1990年(平成2年)に京楽から登場した旧要件デジパチ「トランプカード」
★賞球:7&13
★大当り確率:1/236
★最高10ラウンド継続
★アタッカー開放時間:約25秒
★出玉:2000個以下~3000個オーバー(オマケチャッカーの釘次第)
★7×10の単色ドットマトリクス(赤)採用
★図柄…2~10、J、Q、K、顔、JK、A(計15種類)
★デジタル停止順:左⇒中⇒右
★スーパーリーチ:なし
★大当りの連チャン性:なし(ノーマルデジパチ)
(京楽お馴染みの赤色ドットデジタル。ただ、名機「ダービー」のドットとは少々雰囲気が異なる。むしろ、同社の麻雀モノデジパチ「麻雀王4号」のデジタル部を踏襲したといえる。デジタル回転中に、軽快なサウンドが流れるのも特徴だった。デジタルの移行法則があった気もするが失念。)
(アタッカーは、「ダービー」と同タイプのゲート型。オマケの釘次第では、3000発越えも可能。)
この時期、京楽のトランプモノでは「ニュートランプカード2」の存在が良く知られたが、同社の「元祖トランプ」といえば、実は本機の方である。両者はデビュー時期がほぼ同じだが、検定通過は2か月ほど本機の方が早い。
(京楽「ニュートランプカード2」)1990年登場。大当り確率1/225。10R継続の旧要件機。
因みに、ニュートランプカード2には、同じブロック液晶を使った兄弟機「ニュートランプカード」(1/230)及び「ニュートランプカード3」(確率不明)が存在する。また、新要件版として、「トランプエース」(1/225)も出ている。一方、本機にそのような後継機等は存在しない。
本機には、ニュートランプカード2の大きな特徴である「スーパーリーチ」がない。その代わり、左中テンパイでリーチがかかると、右デジタルがスロー気味にスクロールを続けた後、最終停止の3コマ手前から「ガクン」とスピードを大きく落とす。この「2段階スロー」に切り替わった瞬間、大当りかハズレかを判別出来たので、ほんの一瞬だが、大いに興奮することが出来た。
また、本機は「ニコちゃんクラブ」や「ダービー」等と同様に、当時の京楽の流行りだった、赤色ドットマトリクスのデジタル表示を採用。先述した通り、このドット表示部は先行機「麻雀王4号」と同タイプのものを使用(当然、図柄は異なるが)。
一方、ニュートランプカード2は、シンプルなドットマトリクスではなく、ブロック型の液晶デジタルを新たに採用した(当時、「グランプリ2号」なども同じブロック液晶タイプ)。機種名の「ニュー」には、「ドットからの脱却」と「スーパーリーチ搭載」という、二つの意味が込められている気もする。
★本機の実戦店…新宿・歌舞伎町「オデヲン」、向ヶ丘遊園駅・北口「スター」
(新宿「オデヲン」)…コマ劇の真向いにあった大きな店(閉店)。よく、店名を「PARLOR」と間違えられた(正面入口のネオン看板のせいで)。’90年当時、正面右手にガリバースぺシャル(北電子、2-2号機)が並んでいた(その後、アラジンII」とスーパープラネットに入替)
(向ヶ丘遊園「スター」)北口を出て、すぐ右手にあった小店(今も名前を変えて営業)。ダービー、ニュートランプカード2、エクサム5など、当時は京楽系の台を多く設置。2Fがパチスロのシマ(当時はコンチIとビッグパルサー)。
★1990年当時、新宿・コマ劇場周辺のパチ屋と換金所の見取図
※赤文字:ホールの位置 青文字:換金所の位置
A:ラスベガス B:オデヲン C:パチスロ・ニュープリンス
D:モナミ E:ニューセブン F:コスモ
当時、コマ劇の周囲には香ばしいパチ屋、スロ屋がゴロゴロしていた。その多くが、店舗からやや離れた怪しい場所に換金所があったので、特殊景品を見せびらかして歩いていると、ボッタクリのバーや風俗店に誘い込む「ポン引き」に、声を掛けられたりした。
本機を打った新宿「オデヲン」も、当時はコマ劇裏の小さな換金所まで歩かねばならず、コマ劇前や花道通りをウロつくポン引き達に、行く手を遮られる事があった。その後、オデヲンは裏口近くに新たな換金ブースを設置したので、その心配はなくなった。
因みに、当時の歌舞伎町でポン引きの「トラップ」がもっとも多かったのは、「さくら通り」という風俗店の集まる路地だった。上の地図には載せていないが、「トップス」というさくら通りのパチ屋の前には、懐の暖まったパチンカー達を狙うポン引き共が、いつも目を光らせていた(路地の四つ角で通せんぼする感じ)。無視して通り過ぎれば何てことはないのだが、ヘンに「後でね」なんて軽くあしらったりすると、いきなり逆ギレするので注意が必要だった。
なお、 Cの「ニュープリンス」は、店舗の入った小さな雑居ビルの屋上に、掘立小屋のようなボロい換金所があった為、ポン引きの心配は無用だった。
※新宿・歌舞伎町のパチンコ店マップはコチラ
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/02e7d120715b2d1c45944c46c600bb6e
「新宿・歌舞伎町のパチンコ店マップ変遷(1987~2002)」
余談だが、本機の実戦に関して、私の脳裏に強く焼き付いているのが、「黄色い透明な電球」だ。
といっても、連日ハマリを喰らって頭がヘンになり、黄色いサイレンの救急車でホールから運び出された訳ではない(笑)(「黄色い救急車」自体、単なる都市伝説に過ぎない)。
実は、トランプカードを打っていた新宿「オデヲン」と向ヶ丘遊園「スター」の2店舗は、いずれも当時、頭上の呼び出しランプ(大当りランプ)に「黄色い小電球」を使っていたのだ。
直径4センチ程で、中のフィラメントが透けて見えるような、半透明の電球が1個だけ付いていた。当時は、赤・青・黄の三色ランプが派手に光る店や、角型の赤ランプを備え付ける店が主流だったが、呼び出しランプが「黄色い裸電球1個」の店もチラホラ見かけた。非常に地味な装置だが、なんともレトロ感タップリで、私は好きだった。
台トラブルなどで店員を呼ぶ時、このランプの横にある小さなボタン(スイッチ)を押すと、黄色い小さな電球が「あの、店員さん…」という感じで控えめに点灯する(まぁ、店員の方は大抵、シマ端のトラブルランプで呼出に気づくのだが)。また、台が大当りすると、この電球がゆっくりゆっくり、噛みしめるように点滅を繰り返すのだ(店によっては、点滅速度の早いところもあった)。
こういったランプの「奥ゆかしさ」が、都会の喧噪と対照的に感じられて、深く心に沁みた。平成初期のパチ屋には、「昭和」を感じるこのテの要素が、まだ多く残っていた(パンチ穴テープのレシート、客に高圧的な店員、有線放送の演歌、銀玉がめり込んだ板張り床、軍艦マーチetc…)。