それは私が中学生か高校生の頃合いだったと漠然と思っていたのだが、よくよく考えてみると、私が高校生の頃だったと判別でき、しかもそれは大学受験年の高校3年生のときだったのではとまで推測される。
まず、中学生でなかった理由に、家庭に父不在であったのはあったのだけれど、その当時は父が女をつくり家に戻らなくなり始めた頃合いで、いかめしい言葉で云っても両親別居中であって、家裁に持ち込まれ正式離婚となりそれ以降となると私が高校生のときだったからである。私が思うにそれは離婚後の話だ。
私が指摘しようとしているのは、夜間、家は弟と二人きりになっていたという事実で、それは母がお店を持っていたからに他ならないからだ。母は慰謝料を元手にまずスナックを開き、次いでそれを鞍替えして居酒屋にした経緯があった。この一連の2つの店をオープンしている間、うちでは夕方から夜間、私と弟以外誰も居なくなる。
弟はいつも9時頃には就寝していて、あの地獄のような夜中の日々に私は遅くまで起きていた。私は机に向かっている。どうやら読書ではなさそうだ。とすると、大学受験年に当たる高校3年に入ってからであろう、ぼちぼち勉強らしきには触れていたようだ。
私がそう言うのも、私は普段勉強しないからだ。するとしたら、国語の教科書の小説を読むか、英語の予習だけだった。でもあの日々に於いて、連夜にかけてそうする必要はどこにもなかった。あまり時間をとらないからだ。私が必死で勉強していたのは、結果が内申書に残るテストの期間中とそれが封切られる前のせいぜい1週間ぐらい前からだが、今挙げているこの間には該当しないことだけは私ははっきり覚えている。であるから大学受験勉強中という名目だけが結論として立つ訳だ。
そこへ・・・ある夜中、電話のベルが、静まり返った家中にとどろいた。私と寝ている弟は2階におり、電話は1階にしつらえられていた。私はすかさず階下へ電話を取りに机から離れ階段を降り受話器のハンドルを取り上げ耳に当てた。私の家は2階建てであっても小さかった。
私は夜中なのでなにやとも知れず無言で受話器に向かった。「奥さん・・・ハァハァ(息遣い)・・・バタンバタン(どうやらペニスを受話器に叩きつけているらしい)、奥さん、奥さん、ハァハァ、バタンバタン・・・」
私は電話を切れず、聞いてしまっていた。(受験勉強中に)私の性を通して頭を攪乱するだなんて、そう思いながらも、切れず聞いてしまっていた。あるいは一度切ったならまたすぐかかってきて受話器を取り直した私はそれを聞いてしまっていた。もちろん向こうのいやらしい男は私の母を相手にしているだろうとの設定だったことには違いない。
階上に上がった私の頭は混沌として勉強が手に付かない。それは一種の興奮でさえあったかもしれないからだ。
そんな夜が続いた。ある時は断固として即刻切り、ある時は待っていたかのように耳を澄まし聴き入った。いずれにしても数分後には切るのだったが。
私は母と関係が悪かったので口をきいていなかった。よって、この事は私から母へ変ないたずら電話が掛かってくると伝えたかどうか今では覚えていない。
私は夜中が近付いてくるにつれ、勉強への意欲がそがれ、代わりに朦朧(もうろう)としてくる。そしてまた、夜中に電話のベルが鳴り響く。私が出る。私が自室へ戻る。この繰り返しに私はもう心のどこかで「もう嫌だ、御免被りたい!」と叫んでいた。そうこうしている内に、電話が鳴っていないのに、頭の中で今出た電話のベルの反響が鳴るまでの精神状態に陥っていた。
実際には電話のベルが鳴っていないのに、私の頭の中だけで電話のベル音が克明にくり返しくり返し鳴り響いていた。机に向かう私を追いかけてくるように、追い詰めてくるように。ノイローゼ状態だったのだ。
ある日のこと、学校から帰ってくると、母が「変な電話が掛かってくるやろぅ。電話機のコード取り外せるようにしたから、夜遅くになったら電話線を、こうやって、壁のここから取り外しぃな」と言って、私に電話の受話器だけ外してプープー鳴らすことなしに、電話を元から遮断できるように工事してもらった旨伝えた。
その夜から私は平穏を取り戻した。私はなんといってもまだ若かった。回復能力があったのだ。
夜中に電話のベルが鳴るーこれはまさしく恐怖であり、サイコスリラー映画ではなく、私にある時期重くのしかかっていた現実である。
では、母もかつては取っていただろうこのような電話をかけてくる卑劣な男は何者でどうやって私の家の電話番号を特定出来ていたのか。
先述のとおり、母は夜の店を開いていたので、そこの客がどうにかして母から電話番号を聞き出したというのも考えられるが、私が一等怪しいと思う事由が他にある。
それは私の学校の生徒名簿だ。そこには各生徒の名前と住所と電話番号、そして何より保護者の下の名前が掲載されるのだ。つまり私の場合は、私の母の下の名前、○○子という風に載っていて、他の生徒たちが男性の下の名前ばかりのところ、そこの○○子というところだけ奇妙に浮き彫りにされる。ましてや私の母の名は少し古めかしく○○のところがカタカナであしらわれるものであるし最後は女の名前を表わす「子」だので、私はこれが同じ学年の全校生徒に即ち母子家庭だと知られることにいい気分ではなかった。見るにつけ暗い気持ちになる。母子家庭が悪いという意味では決してなく、とてもとても目立つのだ。それゆえこの名簿には私は傷つけられていたものだ。
それは、しかし、私一人が傷付くだけに収まらなかったかもしれないのである。犯罪者にとって格好の資料になっていた恐れが十分にあったのだ。
その高校へは、どうやって入学できたのか、得体の知れない不良がいて、私の記憶では4人いた。そして他にはいなかった。彼らは常につるんで行動していた。
私は彼らにからまれたことがあった。
夜中に電話のベルが鳴るときーそのとき私はこれら不良に関係している大人の輩を相手にしていたのかもしれない。