まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

新宿「5連アポロン」回想

2016-02-11 02:01:21 | パチスロ3号機



1991年(平成3年)1月に北電子から登場した3-2号機「アポロン」


これまで、当ブログでも度々取り上げてきた、思い出深き一台である。
(いい加減、そのネタは飽きた…という方は、ブラウザを閉じて頂きたい)


基本スペック、リーチ目、その他の特徴は、以下の「過去記事」を参照。

★北電子「アポロン」考(5連アポロンとは)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/047e2a4a61fd5b86a60363db6ef9cfb3

★幻…?(⇒アポロンの「登場時期」についての考察)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/ecb2a8d85276187913a5fbd9837070a8

★アポロン(北電子・3-2号機)
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5f914bcda7609aaa16ed5dc0dd704237



導入当初、宿河原の「小松ホール」や向ヶ丘遊園の「ぱちんこ遊園」でノーマルアポロンを打ったが、特に「刺さる」ほどの思い入れは無い。マッタリした出方で、たまにBR混合の3連程度(自力連チャン)が来る感じだった。

まぁ、「ぱちんこ遊園」は、知る人ぞ知る名店で、ニューキャスター、ガリバー2、ガリバースペシャル、スーパーコップなど、北電子ファン垂涎のラインナップだった時期もあるから、店舗そのものには思い入れもある。だが、ここのアポロンで凄く出したとか、ドハマリした記憶はない。


やはり、本機といえば、大ハマリの後、ビッグの5連チャン(以上)が訪れる、通称「5連アポロン(5連Ver)」の存在だろう。


私が5連アポロンと対峙したのは、24年前の1992年(平成4年)。当時マイホだった、新宿・歌舞伎町の「西武新宿駅前」である(その他のエリアでも打った事はあるが、一番足繁く通ったのがココ)。

その頃、駅前の一帯では「某」チェーンが勢力を拡大中。さほど広くないエリアで、系列店が7軒も展開していた(パチ・スロ併設4軒、スロ専3軒)。

この某チェーンが、91年秋~92年初頭にかけて、実に「香ばしい」挙動を示すアポロンを、系列各店に導入し始めた。

件の新宿エリアでも、7店舗のうち、本店と等価のスロ専1軒を除く計5店が、5連アポロンを立て続けに設置。

アポロンといえば、元々「91年1月」デビューだから、ちょっと遅めの「再登場」となる。

こういった「タイムラグ」がある導入の場合、大抵、中身は「ひっくり返って」いた。

3号機は裏モノ全盛だったから、そういう「遅れた新台入替」に、チョイチョイ出くわしたのだ。

このアポロンも、どう見てもノーマルとは思えない出方に、「変貌」を遂げていた。

(何と、メイン基板の裏に、連チャン基板が仕込んであった。二枚基板の「カラクリ屋敷」)

しかも、打ってみると、実に判り易い挙動だった。それが、先述した「ハマリ後、ビッグ5連」のパターンである。

普段は黒い「コウモリ」のREGばかりが揃い、ビッグは稀に単発を引く程度。そのバケとて、頻繁には引けず、1万使って1、2回程度…という展開が多かった。

小役落ちは大して悪くはなかったが、投資速度はノーマルと比べ物にならないほど早い。

その代り、連チャンゾーンに入れば、最低でもビッグ5回分、約1700枚の嬉しい見返りが待っていた。

ビッグ5連なら「360枚×5=1800枚」だが、次の当りまで平均20Pほどかかるので、コインは若干減った。当時は「7枚交換」が主流だったので、約「2万4000円」のリターンだ。

