教育を与えることで
子どもに、輝かしい未来を贈りたい」と考え
しつけも厳しくしてきた
家庭を顧みない程に仕事に没頭してきたが
それは、家族に経済的に不自由のない生活を
保障したいから
それもこれも
彼なりの愛情表現なのだ
でも、泥だらけになるまで子どもと遊んだり
とっくみあいのケンカをしたり
キャンプに行って、楽しい思い出を作ったり
...という時間はほとんど持たずに来た
それは、家族の生活を守るために
仕事を優先してきたからであるが
一緒に笑ったり抱き合ったり
いたわりの言葉をかけたり...という
ストレートな愛情表現が苦手だから。
多分
鼻水を垂らしたり、服を汚したり
部屋を散らかしたり
騒々しく騒いだりする子どもは嫌いなタイプ。
ホント、誰よりも子どものことを愛していて
命よりも大切と思っているのに
そういう気持ちを自分の中に隠して
なかなか見せない
愛情表現が下手なのね
恥ずかしがり屋
不器用
「それじゃ伝わらないよ...」
と思うことが多い
彼の人生の中では常に勝者で
収入の高い仕事に就き
都内の高級マンションで暮らしているが
「愛情表現の豊かな父親」という面では
一番負けたくない
リリー・フランキー演じる斎木雄大に負けている
そして斎木雄大が
身体ごと子ども達にぶつかって
ヘトヘトになるまで一緒に遊んでいるのを見ると
ますます頑なになり
こわばってしまうのだ
この映画は
「生みの親と、育ての親、どっちが大切?」
或いは
「血のつながりのある子どもと
血はつながっていなくても、自分が育てた子ども
どっちが我が子?」
という問いを投げかけている
これは私が常々興味を持って考えている
「先天的な才能(遺伝子)で決まるのか
それとも、後天的なもの(環境、努力)が
鍵となるのか」
という謎とも共通する部分があって
ハートだけじゃなくて
私の脳も満足させてくれる映画であった
私はずっとその謎に対して
「後天的なものの方が大切」と信じてきた
そして、この映画を観て
改めて同じように思いました
「親子に生まれてくる」ことも大切だけど
「親子になる」一緒の時間も大切
私は自分の祖父と
「血が繋がっていない」と
成人してから知らされたのだけど
その時、知らない人が
「本当のおじいちゃんだよ」と現れても
嬉しくはなかったと思う
私のおじいちゃんは一人しかいない
私はそう受け止めたのだけど
答えは、この映画を観た人によって違うだろう
「それでいい」と
監督は思っているのだと思う
病院で起きた、子どもの取り違えは
双方の両親、当事者である子ども達
そしてその兄弟、祖父母、友達
多くの人の人生を
一生に渡ってねじ曲げてしまう恐ろしい出来事であった
しかし、この出来事が発端となって
良多は
「自分は良い父親だったか?
子どもを幸せにする力があるのか?」
と、立ち止まり、考え
父親として成長していた
この映画の参考文献である
奥野修司著
「ねじれた絆-赤ちゃん取り違え事件の十七年」
図書館で予約しました
また違う感想も出るかも知れません
ネタバレ感想
最後が、よく分からなかったんだけど...
結局、双方共に
今まで6年間育ててきた子と
今まで通り暮らしていくことを
選んだのよね?
福山は
血の繋がった我が子に
「リリー・フランキーの方が良い!」
と、家出され
一方、我が子だと思って来た慶多は
リリー・フランキーの家から家出することなく
兄弟達と楽しく暮らしている
ってことで
リリー・フランキーの妻に
「大変だったら
うちで2人とも育てても良いんですよ~」
って
生活レベルも落ちる田舎者に
福山が一番言われたくない人に
上から目線で言われて言われちゃって
もう、完全なる負け犬なのね
人生の中で一度も負けたことがない福山が
初めて負けたのね
しかも、自分の一番大切な息子に去られ
その敗北感たるや、想像を絶する
でも、慶多は
「つらいけど
慶多が成長するためのミッションだから」
という、お父さんの言いつけを守って
じっと耐えていたのだと思う
本当は、今まで一緒に時間を重ねた
福山が恋しくて、元に戻りたくて
仕方なかったのだと
会うと、戻りたくなってしまうから
逃げ出したのだと思う
私はこう受け止めたんだけど...
的外れな受け止め方で
なければ良いのだけど
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