まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

久々の訪問

2015-01-24 11:26:08 | 昔話あれこれ

先日、所用で新宿に寄ったので、久々に歌舞伎町の喜多方ラーメン店「坂内」を訪問。



(坂内・歌舞伎町店) 新宿区歌舞伎町1-24-6

※以前は赤いゲートの「一番街通り」にも店があったが、だいぶ前に閉店してしまった。
現在、新宿界隈では、歌舞伎町店の他に、「思い出横丁店」(かつて、格安うなぎ屋「うな丸」があった所)と、西新宿の「新宿パークタワー店」(地下)の3店舗が営業中。
もちろん、広域チェーン展開しているので(「坂内」と「」(こぼし))、都内以外の出店も多い。
個人的には、有楽町店、四ッ谷店()、渋谷・並木橋店()、川崎・東田店()が馴染み深い(近くのパチ屋とセットで記憶が繋がっている)。




個人的に定番の「ネギチャーシューメン(太麺)」(990円)を注文。アッサリしているがコクのあるスープ。シャキシャキのネギと、とろとろチャーシューの絶妙なバランス。これをシコシコした太麺と共に口中に放り込むと、得も言われぬ満足感・安堵感が拡がる。
ただ、昔よりチャーシューの量が心なしか減った気がするのは、気のせいだろうか。かつては、それこそ「嫌になるくらい」の大量チャーシュー攻撃を喰らっていたのだが…。もちろん、今でも標準よりチャーシューの量は多めである。



一緒にギョーザ(360円)も頼んだ。「ネギチャーシューとギョーザ」…現役時、この界隈のパチ屋で勝つと、決まってここで注文した「鉄板」コンビである。

あ、当時は今より食も太かったから、ネギチャーシューを「大盛り」で頼むことも多かったが。


ここは開業時から長く、現在地の右隣(角地)で営業していたが、数年前に左隣へ「平行移動」。

’90年代に歌舞伎町の各ホールを彷徨った自分にとっては、やはり角地の方が馴染み深いが、これも「時代の流れ」というヤツで、仕方ない。


(角地時代の坂内・歌舞伎町店)


坂内・歌舞伎町店の新規開店は、平成2年(1990年)4月。奇遇にも、私のパチ歴スタートと全く同じ。既に、開業から25年近く経っており、ここまでくれば、立派な「老舗」の仲間入りである。

私自身も、この坂内をオープンから間もない頃から、周辺のパチ屋同様、よく利用したクチだ。

平成2年当時、坂内周辺には多くの香ばしいパチ屋・スロ屋が並び、ハシゴにはうってつけのプレイスポットだった。

現在も、エスパス系のホールがすぐそばで営業しているが、例の「タワー店」のような巨大ホールは、まだ存在しなかった。確かに、この辺りは昔から日拓が幅を利かせていた。ただ、路地沿いには昭和チックな小店が点在していて、雑然とした中にも一種の「風情」が感じられた。

因みに、1990年6月頃の坂内周辺マップはこんな感じ。




赤で囲ったのが当時の坂内で、青枠がパチンコ店orパチスロ店。当然ながら、現在とは全く趣
が異なる(「横浜銀行~磯料理」の全範囲が、今ではエスパスタワーと換金所に変貌)。

そうそう、以前は坂内の左隣で、2軒の怪しい「ビデオ屋」がヒッソリと営業してたっけ…。目隠しの大きなノレンをくぐると、狭い店内の壁一面に作品のサンプル写真がズラッと貼られていた。「浄化運動」とやらで、いつの間にか消えてしまったが…。その跡地に建ったのが、移転後の坂内という事になる。


