昨日は鰻を食べた後に、シーズガーデン・カフェで少し苦めのコーヒーを楽しんでから、千里山.NETでも情報発信をしておりました、吹田郷土史研究会の夏季講座「千里山住宅地の開発前史」に参加するために、メイシアターに出かけました。メイシアターは吹田市の文化・娯楽のセンター的な施設で、大阪出身の著名な彫刻作家・新宮晋氏の鳥のモビールや、水で動く彫刻群が爽やかな空間演出となっています。
夏季講座は2部構成で、前半の「千里山住宅地の開発前史」では、千里山西3丁目にお住まいの佐々木進会長が、「千里村志」や「千里山70年のあゆみ」などを参考資料にして、千里山という名前の由来や、千里山住宅地開発の時代背景などを話され、住民にとっては街への愛着が新たになるような興味深い内容でした。最後にまちづくり作法集「千里山の暮しと住まい」を採りあげて、街のアイデンティティーを大切に引き継ごうとする姿勢を高く評価して頂きました。
後半は関西大学博物館学芸員の熊博毅氏による「関西大学のトリビア」で、関大と千里山の歴史を楽しみました。
千里山.NETでも千里山の歴史のページ作成が大きな課題となっています。今回の講座参加を通じてお二人と名刺交換をさせて頂き、色々とお力添えをお願いして帰ってきました。
夏季講座は2部構成で、前半の「千里山住宅地の開発前史」では、千里山西3丁目にお住まいの佐々木進会長が、「千里村志」や「千里山70年のあゆみ」などを参考資料にして、千里山という名前の由来や、千里山住宅地開発の時代背景などを話され、住民にとっては街への愛着が新たになるような興味深い内容でした。最後にまちづくり作法集「千里山の暮しと住まい」を採りあげて、街のアイデンティティーを大切に引き継ごうとする姿勢を高く評価して頂きました。
後半は関西大学博物館学芸員の熊博毅氏による「関西大学のトリビア」で、関大と千里山の歴史を楽しみました。
千里山.NETでも千里山の歴史のページ作成が大きな課題となっています。今回の講座参加を通じてお二人と名刺交換をさせて頂き、色々とお力添えをお願いして帰ってきました。
千里山の歴史にもお詳しいです。
写真の佐々木進先生は私の小3の先生のはず。特にかわいがってくれた憶えがあり、とても懐かしい思いでお顔を拝見しました。茶色の太い縁のめがねをかけられて日に焼けたがっしりした印象の先生でした。先生は工作部の顧問で私は部員の一人。もらってきた木の電柱をノミで削ってペンキで仕上げたトーテムポールが工作部の最後の作品。佐々木先生がノミの使い方(手前に削る)を教えてくれたのをいまでもはっきり覚えています。今の図書館駐車場のあたりに記念に建てられていたはずです。40年近くも前の話...
夏期講座が終わってしまってとても残念。千里山在住とのことですので、ぜひどこかでお会いできる機会を願っております。
きりん様のコメントで気づくことができました。ありがとうございます。
ここまで書いて人違いってことないですよね。
今度お会いすることがあれば、先生にお伝えしますネ。
ところで、僕も小学校のその種のクラブで、トーテムポールを2基作って、校門と役場の前にかなりな年数立てられていました。
千里山住宅街の中には、関西大学の教職員もたくさん住んでいました。また、佐々木先生のお話にも出てきた銭湯のすぐ近くには野球部の合宿所があったと聞いています。千里山と関西大学とのつながりは、千里山住宅街ができたことから強くあったわけです。
わたくし自身は、今回の講演を通じて郷土史研究会のみなさまから逆にたくさんのことを教えていただき、長年、疑問としてきたこともいくつか解決できました。その意味では、わたくしにとっても得がたい出会いと貴重な経験をした1日となりました。
大学は今、従来の「教育」と「研究」に加え、「社会貢献(地域との連携)」ということを求められています。大学と千里山とのつながりは、これからも続くと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
また、私の記事の中にブラウザさんの記事へのリンク貼らせていただきました。