唐突だが、「ナナシーの全回転リーチ」と聞いて、皆さんはどんなイメージを持つだろうか。
勿論、当ブログでナナシーといえば、1996年(平成8年)に出た「初代ナナシー」の事だ。
(豊丸・一般電役「ナナシー」 大当り確率:1/158)
甘い確率、香ばしいリーチ、大当り中の連チャンなど、私も大変好んだ思い出の一台だ。
デジタルはコインを模したもので、赤7・黄7と¥・$の4図柄からなる。
(ナナシーとは7SY、すなわち「7$¥」を意味)
※以前、こんなおちゃらけた記事を書いたこともあった。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/03013322e78225acc4f78f91ea5563b8
(あるデジタルの叫び…豊丸「ナナシー」)
ご存じの通り、ナナシーのデジタルは上下二段の構造(上3つ・下3つ)で、上段三つ揃いで初めてリーチとなる。その後、下段で左→中とリーチが進むにつれて、大当りの期待も段階的に高まる。リーチ時のコインの回転と独特のサウンドは、なんとも言えぬ魅力があった。
厳密にいえば、下段の中デジタルまでは単なる「プレリーチ」状態に過ぎず、最後の右デジタルまで届いた時点で、ようやく「本物のリーチ」といえた。
この「6番目のデジタルまで、なかなか届かぬじれったさ」も、本機に魅力を感じた要素の1つだ。これは、旧要件期に好んだ「エキサイト123」(ニューギン・1990年登場。6ケタデジタルだが、なかなか数字が5つ揃わなかった)に通じるアツさだった。ひょっとして、ナナシーの開発者も、エキサイト123のファンだったかもしれない。
本機には、「手足リーチ」「ノーマルリーチ」「伸縮リーチ」「全回転リーチ」(信頼度の低い順に記載)と4つのリーチアクションがあり、いずれも大当りの期待が持てた。「捨てリーチなし」という、打ち手に嬉しい特色があった訳だ。もちろん、下段右に辿りつく迄が大変だったが…。なお、リーチに関する各種データは、こちらの過去記事を参照して欲しい。
特に、上段が三つ揃ってサウンドが派手に変わり、下段デジタルが揃って回り出した後、上下が一斉にシンクロ回転を始める「全回転リーチ」は、超・高確率で大当りに結び付く、アツいリーチとなっていた。全回転中は、図柄の外周が炎に包まれる為、「ファイヤーコインリーチ」などと呼ばれた。
全回転リーチの信頼度は、約97%(「98.73%」との解析データもアリ)と極めて高かった。高確率機とは思えぬ大ハマリを喰らってブルーな時、唐突にコイツが出てくれると、台に救われた気がして、テンションが一気に上がった。
とはいっても、「鉄板」ではない為、当然ながら稀に外れる事もあった。全回転で大当りを確信した矢先、下段の右デジだけがクルッと1コマ進んで外れたショックは、経験した方ならばお判りだろう。
全回転が外れるケースは、(1)大当り抽選に落選、(2)上段が3つ揃い出目を選択、(3)下段の左・中がゾロ目を選択、(4)下段右が下段中に対して「+1コマ」の出目を選択、(5)+1コマハズレ時のリーチ振り分け率「1/256」に当選、の5条件をすべて満たすと出現する。まぁ、滅多に出ないケースなのは明らかだ。
幸いというか、あいにくというか、私自身、割とナナシーは多く打っていたが、全回転を外した経験は3回程しかない。
まぁ、「一度も全回転を外したことがない」人は、それはそれで「残念」なのかも知れない。
最初に「ナナシー全回転ハズレ」を体験したのは、実は行きつけのホールではなく、1997年(平成9年)8月に旅打ちで訪れた、「金沢」のパチ屋である。
初見の店で全回転を初めて外した驚きと落胆は、今でも強く印象に残る。JR金沢駅近くの「ミリオン」(現・駅前ペリカン)という店での「事件」だった。
ただ、この時、ナナシーにはソッポを向かれたが(エキサイトジャックも打った記憶アリ)、同じ店でスロの「アラジンマスター」を打ち、何とか勝ちを収めた。
勝負終わりの夜、まだ再開発前の金沢駅近くの国道沿いにあった、「堀川ラーメン」(カウンター席のみの狭い店、既に閉店)の味も懐かしい…。
(’97年の金沢遠征時に宿泊した、パチ屋近くのホテルの勘定書)
ナナシー全回転といえば、名著「パチプロ日記」の作者、故・田山幸憲プロも、日記の中で、全回転リーチを外した経験について語った事がある。
ナナシーは、田山氏お気に入りの機種として知られ、命日である「2001年7月4日」も、まさに「ナナシー(7.4)の日」であった。
先日、当ブログに頂いたコメントの中で、田山さんにまつわるご自身の体験と共に、「田山さんとナナシー全回転ハズレ」にも触れた方がいた。