大半はキッチリ「5連」で終わったが、時折、6連以上するケースもあった。こうなれば、ワンチャンスで「3万両」オーバーの時もある(7枚交換の場合)。

ハッキリいって展開は荒いが、最後に明快な連チャンがある以上、多少リスクは冒しても、いったん座ったら、出るまで頑張るしかない…といった感じの台だった。

だが、幾ら連チャンしても、初期投資に4万も5万もかけたら、話にならない。

なるべく初期投資は少なくして、連チャンしたら即逃げのパターンが基本だった。

「この台は高設定っぽいから、次のゾーンまで追っかけよう」などと考えると、ズルズルとハマって全ノマレした上、途中で資金が尽きたりして、ロクな目に合わなかったのだ。

個人的にも、当時は一介のバイト学生で、資金が潤沢ではなかった。バイト料が入った直後は5~6万くらい財布に入る事もあったが、敗戦続きで1万ポッキリ…という日も結構あった。

そんな「経済的事情」もあって、連チャンの前に手持ちが尽きる展開は怖かった。必然的に、シビアな立ち回りが求められた訳だ。1万で5連アポロンと戦うのは、流石に無謀だが。


先述の通り、某チェーンは、西武新宿駅前の密集地帯で、7軒中5軒が5連アポロンを置いていた。非常に「充実」した設置環境といえる。ただ、客付きには大きなバラつきもあった。

因みに、やはり西武新宿に近い「ニューミヤコセンター」という店にも、アポロン(白パネル)が入っていたが、いつ行っても満席で打てず、結局バージョンも判らずじまいだった。

で、5つの系列店を定期的に「巡視」して回り、誰かがアツく突っ込んでいたら、台番号を覚えておいて、後で空き台になっていたら打つ…という「ハイエナ」が効果的だった。

今とは違って、頭上のランプはピカピカ光るだけの機能しかなく、「総ゲーム数、BR回数、ボーナス間隔」といったデータランプは、まだ無かった。手めくりの赤い札でビッグの回数を表示するホールはあったが、某チェーンにはそれも無かった。つまり、自分の目で確認した生の情報こそが、立ち回りの全てだったのだ。

因みに、西武新宿駅前の路地では、昭和チックな飲食店や風俗店がズラリと並んでいて、「勇駒」などの海鮮料理店が、店先で海老やサザエを網で焼いていた(「エビ通り」の由来)。そんな「磯の香り」を嗅ぎながら、5つのホールをいそいそと巡回した記憶が残る。


この時期、まだ本機が「貯金」タイプという確証は無かったが(攻略誌に連チャンシステムが載ったのは、もう少し後の話)、露骨な挙動を見れば、ある程度突っ込むと連チャンで返ってくる仕様という事は、判っていた。

だからこそ、他人がある程度金を入れた、「後ガマ」のみ狙う。そうしないと、今度は自分がハイエナの餌食になってしまうからだ。

このテの判り易い連チャン機は、中身を知る打ち手達の「ハイエナ合戦」となりがちだった。特に、中国や東南アジア系の外国人が、そのテの立ち回りに長けていた。

自分も、そういった「ライバル」達に負けじと、金を使わずに頭と足を使い、チャンスをひたすら待った。すると、イチゲンのサラリーマンなどが理不尽なハマリで投資地獄に陥り、最後はタネ銭切れか時間切れで、席を立つ事があった。

客付きの良い店だと、そこでハイエナ同士の熾烈な席取り争いになる。だが、店によってはガラガラの時間帯もあって、意外とライバルの姿もなかったりした。

そういえば、有る時は、懐の封筒に入った万札を一枚づつ取り出しては両替に立ち、何とも不安気な表情でアポロンを打つ、50過ぎと思しきサラリーマンがいた。それをシマの端からコッソリ眺めていた自分は、彼が力尽きて去った後、すぐ後釜を取った。少し心が痛んだが、そんな感傷に浸っては、5連アポロンで勝つのは難しいのだ。


