おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

今日は仙台へ

2013-01-05 20:51:17 | 雑感
 愚息が帰省して10日、今日は荷物もあることから仙台まで送っていった。

 正月休みも終わりなので高速道路の混雑が心配であったが、2時間とちょっとで仙台に到達。アパートに荷物を下ろし、早速、昼飯を食しに街中へ。

 入学式の時にいった「揚次」、そば屋ではあるが、ここの中華が旨い。

  

 夜は用事があるとのことで、愚息をアパートの送っていき、前々から行きたかった瑞鳳殿へ。伊達政宗の墓所である。

 カーナビを設定し、目的地へ。坂道を少し上がると、瑞鳳寺の山門。正宗の菩提を弔うため、二代忠宗が建立した寺。

  

  

 その先は長い階段が続く。瑞鳳殿は国宝であったが、戦災で消失。1970年代に墓所の発掘調査を行い、遺骨を鑑定。慎重約160cm弱で、顔は面長、現代風の顔つきであったとのこと。資料館では、伊達三代の墓所の発掘状況を放映していた。

  

  

  

 拝殿が復元される前までは、墓室の上に墓標が立っていたそうだ。どうとらえていいのか分からないが、拝殿が焼失し、これを復元するために墓所の発掘調査が行われた。埋葬方法、副葬品など、諸々解明できたことも確かである。ただ、戦争が多くの文化財を葬り去ってしまったのも確かである。例えば、芝・増上寺の徳川家の墓所もそうである。秀忠や江の拝殿も国宝、それが一瞬で喪失してしまう。
 歴史のロマンをどこに求めればいいのだろうか。

 ちなみに、伊達家の拝殿は三代まで。四代目以降は拝殿を止め、墓石にしたとのこと。更に興味を持ったのが、明治維新後の藩主は仏式から神式に埋葬法が変わったとのこと。そういえば、徳川慶喜の墓も神式だったし、盛岡の南部公の新しい墓所には鳥居があった。

 廃仏毀釈の影響もあったのだろう、明治維新後、天皇に恭順の意を示すために仏式から神式に変えた事例も、それなりにあるのかもしれない。

コメント
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