(お名前は伏せますが、あらためて、貴重なコメント有難うございました。)
コメントによれば、田山さんが日記の中か何かで、ナナシーの全回転を外したことが数回あると言っており、そのうち1回は「本郷」のパチ屋だったという。
「普段行きつけないパチ屋で、ナナシーの全回転を外した」というこのエピソードは、私の金沢・旅打ちの経験とも重なって、何となく親近感が湧く。
コメントには、本郷には「東大病院」(田山さんが治療で通入院した所)があるので、田山さんが治療の帰り、このパチ屋に寄ったのではないか、そして、そのホールは「ニューときわ」(現・アバンザ本郷)と思われる、とも書かれていた(本郷には、当時この一軒しかパチ屋がなかったとのこと)。
「田山さんとナナシー全回転ハズレ」の話は、自分も過去に読んだ記憶があった。さっそく、手元の単行本や必勝ガイドで、「確認作業」を行った。
ただ、現在所持しているパチプロ日記は、全10巻中3冊と少なく(大分昔に、愚かにも浴槽で連日読み続けて、クシャクシャにふやけて捨てたものもある…涙)、ガイドの本誌も全て揃っている訳ではなく、該当箇所を見つけられるかは、少々不安だった。
かつて、田山さんは桜新町のH店(パチーノヒノ)及び用賀のH店(日の丸用賀店)で、現金機ナナシーを有力な勝負機種とした。用賀H店で指定席の如く連日座った、ナナシーの「右カド台」(366番台)は有名だ。
この時期の日記の内容を全て確認するのは、資料不足により難しい。それでも、用賀時代の「1998年~2001年」については確実にチェックができる為、特に重点的に調べた。その結果、幸いにも、該当箇所を発見する事ができた。
田山さんの「全回転ハズレ」のエピソードは、1999年5月17日の日記に書かれている。
(もちろん、この時以外にも触れた可能性はあるが)
用賀H店で、朝イチに打ったナナシー「387番」で、投資500円目にいきなり全回転リーチが掛かったが、これがまさかの「ハズレ」。隣にいた「ガチャピン」(常連の仲間)に笑われたという話の後に、わずか数行だが、「全回転ハズレ」のくだりが出てくる。
田山さんがナナシーで全回転を外したのは、この時が通算「8回目」だったという。内訳は、桜新町H店で5回、用賀H店で2回、そして残りの1回が本郷のパチンコ店(「東大病院の帰りに立ち寄った」と、田山さん自身も書いている)。ハズレ8回については、「ナナシーはずいぶん打っているから仕方がないけど、やっぱりこれは平均よりも多いと思う」と語っている。
一応、念の為に、’99年5月17日以降の全記載分、即ち、平成13年(2001年)1月4日(田山さん最後の日記)まで目を通してみたが、その間、「ナナシーの全回転を外した」という場面は、一度も出てこなかった。
もちろん、日記以外の日にハズした可能性はあるが、少なくとも、田山さんが日記で読者に「告白」した、ナナシー全回転の生涯ハズレ回数は、「合計8回」という事になろう。
まぁ、たとえ日記の日でなくとも、仮に実戦で全回転を外したとすれば、真っ先に日記で触れたと思うので、この8回以外で、ナナシー全回転をハズした事はないようにも思える。
日記では、大当りした際の「打ちこみ玉数」と「リーチの種類」を明記するのが、田山さんの「通例」となっていた。ナナシーの場合も必ず両方書いてあって、大変に調べ易かった。
特に、ナナシーで全回転が掛かると、「アッと驚く全回転リーチ」、「心ときめく全回転リーチの快音」、「当然の如く当った」、「結果を見る前からイタダキ」、「結果を見る前から右打ちの構え」などといった、定番フレーズがよく使われた。通算で8度のハズレを経験しながら、ナナシー全回転に対する田山さんの信頼感は、最後まで揺るがなかったようだ。
そんな訳で、今回は、初代ナナシーの全回転リーチについて、色々と書いてみた。「天国」も「地獄」も味わえたあの「脳汁リーチ」に、皆さんはどういった体験をお持ちだろうか。
※参考文献…田山幸憲「パチプロ日記X」(白夜書房)
実にタイムリーなのだがクイーンズブレイドでナナシーみたいな演出あるのに昨日気づいた
高尾はナナシーっぽい演出メインにして出せばよかったのに
僕が正攻法を勉強始めた頃なので、全回転外して自慢する余裕はなかったから良かったと思いますよ。
出来れば2.5円ラッキーNo制、朝1時の無制限タイム付きって営業でもう一度打ちたいです。
玉無しでも札は継続のルールだったら更に良し、懐かしいな~(^_^)
「確認作業」ご苦労様でした。今回の記事を読んで、本当に嬉しくなりました。
