『月桃』歌碑を後に、向かったのは勝連城跡あまわりパーク。
勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最期まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利が
住んでいた城として有名だそうです。あまわりパークのあまわりは、阿麻和利のことだったんですね。
ここでは「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局次長の
宮城和之さんにご案内していただきました。
まず、勝連城の歴史や、このあとの予定などを説明していただきました。
今回は、勝連城跡の見学は出来ませんでしたが、いつか訪れてみたくなりました。
その後向かったのは、陸自勝連分屯地
分屯地は県道8号線から、まわりが木に覆われたわき道を進んだ先にあります。
周辺道路からは見え辛い山中にありますが、ここに今年3月第7地対艦ミサイル連隊が設置されました。
ミサイル部隊は宮古島、石垣島、奄美大島そして沖縄島に配備されて、次に与那国にも
配備されようとしています。軍拡はとどまるところを知りません
次は、近くにある平敷屋(へしきや)タキノーへ
タキノーは標高約70mの小さな丘です。
王府時代の和文学者、平敷屋朝敏(へしきや ちょうびん)が、平敷屋の脇地頭(領主)を
務めたときに、水不足に苦しむ農民のためにため池を掘り、その際に掘り出された
土を盛って築かれた丘だということです。平敷屋朝敏は当時王府の実権を握っていた
蔡温を批判し、捕らえられ磔刑に処せられたとのことです。
丘の上にあがると、ホワイトビーチ(海上自衛隊も共同使用している米軍基地)が
見下ろせます。木々に隠れてわかりにくいですが、左側の桟橋が米海軍、右側が米陸軍の桟橋です。
国連軍施設にも指定されているので、カナダ軍、オーストラリア軍なども使用しているそうです
うるま市では、今年石川のゴルフ場跡地への陸上自衛隊訓練場の整備計画を
断念させるという快挙がありました。まず地域住民が反対の声を上げ、
その声がどんどん広がっていった成果です。
10月の衆院選で、沖縄3区(名護市、沖縄市、うるま市など)で、
オール沖縄の屋良ともひろさんが、島尻あい子さん(自民党)に僅差で敗れましたが
(屋良さんは比例で復活当選)、うるま市では24票差で屋良さんの得票が多かったのです。
宮城和之さんが「今まで闘ってきたうるま市民の力だ!」とおっしゃっていました。
そんな闘いの中心にいらした「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局長の
宮城英和さんが、今年9月にご病気で亡くなられました。
宮城和之さんは、英和さんについて
「弁舌爽やか、歌も上手くて、闘いの場を盛り上げるとても素晴らしい人でした。
うるまの闘いだけでなく、島ぐるみの闘い、沖縄にとって貴重な人材を失い
本当に残念無念です」とおっしゃっていました。
英和さんのCDを持参され、歌を聴かせていただいたのですが、
とてもすてきな歌声にしみじみと、しばし聴き入りました。
英和さんを共に追悼することが出来、良い時間を持てました。
粘り強い活動を続けてこられ、これからも続けていかれるうるまの会のみなさんと、
これからも、つながっていきたいと思います。
ありがとうございました
ZAN
勝連城は、琉球王国が安定していく過程で、国王に最期まで抵抗した有力按司(あじ)阿麻和利が
住んでいた城として有名だそうです。あまわりパークのあまわりは、阿麻和利のことだったんですね。
ここでは「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局次長の
宮城和之さんにご案内していただきました。
まず、勝連城の歴史や、このあとの予定などを説明していただきました。
今回は、勝連城跡の見学は出来ませんでしたが、いつか訪れてみたくなりました。
その後向かったのは、陸自勝連分屯地
分屯地は県道8号線から、まわりが木に覆われたわき道を進んだ先にあります。
周辺道路からは見え辛い山中にありますが、ここに今年3月第7地対艦ミサイル連隊が設置されました。
ミサイル部隊は宮古島、石垣島、奄美大島そして沖縄島に配備されて、次に与那国にも
配備されようとしています。軍拡はとどまるところを知りません
次は、近くにある平敷屋(へしきや)タキノーへ
タキノーは標高約70mの小さな丘です。
王府時代の和文学者、平敷屋朝敏(へしきや ちょうびん)が、平敷屋の脇地頭(領主)を
務めたときに、水不足に苦しむ農民のためにため池を掘り、その際に掘り出された
土を盛って築かれた丘だということです。平敷屋朝敏は当時王府の実権を握っていた
蔡温を批判し、捕らえられ磔刑に処せられたとのことです。
丘の上にあがると、ホワイトビーチ(海上自衛隊も共同使用している米軍基地)が
見下ろせます。木々に隠れてわかりにくいですが、左側の桟橋が米海軍、右側が米陸軍の桟橋です。
国連軍施設にも指定されているので、カナダ軍、オーストラリア軍なども使用しているそうです
うるま市では、今年石川のゴルフ場跡地への陸上自衛隊訓練場の整備計画を
断念させるという快挙がありました。まず地域住民が反対の声を上げ、
その声がどんどん広がっていった成果です。
10月の衆院選で、沖縄3区(名護市、沖縄市、うるま市など)で、
オール沖縄の屋良ともひろさんが、島尻あい子さん(自民党)に僅差で敗れましたが
(屋良さんは比例で復活当選)、うるま市では24票差で屋良さんの得票が多かったのです。
宮城和之さんが「今まで闘ってきたうるま市民の力だ!」とおっしゃっていました。
そんな闘いの中心にいらした「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」事務局長の
宮城英和さんが、今年9月にご病気で亡くなられました。
宮城和之さんは、英和さんについて
「弁舌爽やか、歌も上手くて、闘いの場を盛り上げるとても素晴らしい人でした。
うるまの闘いだけでなく、島ぐるみの闘い、沖縄にとって貴重な人材を失い
本当に残念無念です」とおっしゃっていました。
英和さんのCDを持参され、歌を聴かせていただいたのですが、
とてもすてきな歌声にしみじみと、しばし聴き入りました。
英和さんを共に追悼することが出来、良い時間を持てました。
粘り強い活動を続けてこられ、これからも続けていかれるうるまの会のみなさんと、
これからも、つながっていきたいと思います。
ありがとうございました
ZAN
ありがとうございます。がんばります