この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

Unknownと通りすがり。

2019-06-09 23:08:39 | 戯言
 拙ブログのコメント欄にはコメント文を書き込むスペースの上に名前とタイトルとURLを記入する欄があります。
 このうち名前を未記入のままコメントを投稿すると、名前の欄が「Unknown」と表示されます。
 自分は名前が「Unknown」の人のことを日本人ではないと思っています。
 別段特定の外国をディスるつもりはありませんが、少なくともこの日本において日本人は小さいころ親から「人の家にお邪魔するときはきちんと名前を名乗りなさい」と躾けられていると考えるからです。
 自分の名前を名乗る、それが守って当然の礼儀というものですよね。
 そのことはネットにおいても何ら変わらないと思います。
 
 また、名前の欄に「通りすがり」と記入してコメントする人もいます。
 名前の欄にちゃんと記入しているんだからそれでいいだろう、という人もいるかもしれませんが、実はそれがあまりよろしくないのです。
 
 そもそも名前が何のために存在するかというと、その個体を区別するためです。
 名前というものはその個体のためにあるというより、その個体に相対するもののためにあるといっても過言ではないでしょう。
 そのため、同一の名前が多数存在するのは都合が悪いのです。
 ブログのコメント欄でいえば、通りすがりの人が皆コメントする際に「通りすがり」と名乗っていてはどの通りすがりの人なのかわからなくなってしまいます。
 これでは名前が存在する意味が無くなってしまいかねません。

 というような表向きの理由を抜きにしても、「通りすがり」と名乗る行為はブログの運営者からよくは思われないのです。
 これは実際ブログを運営している人じゃないとわからないかもしれません。
 もちろんまったく気にしない人もいるとは思いますが、気にする人は昔から少なからずいました。
 名前に「通りすがり」と記入することをはっきり禁止するブログもありました(今はもうそれがどこのブログだったかは思い出せません)。

 なぜ「通りすがり」と名乗る行為が嫌われるのか、上手く説明できる自信がないので、それについて言及している記事をいくつか紹介します。

「通りすがり」論・序説

「通りすがり」のコメントは昔から嫌いだった

「通りすがり」は嫌い

 どの記事も自分が書くよりはるかに説得力があると思います。笑。
 
 はっきり言って自分も「通りすがり」と名乗る行為を快くは思っていません。
 ただそれを一々「通りすがりと名乗ることは禁止します」とブログのトップに明文化しなくてもいいだろうと考えていました。
 「通りすがり」と名乗る人でも、(続けてコメントする場合は)「通りすがり以外の名前を名乗ってください」とこちらがお願いすればときちんと改名してくれるだろう、そう考えていたからです。

 先日とある記事に「通りすがり」と名乗る人からコメントがつきました。
 どうも長く居座られるぽかったので「通りすがり以外の名前にしてください」とお願いしたところ、「謂れがないので」とあっさり断られました。
 いやいやいや、こっちも理由もなく言っていることじゃないんだから素直に従ってくれないかなぁ。
 結局いろいろあってその人は強制改名後、荒らし認定させてもらいました。

 というようなことがあってもブログのトップに「通りすがりと名乗ることは禁止します」と明文化するつもりはありません。
 それは「通りすがり」と名乗る人に改名をお願いして断られることはそうそうないだろうと考えるからです。
 それって甘いですかねぇ。。。
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