続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

孫の来訪。

2011-06-26 10:56:16 | 日常
 何が心安らぐといって、孫の元気ほど嬉しいものはない。
「お外、お散歩」をせがまれ、近所を散策。近場をぐるり・・・次は公園まで。

 喜んで飛んで歩く姿を見るとジーンとする。
 小さな子供にとってはゴミでも何でもおもちゃ。草や木切れを拾って遊んだり砂を撒いて満面の笑顔、なかなか帰ろうとしない。
「さぁ、お家へ帰ろう」の言葉には烈しく拒否反応を示して反対方向へ駆けていってしまう。
 電車、車、バス、ゴミ収集車、パトカー・・・みんな大好き・・・やっぱり男の子。

 息子二人はどうだったのだろう・・・思い出すことが出来ない。忙しすぎて散歩なんてこと・・・してあげなかったかも。


 つくづく「ごめんね」
 大らかな気持ちで子育てを楽しむ余裕のない親で、本当にごめんね。

『風の又三郎』26。

2011-06-26 10:44:00 | 宮沢賢治
すると又三郎はどこから出したか小さな消し炭で雑記帖の上へがりがりと大きく運算していたのです。

 小さなは、小(ショウ)と読んで、証(ありのままを述べる)
 消し炭は、消(ショウ)と読んで、照(あまねく光が当たる)譚(はなし)。
 雑記帖は、ゾウキチョウと呼んで、増える鬼(死者)の徴(あつめる)。
 がりがりは、我利我利(自分だけの利益を追求すること)
 運算は、ウンサンと読んで、雲散(雲が風で散らされるように散り散りになること。

☆すると又三郎はどこから出したのか、ありのままのあまねく光が当たる譚(はなし)をし、自分だけの利益を追求することを、散り散りに遠ざけました。