続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

夏休み。

2012-07-20 06:55:04 | 日常
 今日は公立学校の一学期終了日・・・ではないらしい。なにか二学期制になったとかで、夏休みにはなるけど、通信簿などは秋になるらしい。

 ついこの間までは、7月20日と言ったら、夏休みになるすごく嬉しい日。
 何が嬉しいと言って、夏休みほど嬉しいものはなかったわたし・・・毎日午前は海。泳ぎが得意なのではない、むしろ下手だったけど、ただ暑いし、何もすることがなかったから海へ直行した日々。


 たいていは猛暑の中、決して落してはならない程度の通信簿を持ち帰る。親の反応なんかは気にせずにただボォーッと過ごした懐かしい日々が甦る。

 7月20日は一年の中で最も胸に響く日・・・遠い記憶。

 でも今朝は少し寒いくらいの涼しさ。
 子育ての頃はどうだったか・・・あまり覚えがない。息子たちは内職と介護に追われる母親をどう思っていただろう。次男が大きくなる頃は会社も次々つぶれ無職状態だったので、「お母さん、なぜ仕事をしないの」などと諭されたことを思い出す。
 下層生活なのに、働かない母親は奇異に映っていたのかもしれない。


 そうして今だに無職の《夏休み状態》が続いているわたし、息子たちは鼻で笑っているかもしれない。頑張らないわたし、その息子たち、よく頑張っているね。身体に気をつけて、それだけ・・・。

『風の又三郎』386。

2012-07-20 06:29:48 | 宮沢賢治
又三郎は嘉助と行きました。みんなは町の祭のときの瓦斯のやうな匂のむっとする、ねむの河原を急いで抜けて、いつものさいかち淵に着きました。

 町はチョウと読んで、丁(十干の第四からdie、死)→死。

☆幽(死界)の太陽と火星の光。
 死の済(すくい)、我の師である仁王は、考えの源である。

 究/つきつめた罰、怨みの寂しさ。

『城』888。

2012-07-20 06:12:16 | カフカ覚書
と言いますのは、わたしとしましては、ソルディーニの課になにか手落ちがあったのではないかと主張する勇気もなければ、そんなことを信じることもできなかったからです。

 課/Abteilung→abtretung/(Tod)死。
 信じる/glauben→glauen/恐怖、戦慄。
 

☆ソルディーニ(太陽神)の死に何か間違いがあったのではないかと主張することも戦慄を覚えることもなかったのです。