続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

歩いて、歩いて~。

2012-07-05 06:40:57 | 日常
 逗子市役所前で集合~逗子海岸~不如帰碑~小坪漁港~材木座海岸~由比ガ浜~稲村ガ崎~

 昨日の「歩こう会」(午前中)は、ひたすら海岸線を歩いた。(たぶん8キロくらい)。青い海、白い雲、サーフィンの人影が見えるだけ。浜は引き潮、すでに海の家は並んでいたけどまだ工事中でもあった由。

 ただひたすら、潮風を感じながら歩く。山坂でないから楽といえばそれきりだけど、退屈な一本道。とにかくあの向こうに見える突先まで歩くしかないと覚悟を決めてひたすら歩いた。
♪口笛吹き、行こうよ~♪くらいの軽い気持ちになれない太ったわたし、ほうほうの体で稲村ガ崎公園に辿りつき昼食。

 午後からは極楽寺~長谷観音とJR鎌倉駅までのコースだったけれど、ナ、情けないわたし、極楽寺で江ノ電に。
《ここでさよならご免なさい》
「無理はしないの、」なんて笑顔で手を振ってみんなにお別れ。みんなの姿が見えなくなると、脱落組三人はベンチにへたり込んでしまった(悲しい)

「歩こう会」のおかげで人並みに歩けたこと、感謝してもし足りないほどの気持ち。(昔から人の後ろを謙虚に歩いているわたし・・・リタイアしても馬鹿みたいな笑顔)


 そんなわたしだけど「そろそろ『歩こう会』を止めようと思っているの。みんなに迷惑をかけないうちに」と言ったら、
「大丈夫ですよ」と励ましてくれるメンバー。
 感謝しています。

『風の又三郎』371。

2012-07-05 06:29:04 | 宮沢賢治
「あんまり川を濁すなよ、
 いつでも先生云ふでないか。」
 その人は、びっくりしてこっちを見ましたけれども、何を云ったのか、よくわからないといふやうすでした。そこでみんなはまた云ひました。

☆先(過去の事)を諾/承知して遷/うつりかわる精(心、魂)の運(さだめ)。
 神は幻である。
 化(形、性質を変えて別のものになる)の運(さだめ)、運/めぐりあわせである。

『城』873。

2012-07-05 05:59:35 | カフカ覚書
当時は、ふたりだけでこの仕事をやっておりましてな。ミッツィとわたしのふたりだけで、小学校の先生のほうは、そのころまだ割りあてられていなかったのです。

 ふたり/zwei→zwar/たしかに~ではあるが。
 仕事/Arbeit→Alibi/現場不在、現場不在証明。
 先生/Lehre→Lemur/幽霊。
 当時/damals→da malls/痕(傷痕)
 割りあてる/zugeteilt→zutage/明るみに出る、暴露される。

☆わたしたちは、たしかにその痕(傷痕)を現場不在としてやっていたのですが、仲間とわたし(死への入門)は、霊のほうに痕(傷痕)があるとは知らなかったのです。。