昼を過ぎてしまった、先生は来てくれるとキンブリーさんは言っていたけど、段々と不安になってきた、窓際の花瓶の花を一本抜き取った、そして花びらを一枚ずつむしる。
先生は来てくれる、いや、来てくれない、途中で帰った、帰ってない、最後の一枚になった。
「来てくれない」
駄目だ。人生の終着地点が、すぐ、そこに迫っている。
来るといっても数日はかかるらしいのだが、マイナス思考なことはかり頭の中をぐるぐるだ。
このまま、野の花みたいに枯れてしまいたいなどと考えてしまう。
時計を見ると三時、世間ではアフタヌーン、おやつの時間だ、もし、ここが軍の施設でなくて先生の家なら、シフォン、カップケーキ、クランペット、バターたっぷりの焼き菓子を食べているところだろう。
あのスカーでさえ、先生の作る菓子、料理も残さずに完食、お代わりもする、ちょっと図々しいんじゃないのと思うが、居候の自分が遠慮しろなんて文句は言えない。
仕事が休みだから先生のところに泊まっているのは、食べ物、食事か美味しい事も関係しているのかもなんて事を思ってしまう。
もう、寝よう、外は明るいけど、今の自分は無気力の駄目人間、そう言われても仕方ない、壁際に寝返りをうって世間様から背中を向けてたとき、ドアをノックする音がした。
入りますよとキンブリーさんの声がした。
「こちらです、先生」
思わず、起き上がろうとしたが、ずっと寝てばかりだったので足がしびれてベッドからずり落ちてしまった。
「大丈夫かね」
マルコーさんの声に、わずかに上半身を起こして両手を伸ばして抱きついた、ほっとしたという安心感、とにかく腕に力を込めて抱きついたが。
「く、苦しいっ、首がっ」
その声に慌てて体を離す、ごめんなさいと謝るが、顔をまともに見る事ができない、もしかしたら来てくれないかもと思った自分の顔面を平手打ちどころか、殴ってしまいたい。
(先生は、ちゃんと来てくれた)
食べなさいと言われて目の前に置かれたバスケットを見ると中には色々な焼き菓子が沢山詰まっていた、シフォン、クランペット、マフィン、ショートブレッドまである、思わず食べたいと思ったが、何故か、手が出せない。
「これは最後の晩餐ですか、先生」
仕事を休んで、ここまで来て迷惑千万賭けまくりだ、声が段々と小さくなっていく、そんな彼女にマルコーは困惑した、何故、そこまでマイナス思考になるのか分からなかったからだ。
「もしかして、何か言われたのかね、誰かに」
女の肩の震えが、硬直したような感じで呟きも止まった。
彼女が正式な助手になったと知ったとき、村の人間は喜んでいた、もしかしたら、中には専門の知識がないのにと思う人間もいたかもしれない、だが、そのこともきちんと説明した。
ふと、視線を感じて振り返ると後ろにいたスカーと目が合った、その瞬間、無言で男は目を逸らした。
(その顔、もしかして、何か言ったのか、君は)
二人の態度に気づいたのか、そばにいたキンブリーも視線をスカーに向けた。
とにかく気持ちを前向きにさせなければとマルコーは食べなさいと声をかけた
「おまえさんの面倒は私がみると村の皆には言ってある、そうだ、帰ったらシチューを作ろう、クリーム、ビーフがいいかな」
マルコーの言葉に気持ちが緩み、クリームと呟く、芋と人参をたくさんというリクエストも忘れないのは女性ならではの、お約束という奴だ。
「先生、今夜の宿はお決まりですか」
キンブリーさんの問いかけに先生は宿を取るつもりだと言う、そんな会話を菓子を食べながら食べながら聞いていた。
「少し、この街でゆっくりして、汽車で帰るつもりだ、最近は忙しかったし、丁度いいタイミングだと思ってね」
「そうですか、どうせなら、ここより離れたところのホテルや宿の方がいいかもしれませんね、ねえっ、大佐」
そのときまで、ドアの前に立っている男の存在に初めて気づいた。
「その方が彼女も安心してぐっすりと眠れるというものです」
「キンブリーッ、貴様」
「私の中の正義の心とでもいうのでしょうか」
ぐっと言葉に詰まったマスタングは唸った。
(悪党面のくせに、よく、そんな台詞が平気な顔で)
