続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

奈良美智(2)。

2012-07-23 06:08:09 | 美術ノート
 立体(像)の方は単色であるが、平面作品の彩色には丹念に塗り込められた時間がある。明るく単一に見えるが、微妙に彩度を落とした複雑な色調であって寒色と暖色を繊細かつ交互に置いていき、なおかつ平面を装うという具合。じっと見ていると、深い流れのようなものを感じてしまう。
 平成24年制作の麻布を貼った板に描かれた「Let's Talk About”Glory”」は、黒一色の線描だった気がする。裸で放尿する少年のGloryとは何だったのか・・・天上なのか地上なのか・・・栄光、栄華とは。信じがたい喪失感の中で、生きているという生理が唯一残された現状に何を言うべきか、また祈るべきなのか。
 3.11以降の空漠・・・。
 作家は作品という媒体を通して静かに告発しているが、無力に帰していく恐れを抱いて小さな声でつぶやく。”Glory”と言い、”I miss you”と。眼は世界を見る窓であり、世界ならびに自身を映す鏡であれば、眼における微妙さこそが作家の内面そのものでもある。画面における色面は情感を置換したものかもしれない。静謐、抑えているが不思議に揺れる色調を感じる。


 立体(像)のあり得ない大きさ、巨大と言ってもいいかもしれない物体化した頭部。頭のように見えるが頭ではない、しかし頭以外のものでもない。手足胴体を省いた頭は機能を失った観念的なるものの象徴にも見える。「これは頭ではない!」マグリットの作品に通じるような悲しい叫びさえ感じてしまう。

 奈良美智の作品は大小に拘らず内向的であり、作品の中で終結している感がある。メッセージ性はあるのに、呼びかけたり誘いかけたりという旗手のような闘志は隠し潜めている。静かに共感し、黙って肯き、『よく分かる』と胸にたたむ。そうした内なる会話の成立する作品群である。

『城』891。

2012-07-23 05:38:27 | カフカ覚書
この根本原則を正当化するものは、役所の組織がじつによくできているという事実です、また、決裁を非常にいそがなくてはならないときにこそ、この原則が必要になるのです。

 根本原則/Grundsatz・・・教義。
 非常に/aussererste・・・最悪。
 いそぐ/schnellig→schnurre/馬鹿話。
 soll→Sol/太陽神。

☆この教義を正当化するものは特別な組織が非常にすぐれているという事実です。また最悪の馬鹿話を片付けることをやり遂げるのが太陽神である。