That's the Way I Am

私の好きなものについて

映画 ■■セッション■■

2015年06月30日 17時05分55秒 | 映画
評判がすごく良かったから
見に来たんだけど…

期待が高すぎたか…



映画 ■■セッション■■

☆☆

Yahoo映画の評価 4.25(5点満点 2015年6月26日現在)



最近Yahoo映画の評価全体的に高すぎ
甘々じゃないですか…



音楽界の「巨人の星」と評する人が多い

恐ろしい鬼教官の怒声が飛び交う
ものすごい緊張感をずっと引っ張ったまま
あっという間に終わった



ミュージシャンになるため
私生活も精神の健康も犠牲にして
自分を追い詰めて追い詰めて
ひたすら練習する
クレイジーな世界

一流を目指すミュージシャンをダメにするのは
「Good job.」という二つの単語だと
鬼教官は言う



「演奏する人が楽しまないと~」とか
「褒めて伸ばすのが良い」とか
そんなこと言ったら鬼教官に殺されそう



否定されても否定されても
くじけない屈強な精神力を持った人しか
名プレーヤーにはなれない
...と、鬼教官は信じる

気の遠くなるほどの訓練を通して
ほんの僅かな音の違いを聞き分け
何が悪くて
何が良いのかを厳密に理解し
毎回確実に「いい音といいリズム」を再現出来るように
身体にその感覚を刻み込む



特訓なのか?教育なのか?
今の教育界では
脅迫とか傷害とかの罪に問われてしまいそうな
過酷なやり方



あんなふうに疲労困憊している時に
更に徹底的に
自分の努力や才能を否定・罵倒されたら

椅子を投げつけられたり
叩かれたりして威圧され
恐怖に怯えさせられたら

そんな毎日繰り返していたら
病んでしまう

そんな精神状態で紡がれる音楽に魅力はあるのか?



でも、主人公アンドリューは食いついていく

「今の自分には
女の子と会って遊ぶ時間なんてないから」
と、電話で別れを告げる

家族と会っても
和やかな会話が出来ない
鼻持ちならない発言をして
相手のプライドを傷つける

「傷つけてやる」という明確な意図が感じられる
悪意の塊になってしまっている

自分の過失から
ライバルのチャンスを潰してしまった時も
罪悪感を感じて落ち込むよりも先に
自分に巡ってきたチャンスに
ハゲタカのようにしがみつく

人としては
どんどん「嫌な人」になっていくが
音楽家としては
どんどん名プレーヤーに近づいているのだろう
それがアンドリューにとっては幸せなのだろう



こういうスパルタ教育くぐり抜けて
ミュージシャンになった人ばかりじゃなくて

実際には
精神的に健全で
尊敬出来る人柄を持ったミュージシャンは多いはず
(と、信じる...)



でも、有名な音楽家の人生を扱った本や映画を観る度に
殆どの人が
ドラッグやアルコールで転落を味わっていたり
精神的に病んでしまっていることに驚く

やはり芸術というものは
狂気と紙一重なのか?



平凡な生活の中にある「幸せ」を犠牲にしてでも
狂気の世界に行こうともがく
そこまで自分を追い詰めて追い詰めて一流を目指す
その突き動かす原動力は何なんだろうと思いました



でも確かに
「平凡な幸せ」というものを切り捨てて
別のステージまで登りつめた人の生み出す作品には
独特の輝きがあって
人の心を惹きつけて止まないと感じます

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