「私は敷地内の見回りをだな」
「大佐、覗きは犯罪です、ついでにスリーサイズの」
「れっ、連呼するんじゃない、それにサイズはまだ、未確認だ」
大佐=覗きは確定となり、部屋の中は、しんとなった。
そうか、軍の施設に保護されたのか、それなら大丈夫だろうとリン・ヤオは、ほっとした。
皇帝という立場になり即位したが、生来の気質は抜けるものではなく、暇な時間を作っては国内、外を問わず行ってくると言い残してふらりと旅に出たりしている。
まだ国は完全に立ち直ったとは言えない、だが、諸外国の事も気になる、それに友人や知人に会いたいと思い、今回は少し、まとまった休みを取ることにしたのだ。
即位する前とは違い、何も言わずに出て行くことははばかられたので、従者のランファンにだけは、少し出かけてくると言って出たのだ、ところが、彼女はこっそりとついて来た、それが分かったのは城を出て三日目のことだった。
そして、途中で盗賊、いや、盗人の集団に出くわしたのだ。
食べ物だけではない金目の物、宝石だけではなく、誘拐されたのか、女までいた事には驚いた、しかも、ずっと眠ったままだ。
リン・ヤオは不安になった、シン国には独自の療法もあり、治療を受けに他の国から来る人間も少なくない、薬、気の流れを変える術を施して見ても女は目が覚めない、死んでいる訳ではない、ただ、こんこんと眠り続けているのだ。
「外国の者かもしれませんな」
医師はリンに説明した。
イシュヴァールの診療所へ帰るのではなく数日、この街のホテルで止まって、それからゆっくりと帰ろうということになった。
また、気を遣わせて、おまけに余計な出費まで出させてしまった、内心、がっくりとした美夜だったが、マルコーの言葉に、こうなったら甘えようと決心した、診療所に帰ったら、掃除、家周りの草むしり、窓の隙間風を塞いで、とにかく役に立つところを見せなければと思った。
そろそろ帰り自宅の準備をしようと思ったとき、また訪問者が現れた、青年と若い娘、二人よりも歳上らしき男性の三人だ。
リン・ヤオは女の姿を見ると安心した表情で、誘拐されたときの事を話し始めた、誘拐に最初に気づいたのはシャオメイという女性らしい。
眠り続けて目が覚めない事に困り、軍の施設なら医療設備も揃っているということで、ここに運ばれたらしい。
話を聞いて、そうなんだと思ったが、今は、こうして目が覚めているし、さっきまでは焼き菓子もバクバク食べていたので至って問題ナシだ。
ありがとうございますと三人に礼を言った美夜だった、ところが。
「あなたはシン国の聖人、我々の国にお迎えしたいと思います」
男が深々と頭を下げ、にっこりと笑みを浮かべたが美夜は思った、気持ち悪いと。
「シン国の聖人、まさか、ここで、それを聞くとは思いませんでしたね」
それはキンブリーの声だ、男に向かって、あなた、シン国の方ですかと尋ねた。
「私、以前、尋ねた事がありましてね、地図にも載らないような小さな集落でした」
男の顔、目が驚きに見開かれた。
「シン国の中にあって、あそこはそうではない、そして、聖人という呼び方はしない」
「な、何が言いたい、何故、そんな事を知って」
男の声がわずかに震える。
「向こうから来た人を彼らは石と呼ぶらしい、個人を、人だと分からないように、いるんですよ、あなたのような人間が」
このとき男は、はっとしたようにキンブリーを見た。
「れ、錬金術師か、おまえ」
「先生もですよ、結晶の錬金術師と呼ばれています」
男はマルコーを、キンブリーを見た、溢れそうになる感情を抑え込もうとするようだ。
「何故だ、お、おまえ達、錬金術師だけが恩恵を受け、そんな事が許されると」
一体、何がどうなっているのか分からない、キンブリーのやりとりを部屋の中の全員が見ていた。
「傷の男、その人を捕まえてください、迎えが来ます、シン国から、二度と外には出られない、あなたには彼らが罰を下すでしょうから」
「な、何故だ」
このとき女、美夜が初めて口を開いた、自分を誘拐したのは、あなたかと。
男の顔に絶望の色が、はっきりと浮かんだ。