クリント・イーストウッド監督の話題作
アメリカでは大ヒットして議論を呼んでいるとか
映画 ■■アメリカン・スナイパー■■
☆
Yahoo映画の評価 4.15(5点満点 2015年3月2日現在)
これ、私が20代の頃に観ていたら
「戦争や国のために死ぬことを美化する
とんでもない映画だ」って
嫌悪感を抱いていたに違いない
私は基本的に死刑は反対で
人はいかなる理由があろうとも
他人の命を奪う権利はないと信じている
だから戦争を正当化するなんてとんでもないと
かなり強い考えを持っていました
「軍隊」とか「兵器」というものに
アレルギー反応みたいに拒否反応がありました
スミソニアン博物館に
エノラ・ゲイ号が
「第二次世界大戦の終結を早めた」と
アメリカの誇りとして展示されたことに
憤りを感じたし
銃やライフルなどの武器に憧れたり
コレクションしたり
迷彩柄をファッションに取り入れるのだって
軽蔑していた
年を重ねるとともに
日本を取り巻く事情も大きく変わってきた
竹島や尖閣諸島などの領海問題や
小笠原沖に大量に押し寄せた中国の漁船のニュースを見ると
にわかに国内にある米軍基地の存在が
頼もしく思えてしまったり
東日本大震災の際の米軍の協力は
本当にありがたいと思った
20代の頃は年々増加していく軍事費に
懸念を感じていて
自衛隊は、レスキュー隊として存在すれば良いと
考えていたのだけど
私の「自衛隊」や「軍隊」へのアレルギー反応も
随分減ってきた
そして、ISによる
日本人ジャーナリスト殺害のニュースを見て
「いかなる理由があろうとも
他人の命を奪ってはならない」という私の信念も
おおいにおおいにぐらついた
この人達は、話し合いで解決出来る相手ではない
こういう狂気に満ちた危険な人達は
世の中から隔離する...というより
新たな大規模なテロを実行する前に
この世から抹殺した方が良いんじゃないか?
...とまで、チラッと思ってしまった
「話し合いで解決する」なんていう
平和主義者の理想が
いかに現実から離れているか
考えさせられるニュースが報道され続ける
20代の私だったら毛嫌いしていたであろう
「アメリカン・スナイパー」
でも今は
平和ボケした自分が恥ずかしくなってしまった
シールズのメンバーが
腕や足や視力や、そして命を犠牲にして戦っている時
自分は映画を観に行ったり
買い物したり
ライブに行ったりと、暢気に暮らしているのが
いたたまれなかった
そして
「家族を守るために」と信じて払われた犠牲は尊いと
純粋に感じました
...うーん、それとも
まんまと洗脳された?
っていうか
イーストウッド監督は
退役軍人の犠牲を美化するために
この映画を作ったのではないと
私は思います
イーストウッドは
共和党支持者だけど
アメリカのイラク派兵には反対だったそう
じゃあ、国のためと信じてイラクに赴くことは
愚かなことだったと訴えたくて
この映画を作ったのか?
