今年の水戸学講座は、本年が没後150年となる会沢正志斎がテーマ。今年度第一回目は、「会沢正志斎先生と神道」。講師は、元清真学園高校・中学校副校長・博士(文学)梶山孝夫氏。
会沢先生の著述の「草偃和言(そうえんわげん)」と「江湖負暄(こうこふけん)」の2つを中心に、彼が神道関連についての考えていることを受講。
今日は9月9日に続く今年度3回目で最終回である。今日の演題は「藤田幽谷の教育法~『及門遺範』などから~」で、植草学園短期大学名誉教授但野正弘氏の講義。
及門遺範は藤田幽谷の弟子の一人である會澤正志斎の著作になる。幽谷先生の死後24年に先生を追慕し、先生の門下教育の方針を記録して、学ぶものの参考に供したものである。幽谷の教育の第一は忠孝にあり、また君臣の義を重んじた。
帰路、ガソリンを満タンにし、ホームセンターでほうきを買って、12:45帰宅。それから、ブランチを摂る。今日も雲なく快晴。
今日は、8月19日に続く今年度2回目。今日の演題は「藤田幽谷の政策論~封事を中心として~」で、水戸市文化財保護審議会会長・宮田正彦氏。
幽谷は、文公、武公、哀公3代に対して諮問などに応じたものと、自発的なものを合わせ26回の封事を行っている。そのうち最初の4件、すなわち、20歳~35歳までの4件について講義を受けた。 今の政権にも真面目に勉強して貰いたい政策論もあって、歴史と博識に裏打ちされた幽谷の見識が素晴らしい。
ブランチを外で摂ろうと思っていて、受講後家で新聞を読んだりして、14時頃に我が家から歩いて2分ほどの近所の「ゆずり葉」という民家を利用したカフェレストランへ出かけた。でも残念ながら、ランチは売り切れていて、しぶしぶ家に戻り、いつも自宅で造っているサンドウィッチとトマト・レタスのサラダを摂った。
今日は常盤神社主催の水戸学の勉強。今年も、3回行われるうちの今日が初回である。今日の演題は「藤田幽谷の人柄ー「幽谷遺談」ほかに見るー」である。講師は、那珂市歴史民俗資料館館長仲田昭一氏。
「幽谷遺談」のほか、「(飛田)逸民集抄」、や會澤正志斎の「幽谷藤田先生墓誌銘」や息子である東湖の父幽谷観を「先考次郎左衛門藤田君行状」などを読んだ。
読めば読むほど、幽谷先生の幼少よりの素晴らしさがすごい。何故、このような人物となったのかが不思議だった。両親の教えなのか、幼いころから書物をよく読んでいたからなのか。小学生から、故郷の歴史の勉強などをもっと取り入れて、先人たちの残した事績を教えることも必要だと思った。
終了後、「義烈館」を訪れ1時間ばかり見て、途中ホームセンターで洗剤などを買って帰宅。
新聞などを読んで、ふと時計を見ると10時を過ぎていた。今日は水戸学の日だ、と思い慌てて出掛けた。常盤神社社務所に出掛けると、入口の戸が閉め切られている。あれっ?と思ったが、すぐに気付いた。水戸学の講座は昨日の日曜日だったのだ。今日は敬老の日の休日だったのだった。いつもこれは楽しみにしているのに~!!