「1990年」の旧要件末期は、私にとって一種特別な思い出の残る、まさに「古き良き時代」だ。当時のホール状況も、特に強く記憶に刺さる。

  西武新宿駅前通りの「ムサシ」(後の「マイリバー」)は、日拓チェーンに対抗すべく孤軍奮闘していた小店のスロ屋。設置機種は1Fがスーパーセブン(パイオニア2-1)で、2Fがフラッシュ(ニイガタ電子2-1)。後に2Fがスーバニに変わり、3号機時代は1FがアラジンII(青パネル)に入替えられた。アラII時代は、特にお世話になったな…。
  同じ駅前通り「日拓1号店」は、1Fがパチ、2Fがスロで、この界隈では規模も大きめだった。入口付近に大きなモニターTVが何段も重ねて置いてあり、土・日はここで競馬中継を流すので、人だかりができた。2Fには、他店であまり見かけないCタイプ「トロピカーナA」(メーシー2-1)が置いてあった(他にも、センチュリー21やリバIVなどユニバ系が目立った。コンチIIIもよく勝負した。ビッグパルサーやバニーガール、それにムサシも打ったな)。
  坂内の真向かいにあった「日拓2号店」は等価交換がウリ。中二階を上がって目の前にあったドリームX(奥村、デジパチ)が、一番のお気に入りだった。地下のセンチュリー21も懐かしい。
  坂内のはす向かいにあった「日拓ビッグプレイ3(パチスロ日拓)」も等価のスロ店。プレハブ小屋みたいな2階建ての小店で、「パチスロ・日拓・777」の赤いネオンがやけに目立っていた。当時の設置台は、アメリカーナX2(ユニバーサル2-1)1機種のみ。1Fはグルッと壁を取り囲むように、2Fは激狭な通路沿いに4シマ設置してあった。後に、1Fをスーバニに入れ替えた。
  高級風俗店「バルボラ」の前で営業していた「日拓3号店」は、地上と地下の2フロアで、1Fがパチ、地下がスロ(数年後、地下が全面改装でCR専用フロアになったが…)。当時は、お気に入りの一発台「ベータ」や「キャラバン」が1Fにあり、地下では初代アラジンなどを打った。
  坂内の右脇には、10円ポーカー屋の入口を挟んで地下に通じる小階段があり、そのまま薄暗い階段を下りると、地下2Fに日拓の換金所があった(いかにも怪しい、無国籍な雰囲気が漂った)。特殊景品は、プラスチックケースに入ったゴルフのマーカー2個(大)と、ライター石(小)。その後、大景品がマーカーからプラスチックケース入りのボールペンに変わった記憶もある。

 なお、地図には含めていないが、日拓1号店の向かい(エビ通り入口)には、スロ専「日拓ビッグプレイ1」もあった(設置は「ロックンロール」と「リバティベルIV」)。因みに、同じエビ通り沿いには、後に「日拓ビッグポット」というスロ屋も出来たが、この時期はまだ存在しない(開業は91年末)。なお、詳しい事は、コチラのマップを参照。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e
(歌舞伎町のパチンコホール変遷・1987~2002)


★註:上記は基本的に「1990年」時点の状況を描写したもの。その後、スロ3号機全盛期には、この界隈で「アポロン」の5連Verが席巻するなど、状況が一変した事もある。そうそう、日拓3号店地下では、「スペースバトル」のバケがやたらとクレジット連するヤツを打っていたが、あれは単なるノーマル高設定か、それとも〇モノか…。


まぁ、こんな感じで、一勝負終えたら、近くの坂内で腹ごしらえというのも、自然の流れだった。
ただ、こっ酷くやられた時などは、牛めし松屋で味噌汁付きの牛めしをさっさと喰らい、トボトボ帰ることもあったが…。


(昔の松屋の看板…これは、靖国通り沿いにあったデッカイヤツ)


ともかくも、20数年前のアツい活動期に思いを馳せつつ、坂内で懐かしい「青春の味」を堪能。胃袋も心も存分に満たして、帰宅の途についた。



1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-01-31 17:22:25
確かにチャーシューの量減りましたね...
僕らみたいな40代のおっさんには丁度いいかも。
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