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1990年代・芸能人パチンコインタビュー(その5)

2012-01-27 01:24:55 | 90年代・芸能人パチンコインタビュー

1990年代・芸能人パチンコインタビュー(その5)。


1993年(平成5年)に、某民放TV局で放映されたパチンコ特番での一コマを紹介。


※第1回~第4回はコチラ。


第1回…細川ふみえ(タレント)

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/fa9528204f93ca2890d6ea348df1dfee


第2回…蛭子能収(漫画家、タレント)

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/5997d077c61ca1e24cf902b0cee439d4


第3回…新沼謙治(歌手)

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/84b0c823d023070be224c2c990416146


第4回…ダンプ松本(プロレスラー、タレント)

http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/d37819eb7203cc1d78b20fa5585fb5fd

 


さて、インタビューの第5回目は、女優の中村玉緒さんである。「パチンコ好きの芸能人」の代表格ともいうべき、芸能界きってのパチンコ通だ。古くは1987年(昭和62年)に、パチンコの振興と普及に努めた有識者に送られる「第2回パチンコ文化賞」を受賞されている。

 

現在でも、映画やドラマをはじめ、独特の「天然キャラ」を武器にバラエティ番組でも活躍中の玉緒さん。今から20年近く前の1993年当時、大好きなパチンコについて、どのような話をされていたのだろうか。

 


ナレーション「この方の場合は、年季が違います。パチンコ歴20年の中村玉緒さん。」

「不意にパチンコに行くことはないんです。『あ、今日ちょっとヒマだから、パチンコ』っていうんじゃなくて、もうスケジュールというか、一日の自分の生活の一部に入っているんです。」


「パチンコに今日行こうと思う日は、お仕事も楽しくなりますよ。私にとっては、何かそんなエネルギーというか、お薬になるというか。」


(ご主人である勝 新太郎氏の反応について)

「私がパチンコから戻ると、生き生きとしている訳ですよ。顔が変わって、元気になって帰ってくるので、主人が『そんなにパチンコっていいのか?』って聞くんです。その時に「今日は、良く出たか?」って、手打ち台の玉を弾く仕草をするんですよ。もう、そんな時代じゃない(笑)。」

(自身の必勝法を聞かれて)

「『何でこの台は出たんやろ、何で出るんやろ?』とか、とことんその台を研究しないとダメなんです。それで、新しい台が出たら10回くらい打ちに行って、自分に合うかどうか確かめるんです。打ってみて「やっぱりこの台は、自分には合わないんじゃないか」と思うこともあります。」


「それと、自分が『今日は2時間だけ打つ』と決めていても、もし出た時に『この台は、30分後にどうなるんだろう?』なんて考えるんですけど、そんなことは分からないですよね。そう考えると、やっぱりパチンコは『ヤメ時』なんじゃないかって、つくづく思いますね。」

(インタビュー終り)



中村玉緒さんというと、個人的にはサミーの4号機「玉緒でポン」を真っ先に思い出す。ビタ押しハズシが結構難しかったが、設定据え置き判別などの小技も効いて割と喰える台だったので、当時好んで打っていた。


AT機の「玉緒でポンDX」も好んだが、 コチラはいかんせん設置の少なさがネックだった。品川駅・港南口の路地裏にあったパチスロ店「アサヒ出玉王」(閉店)にプチ遠征した際は、見事に返り討ちに逢った。あの店は、「ドンちゃん2」は結構甘かったな…

(品川駅・港南口近く「アサヒ出玉王」(閉店)の在りし日の姿)


因みに、パチンコでも2001年に「CR玉緒でドッカン」(サミー)が出ているが、当時はスロメインでパチは「海物語」辺りしか打っていないので、残念ながら台解説は出来ない。

それと、玉緒さんといえば、1998年(平成10年)に日本テレビ系列で放映された深夜バラエティ番組「DAISUKI」でのパチンコ対決が印象深い。中山ヒデ、飯島直子、松本明子のレギュラー陣がいつも通り「リーチ」と大声で叫んでいると、玉緒さんが信頼度の低いリーチや予告に対して「それはリーチやない!」「それもアカン!」とダメ出しをしていた。玉緒さんのパチンコに対する真剣さが伝わってくる一幕だった。