サンデー毎日の小生にとっては、時々曜日を間違えてしまう。決定的な間違いをしでかさないように注意しよう。
今年度の水戸学講座第1回を受講した。水戸市文化財保護審議会会長宮田正彦先生による「送原子簡序」を読むと題し、藤田幽谷17歳の時の作である。
水戸学講座は毎年この時期行われ、小生はH20年第25回からを受講している。これは、月に1回行われ、3~5回ほど(年により異なるが、最近では3回ほど)。今年は2回目を9/18、3回目を10/16であるが、3回目は亡妻の父の3回忌があるので出席できない。
今日は起きるのが遅くて、10分ほど遅刻してしまった。どのようなときに書かれたのか説明を聞くことはできなかったが、読むと、この書は藤田幽谷が子簡(幽谷より15歳年上)が史局での任に充てられたときにその心構えを書にして贈ったものである。すなわち義公の思いを伝えたもののようであった。
帰路、千波湖畔に出来ている「好文Cafe」に寄った。昨年できたものだが、小生はこれまで入ったことはなく、今日初めて、ブランチを摂るために入り、BLT(ベーコン・レタス・トマト)サンドウィッチ(450円)とアメリカンコーヒ(400円)を食べた。食べ終わって、この写真を撮ることを忘れたことに気付いたが、後の祭りだった。いつも写真を撮ることにしているのだが、よく忘れ食べ終わった後に気付く。歳のせいかもしれない。その後ポツ雨の中千波湖を見渡して帰宅。
一昨日・昨日は小雨があったが、今朝は陽射しが戻った。気温は10℃に届かないようだが、また久しぶりに今朝は庭のジョウロに1mm厚の氷が張っていたが、やはり陽射しはうれしい。
アセビや鉢植えの椿も花をつけていて暖かそうな陽射しを浴びてうれしそうだ。春はすぐそばにあるように思った。
午後からは最終回となる脳たっしゃ講座を受講。最初に消防署から煙・熱感知器の設置についての要請の話があり、すぐに本題に入った。前回行った「脳の元気度測定(ファイブ・コグテスト)」結果の説明があり、少しの実習があった。最後に、認知症を予防するために今後の生活のなかで行うべき「宣言」を各自作成し、終了した。
終了後、いつも出かけるスーパで大根・ミズナ、リンゴ・イチゴ、食パン、粗引きウィンナを買って帰宅。
昨日はうすら寒かったが、今朝起きると道路にはなかったが、庭の芝や落ち葉の上にはうっすらと雪が残っていた。とても雪だるまは造れない。朝は小雨模様だったが、午後からは薄日が差した。
庭のスイセンの芽も大きくなってきた。このスイセンはよそのものより大幅に咲くのが遅い。種類が違うのか、場所や土地のせいか分らない。しかし、黄色の綺麗な花を咲かしてくれるので、毎年楽しんでいる。
午後は、脳たっしゃ講座の3日目を受講した。本日は前1時間は食生活の話で、バランスのよい食事についてのこと。後1時間は昭和のおしゃべり広場と称して、認知症の予防に昔の時代を回想して参加者が話をするということで、「食べ物」を題として話し合った。
終了後はスーパで買い物をして帰宅。
今朝起きて外に出ると、霧雨で道路が少しぬれていた。雨の量はお湿り程度だが、久しぶりの雨で涼しく気持ちがいい。コーヒと饅頭をお供えして、コーヒを飲みながら新聞を読む。時間になったので、9:45外出、水戸生涯学習センタでの愛宕塾に出席。
昼は、いつものようにレストランで¥610の日替わりランチにコーヒを頼んだ。今日は松茸ご飯にマグロとえびの刺身、海老ななどのてんぷら、茶そば、それにマッシュポテテトサラダ、煮物に吸い物の豪華なランチだった。いつもいつも安くて美味しいランチを戴くことができ、ハッピーな気分になった。でも、茶そばがくっついていて食べるのに団子状になって食べにくかった。多くのランチを造っておくのだから、止むを得ないか?!!
