ラスベガス(西陣・旧要件デジパチ、1990年)
大当り確率:1/225
出玉:2400~3000個(釘調整により異なる)
何の変哲もないドットデジタルのノーマルデジパチだったが…
一時期、取りつかれたように、この機種ばかりを打っていた事がある。
新宿・西口の「ジャンボ」という大型店であった。
(新宿「ジャンボ」、2011年8月3日撮影)
この老舗店の地下フロア(階段の左脇)に、当時コイツが6台ほど並んでいた。
授業が終わると、都の西北からバスに乗り込み「歌舞伎町」で下車、そこからテクテクと歩いて通った記憶が、今も鮮明に残っている。
(私がいつも使っていたのは「新宿駅西口行」バスだ。大学図書館と15号館の間を通るグランド坂通りから、早稲田通り~明治通りと進み、靖国通りの「歌舞伎町」停留所を目指した。なお、現在は都バスのグランド坂ルートは使われていない。)
「ジャンボ」の地下階段を下りながら、ラスベガスの盤面が見えると、自然と気持ちも高揚した。
特に、意図的に保留玉連チャンが仕組まれている訳でもなかったが…
なぜか、ドットデジタルのスローなリーチアクションに心惹かれた。リーチ時のデジタル回転音も、「キンキンキン…」と独特の響きがあって好みだった。絵柄が3つ揃った時の感動も、他のデジパチとは一味も二味も違っていた。
大当りになると、デジタル上部のウィングアタッカーが開き、左右のオマケチャッカーに玉を導く。この時、ストロークを微妙に調整して、なるべくオマケに流れるように頑張っていた。幸いにも、本機でのパンク経験は一度もない。
確か、このシマは一回交換だったので、大当たりが終了する毎に、玉をジェットカウンターに流していた。で、手持ちの金がなくなると、特殊景品を持って、道路を挟んだ「しょんべん横丁」にある換金所に財布の中身を補充に行く。当時、「ジャンボ」の特殊景品は今のような金景品ではなく、香水(大)・香水(小)・ライター石の3種類であった。
思い出横丁にある「ジャンボ」換金所。90年当時の雰囲気を今も残す。(2011年8月3日撮影)
で、空腹時には、横丁のど真ん中で営業していた「かめや」という立ち食いそば屋で「天玉そば」を啜ってから、店に戻ってラスベガスと再戦したものだ。換金してそのまま帰宅すれば儲けヤメなのだが、もう一勝負してしまうのが、パチバカの哀しき性であった。
しょんべん横丁の名店、立ち食い蕎麦屋「かめや」(2011年8月3日撮影)
という訳で、新宿ジャンボの地下フロアには、名機「ラスベガス」にまつわる思い出がタップリと詰まっているのだ。
ノーマルデジパチのラスベガスには、後に腕時計を使った大当り直撃打法…通称「兜町攻略法」なる技が発覚したが、残念ながら攻略法を使った記憶はない。
そういえば、「新宿ジャンボ」の地下フロアは、当時、デジパチよりもハネモノやパチスロの方が客付も良く、目立っていた。
地下階段を下りて正面がスロのシマで、当時は、アラジンとスーパーバニーガールが向かい合って並んでいた。左手にもスロがあり、こちらにはリバティベル3やセンチュリー21(赤パネル)が鎮座していた。一方、階段の右手奥はというと、まったりとした羽根物シマになっていた。ジュースの販売機や休憩スペースも、右側にあったと記憶する。
センチュリー21(赤パネル)、DENDO上野店にて撮影。
新宿「ジャンボ」に設置されていたセンチュリーも、コチラのパネルであった。
余談だが、20年前の某「銀玉親方」系パチンコ攻略本には、当時の「ジャンボ」設置機種を証明する画像が載っている。90年代初頭にジャンボの地下階段右手に貼られていた「新装開店ポスター」(手書き)が掲載されているのだ。実に貴重な歴史資料といえる。
奥村…「ローリング(7)」「マーブルX」、ニューギン…「エキサイト123」「エキサイト麻雀」、三共…「フィーバーフラッシュ」平和「(ブラボー)センチュリー」など、懐かしい機種がズラリ。1990年秋頃の新装だろうか。スロの「アラジン」「リバティ(ベル)」は、先程の私の証言を見事に証明している。キャスターやオリンパスを「三共」と書いてあるが、これは明らかに「マルホン」の誤記であろう。
これらのデジパチに関しては、ほとんどが地上フロアの設置機種だったと記憶する。特に、「エキサイト123」は大のお気に入りで、地上入口を入って右端、ちょっと暗めのシマにヒッソリと置いてあったのを、今でも良く覚えている。6ケタデジタルが全て同じ数字になった時の感動は、これまた他の機種とは一味も二味も違った。「ノット10打法」による連チャン狙いも、実に懐かしい。
ニューギン「エキサイト123」(1990年)※DENDO蕨店にて撮影。