だが、ハイエナ着席に成功しても、連チャンが始まるまで油断はできない。そこから、孤独で不安な、本当の「戦い」が始まる。

途中のバケが少ない為、揃うのは孔雀、ワシ、竪琴、地球儀、チェリーといった小役ばかり。後は、ひたすらサンドに1000円を突っ込む、地味な展開が続く。

リーチ目又はチャンス目とされる、ボーナス図柄(赤7とコウモリ)の一直線目が出る毎に、「もしや」と思ってボーナスを狙うが、ガセも多かった(ノーマル・裏に拘らず、3割程度ガセる仕様)。

(ボーナス図柄の一直線目…ガセもあるので、100%のリーチ目ではない)

両替した10枚の千円札が尽きる頃、やっとチェリー先頭のリーチ目が入る(ほぼBR確定)。ここで「チェリー・7・7」と並べばビッグ(のリーチ目)なので、「揃え、揃え」と慎重に目押しを試みる。だが、幾ら狙っても揃わずに、結局はコウモリ(バケ)の方が揃う。


(チェリー先頭+ボーナス並びの目は、超高確率のリーチ目(稀にガセる…)左上はビッグのリーチ目。)

本機は、最初に中リールを狙えば成立したボーナスが止まり易いが、1リールのみで楽しみが消える事は、あまりやりたくなかった。そういえば、「コウモリの目押しが苦手」という人も、結構いたな…。

同チェーンの5連アポロンは、「単発ビッグ」が異様に少ないのも特徴だった。当時、攻略誌の解析で、貯金放出前でも「そこそこの確率」で単発ビッグが来る旨、フローチャート付きで説明していた。だが、某チェーンの初期5連アポロンは、ちょっと展開が違った。単発ビッグでさえもレア…そんなキツイ展開を耐え忍ばないと、連チャンには巡り合えなかった。
(因みに、その攻略誌が解析した基板と、某チェーンの基板が同じとは限らない)

暫く粘って、ようやく「チェリー・7・7」の「ほぼ、Big確定目」が出現。「ほぼ」としたのは、稀にガセもあったから。赤7を狙うと、独特のスベリを伴ってビシッと揃う。これで、ようやく「入口」に立った。ビッグさえ引けば大半が連チャンに繋がるが、単発もあるので、油断は禁物だ。

ビッグ終了後、暫く「緊張」の時間が続く。5プレイ、10プレイ、15プレイ…なかなかリーチ目が出ない。「単発かも…」と不安がよぎった直後、ボーナス一直線目がビシッと揃う。今度はガセらず、見事ビッグの連チャンをゲット。3連目ともなれば安心で、ドル箱を膝に乗せてのコイン詰め作業を開始。時折、60プレイ以上ハマって、やっと次のビッグが来る事もあった。


そういえば、5連アポロン降臨から半年ほど経った92年の4~6月にかけて、都内を中心に「基板改修・再封印」の一大キャンペーンが行われた事がある。裏モノが蔓延する状況に当局が「イエローカード」を出して、それに業界が対応した格好だ。この改修で、香ばしい連チャンが消え失せて、「どノーマル」に戻ってしまった機種も多い。

「某」チェーンのアポロンも、店によっては、完全に「ノーマル」状態に戻った。ただ、一部の系列店では、連チャンが生きているケースも見られた。

ただ、その「後期型」では、連チャン時の挙動が初期と違って、ビッグが4連以下で終わってしまったり、ビッグが減った分バケになったりするケースが、やけに増えた。あれは、自粛的に、中身を「マイルド」に変えたという事だったのだろうか…。


まぁ、いつもこう巧くは行かない訳で、万全の準備で狙い台に座っても、バケ地獄で連チャンに届かず、あえなく手持ちがパンクして退散した事もある。

そういう時は、「無かったことにしよう…」と思い、ハマリ台を手放してダッシュでシマから逃げ去り、なるべく記憶から消し去ろう、消し去ろうととするのだが、却って忘れられなくなり、夜も眠れないほど悔しがったりした。



こんな感じで、取りとめも無く書いたが、「アポロン」といえば、5連Verを追った記憶が、今もズップリと刺さっている。今後も、このアポロンネタは、懲りずに続けて行きたい。