平成22年度(第27回)水戸学講座の1日目を受講した。10:00~11:40、常磐神社で講師は水戸市文化財保護審議会会長の宮田正彦氏。演題は「家臣への手紙から」で、烈公が出した家臣への17通の手紙を紹介しながら、烈公の人となりを解説するものであった。テレビなどで出てくるそれとは異なる烈公の姿がよく分かる。本日は烈公薨去後150年に当る(旧暦だが、万延元年(1860)8月15日享年61)。
最初に、諡である烈の由来の説明があった。烈は厳しいという意味ではない。手紙を読んで感じることは、大藩の藩主にも関わらず、生活のこと、健康のこと、仕事むきのこと、人情などのことなどもよく知っており、具体的細やかな心遣いをしていることに驚いた。
わくわく歴史同好会の「椿山荘と寛永寺の史跡探訪」に参加した。水戸駅南口で大型バス2台におよそ100人が乗り込んだ。小生の2号車では、当日欠席3名があり、47名だった。予定通り8時出発。
水戸南ICから高速に乗り、最初の目的地椿山荘に10:50少し前に到着した。早速椿山荘の方から、簡単な説明を受け、園内を散策した。昼食は、11:50~で12:50にバスが出発するとのことだった。
思ったよりは小さな庭園だった。これも、城廻をして藩主が遊んだ庭園をみなれているからかも知れない。ツバキ、ロウバイ、サンシュウ、サクラ(河津)、ダンコウバイなどの花があった。羅漢石、庚申塔、般若寺式石灯籠、十三重の石塔、丸形大水鉢などの石造りのものや、小野篁ゆかりという篁山竹林寺(広島県)から移築された三重塔、シイの神木(樹齢役500年)や白玉稲荷神社などがあった。TVコマーシャルで見る滝も本館脇にとうとうとした水を落としていた。
12時に食事場所である椿山荘タワー9階アザレヤに行くと小生の昼食はなくなっていた。小生は、出発は12:50だからゆっくり食事をしても12:00から始めれば十分だと思って行ったのだが、すでに全員食事を終わっていた。本日3名の欠席者が出て、余った松花堂弁当は食べても良い、と幹事が言ったので残っていた弁当を食ってしまったとのこと。10分遅れた小生の弁当は残った弁当として食われた。小生と同じ目に遭った人がもう一人いたようで、その人の話によると余った弁当を食った人は無理して食ったと言っていた、と憤慨していた。その人は、幹事が下のレストランで昼食を準備してくれたが、3000円の弁当だったが、レストランで食ったのはそれより安かったといっていた。無理してまで他人の弁当を食うとはあきれた連中だ!
ついで、東叡山寛永寺本坊(根本中堂)、開山寺、輪王殿を見て、東京文化会館の北側でトイレ休憩があった。小生は、昼食が食べれなかったので、パークス上野店でサンドイッチとコーヒーを買って食べた。その間、他の人々はすでにどこかへ出発していっていた。集合は14:40だったので、それに間に合うように天海僧正毛髪塔の前を通り、菅公詠梅(左写真)と清水観音堂を見た。戻るとき正岡子規記念球場の脇を走り集合場所に戻った。
最後は谷中霊園を訪れ、徳川慶喜の墓所(神式)を見て、18:25水戸駅南口に帰着した。小生は、夕食を駅ビル内のレストランで摂って帰宅。
今回の旅は散々だった。昼食もさることながらロス時間が多く、見て回る時間が少なかった。極めつけは最後の慶喜の墓所が、下調べに来ていて地図を手にしていながら、うろうろ探したことだった。団体旅行は安くて気楽で良いが、自由が利かなく、都度よく考える必要がある。
10/20 23:43に亡くなった亡妻の父親の葬儀に参列してきた。
10/21 19:00~の通夜に参列するために、13:00出発、新幹線、在来線を乗り継いで葬儀場に到着したときは19:30過ぎで、既に通夜は終了していた。小生は、線香とローソクを絶やさないように25時頃までお棺の前に侍っていた。その後は、ご家族に引き継いでその部屋の片隅で寝た。
10/22 13:00~告別式、火葬後骨上げ無事終わり、岡山泊。岡山に行った際はいつも泊まるホテルは満杯で、近くの別のホテルもシングルは満杯だったが、和室であるが二部屋続きの4人用部屋が空いているとのことで、そこに泊めてもらった。シングル料金で良いということで、13,860円だった。20畳ほどの寝室と、12畳ほどの居間は広く思い切りのんびり出来た。
翌朝岡山を発ち、14時過ぎ帰宅。富士山は未だ雪を戴いていなく見事さは今一であった。今回、カメラはコンパクトデジカメを持参したが、ファインダーがなくLCDのみなので富士山を旨く取らえられなく良い写真は撮れなかった。