何が嬉しいって、田山さんに関する記憶を共有できたことが本当に嬉しいです。
田山さんが亡くなって2、3年は「田山幸憲」で検索するとたくさんの記事が出たものです。白夜書房のHPにも「田山ファンクラブ」がありました。命日には末井さんやコエダさんウエチューさんモデルオノさんが集まったなんて記事もありました。しかし、最近では、こちらの懐パチ以外にはほとんど見られません。(仕方のないことですが)
金沢で全回転を外したなんて、普段打たない本郷で外した田山さんにソックリじゃないですか。読んでいて、背中がゾクッとしました。
前回のコメントの続きになりますが、僕はその本郷のパチ店の常連でした。
その当時は、ナナシーや小龍包などの一般電役やFゼウスなどの時短機をよく打っていました。(お世辞にもネグラにできるような釘ではありません)
田山さんがその店でナナシーの全回転を外した記事を読んだ私は、興奮して店長に話してやりました。(店長もビックリすると思って・・)しかし、店長は「へーそうなんですか、何回かいらっしゃいましたよ」と言うだけ。
まあ、私にとっては憧れの田山さんも、店員にとってはただのお客さんなんだな~とガッカリしました。
話は変わりますが、今回の記事の中に「名著 パチプロ日記」というくだりがあります。
もちろん私も名著だと思っております。(全巻買ったのに現在残っているのは3冊だけ・・)
そこで、名著なんだから国会図書館にも当然あるハズだと思い、ある日国会図書館に行ったついでに調べてみました。
すると、ありましたありました!パチプロ日記全巻揃っていました。
いや~良かった(?)と思ったのも束の間、何か違和感を感じました。
その当時は、カードに本の題名や著者名が書かれていたように記憶しているのですが、
「パチプロ日記 田山幸憲(たやまさちのり)」と記されているではありませんか!!
田山さんは「ゆきのり」であって「さちのり」ではありません!!とその場で訂正願いを出せばよかったのですが、何となく言い出せずに、そのまま帰ってきてしまいました。
今でも、どうなっているのか気になるし、なぜ言わなかったのか心残りです。
今回も、長文のコメントで失礼いたしました。
これからも、楽しく拝読させていただき、たまにコメント入れさせていただきます。
あ、ナナシーの全回転ですが私は一度だけ外したことがあります。
外れたのに、なんだか自慢して話し回ったのを思い出します。
文京区春日のチャンピオンセンターだったなぁ。
全回転ハズレは一度だけ経験したような、してないような・・そんなおぼろげな記憶です。まだ新台を甘く使う時代でしたから、当たりやすいノーマル機は大好物でしたね。
社会人になって20年近く経ちますが、ついこないだのことと思っていることがだいぶ昔のことになっているのに気づかされます。最近はろくなパチンコ・パチスロ機種が無いので、昔のことを思い出している方が楽しいくらいです。ふと思い出す、たいていのことはこのブログで情報が見つかるので思い出補完にすごく役立ちます。これからも無理せずマイペースでやっていってくださいねー。
あと許せないのは再始動で外れるやつがニューギンのベルトかドラムのやつであった
更にその上をいく奴が・・・平和の権利物大三元
麻雀物語の権利物バージョンって言っていいんだが当たりの一個手前でハズレてゆっくり静かに一コマ進んであたるのはうれしい・・・しかーし当たりで、いや3つ揃って停止音まで鳴って1コマゆっくり静かに動いて外れるのを見てちょっと脳が沸騰するところだった
実はナナシーには長年の疑問があります。全回転リーチが稀にはずれる件ですが、良く「当時は100%のリーチは許可されていなかった」という主旨の解説を良く見かけます。
以下のwikiでもそう記載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%BC
また youtubeのレトロ動画でも、解説者がそうしゃべってます。
しかしナナシーと同じ年に発売された機種(1996年ごろ)では、CR大工の源さんやレモン牌では全回転は100%ですよね?その他の機種でも100%は結構あったと思います。(CRコマ駒クラブのように恐ろしい確率ではずれる機種もありますが)
いったい真相はどうなんでしょう。僕はナナシーの全回転はずれは、開発者の遊びこころと思ってます。
どなたかご存じの方、教えてください。
私のホームグランドのパチンコ屋では大三元を15台ほど導入していましたが、あっという間に客が飛んで一カ月くらいではずされたと記憶しています。