でも、あの映画は
実際に派遣された兵士達が
身体の一部を失って車椅子で生活してたり
PTSD に苦しんだりしていることを
「無駄な犠牲だった」とか
「過ちだった」とか言ってない
私が感じたように
払われた犠牲に対して
謙虚に頭を垂れているように感じました
「自分たちの今の生活は
彼らの犠牲の上に成り立っている」と
退役軍人達をヒーローのように感じる人達もいるだろうし
一方で、「守ること」に一生をささげた英雄も
自国に帰ってからは
なかなか以前の生活に戻れなかったり
家族とうまくやっていけなかったり
最後は同じようにPTSD に苦しむ退役軍人に
殺されてしまったことに
言葉にならない空しさを感じて
そこに痛烈な反戦のメッセージを
受け取った人達もいるでしょう
「ミリオン・ダラー・ベイビー」を観た時も
同じように思ったけど
声高に思想を主張していなくて
ただ、一つの物語をポーンと投げてきて
そこにどんなメッセージが隠されているのかは
受け止めた人にゆだねているように思いました
だからこそ
いろいろなメッセージが一度に感じられて
味わいが深いところが
クリント・イーストウッド監督作品の
魅力だと思いました
この映画も見終わった後になって
ジワジワとどんどん面白くなっていく映画のような気がします
アメリカでは大ヒットして議論を呼んでいるとか
映画 ■■アメリカン・スナイパー■■
☆
Yahoo映画の評価 4.15(5点満点 2015年3月2日現在)
これ、私が20代の頃に観ていたら
「戦争や国のために死ぬことを美化する
とんでもない映画だ」って
嫌悪感を抱いていたに違いない
私は基本的に死刑は反対で
人はいかなる理由があろうとも
他人の命を奪う権利はないと信じている
だから戦争を正当化するなんてとんでもないと
かなり強い考えを持っていました
「軍隊」とか「兵器」というものに
アレルギー反応みたいに拒否反応がありました
スミソニアン博物館に
エノラ・ゲイ号が
「第二次世界大戦の終結を早めた」と
アメリカの誇りとして展示されたことに
憤りを感じたし
銃やライフルなどの武器に憧れたり
コレクションしたり
迷彩柄をファッションに取り入れるのだって
軽蔑していた
年を重ねるとともに
日本を取り巻く事情も大きく変わってきた
竹島や尖閣諸島などの領海問題や
小笠原沖に大量に押し寄せた中国の漁船のニュースを見ると
にわかに国内にある米軍基地の存在が
頼もしく思えてしまったり
東日本大震災の際の米軍の協力は
本当にありがたいと思った
20代の頃は年々増加していく軍事費に
懸念を感じていて
自衛隊は、レスキュー隊として存在すれば良いと
考えていたのだけど
私の「自衛隊」や「軍隊」へのアレルギー反応も
随分減ってきた
そして、ISによる
日本人ジャーナリスト殺害のニュースを見て
「いかなる理由があろうとも
他人の命を奪ってはならない」という私の信念も
おおいにおおいにぐらついた
この人達は、話し合いで解決出来る相手ではない
こういう狂気に満ちた危険な人達は
世の中から隔離する...というより
新たな大規模なテロを実行する前に
この世から抹殺した方が良いんじゃないか?
...とまで、チラッと思ってしまった
「話し合いで解決する」なんていう
平和主義者の理想が
いかに現実から離れているか
考えさせられるニュースが報道され続ける
20代の私だったら毛嫌いしていたであろう
「アメリカン・スナイパー」
でも今は
平和ボケした自分が恥ずかしくなってしまった
シールズのメンバーが
腕や足や視力や、そして命を犠牲にして戦っている時
自分は映画を観に行ったり
買い物したり
ライブに行ったりと、暢気に暮らしているのが
いたたまれなかった
そして
「家族を守るために」と信じて払われた犠牲は尊いと
純粋に感じました
...うーん、それとも
まんまと洗脳された?
っていうか
イーストウッド監督は
退役軍人の犠牲を美化するために
この映画を作ったのではないと
私は思います
イーストウッドは
共和党支持者だけど
アメリカのイラク派兵には反対だったそう
じゃあ、国のためと信じてイラクに赴くことは
愚かなことだったと訴えたくて
この映画を作ったのか?
でも、あの映画は
実際に派遣された兵士達が
身体の一部を失って車椅子で生活してたり
PTSD に苦しんだりしていることを
「無駄な犠牲だった」とか
「過ちだった」とか言ってない
私が感じたように
払われた犠牲に対して
謙虚に頭を垂れているように感じました
「自分たちの今の生活は
彼らの犠牲の上に成り立っている」と
退役軍人達をヒーローのように感じる人達もいるだろうし
一方で、「守ること」に一生をささげた英雄も
自国に帰ってからは
なかなか以前の生活に戻れなかったり
家族とうまくやっていけなかったり
最後は同じようにPTSD に苦しむ退役軍人に
殺されてしまったことに
言葉にならない空しさを感じて
そこに痛烈な反戦のメッセージを
受け取った人達もいるでしょう
「ミリオン・ダラー・ベイビー」を観た時も
同じように思ったけど
声高に思想を主張していなくて
ただ、一つの物語をポーンと投げてきて
そこにどんなメッセージが隠されているのかは
受け止めた人にゆだねているように思いました
だからこそ
いろいろなメッセージが一度に感じられて
味わいが深いところが
クリント・イーストウッド監督作品の
魅力だと思いました
この映画も見終わった後になって
ジワジワとどんどん面白くなっていく映画のような気がします
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