おもしろきこともなき世を おもしろく すみなすものは・・・

セロ弾き 呑み鉄 蕎麦打ち~趣味とともに楽しく過ごしたい今日この頃

いわき市立草野心平記念文学館「没後40年記念 吉野せい展」

2017-11-11 21:14:41 | 博物館・美術館
 いわき市立草野心平記念文学館では、12月24日まで「没後40年記念 吉野せい展」が開催されている。





 
 「吉野せい(1899~1977)」は、いわき市小名浜生まれ。代用教員をする中で、いわき市平で伝道師をしていた山村暮鳥などに感化し、文学の道へ。22歳で詩人・三野混沌(本名・吉野誠也)と結婚。筆を折った。混沌が亡くなったのは1970年、草野心平の強い勧めで70歳を過ぎて再び筆をとり、「洟をたらした神」が1975年「第6回大宅壮一ノンフィクション賞」、「第15回田村俊子賞」を受賞した。その2年後に、せいは他界する。筆を再び執り始めて、数年間の「作家」であった。


 吉野せい没後、「吉野せい文学賞」が創設された。本日は、その表彰式である。「せい賞」を受賞された方は、御年87歳、十数年前に「奨励賞」を受賞されている。表彰式後行われたのは、学習院大学教授で福島県立博物館長の赤坂憲雄氏による「吉野せいの世界」と題した講演が行われた。




 赤坂先生は、吉野せいが「洟をたらした神」の「あとがき」で記述がある「真実」と「しんじつ」。貧乏百姓の生活の「真実」、底辺に生きた・生き抜いた人間の「しんじつ」。前者は他から押しつけられたもの、後者は誠実に生きてきた「人間」としてのしんじつ。そして、「昭和○○年ころのこと」という記述、当時の記憶を振り返りながら書き込んでいる。
 赤坂先生は言う。「洟をたらした神」は吉野せいの実験である。吉野せいが受賞したのは「大宅壮一ノンフィクション賞」、これはノンフィクション。「田村俊子賞」は小説。この、ある意味、相反するような分野での賞を受賞しているのが吉野せいの作品である。赤坂先生は、吉野せいの作品を分析しながらその結論めいたお話をしている。冒頭にノンフィクションで書き出された文章、そこから主語が変わり、小説の世界へと我々は導かれる。
 吉野せいが、結婚後、筆を折らずに文筆を続けたならば、仮定の話ではあるが、恐らく、作品集が何巻にも及ぶ大作家になっていたかもしれない。あくまで仮定であるが。吉野せいは、結婚後、一度、文学のコンクールに作品を出している。当時は、選考漏れ。昭和初期には受け入れられなかった作品、今、改めてその著述の奥深さを感じる。

 9月に、いわき芸術文化創造館アリオスで「吉野せい賞40周年記念事業」が行われた。その時朗読された、「洟をたらした神」に収録されている「梨花」の朗読。この原稿は、雨\吉野せいの娘・梨花が亡くなった後に書かれた作品である。病床に苦しむ梨花の姿が、客観的に描写されている。一瞬、信じられないと思った。ただ、これが「しんじつ」なもかもしれない。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 博物館浴(いわき市立美術館... | トップ | 小川町の風景 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

博物館・美術館」カテゴリの最新記事