続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

十五夜。

2012-10-01 06:38:01 | 日常
 昨夜は十五夜だったのに・・・嵐。

 でも今朝は東には明けの明星、西空には名残りの満月。

 青空の朝、五時。
 台風の影響もなく明け、カラスや小鳥の鳴き声・・・。


 十月一日、HOさんの家のお兄ちゃんの車は停まったまま。数日前の明け方出勤するお兄ちゃんに声を掛けたら
「ぼく、今月でこの仕事を辞めます」と言う。驚いて「次は?」と聞くと、
「決まっていません、しばらくは休んでいます。九年間、忙しくて何も出来ませんでしたから・・・」と言った。

(そう、よく頑張ったね、そうするのもいいかもしれない)

 お兄ちゃんはいわゆる引きこもりで転居して来た当時はまだ二十才前後の若者、三十才になった頃、意を決して外に出た。
 一週間、十日くらいだったろうか・・・いきなり歩いたので、足を痛め、松葉杖での歩行。
 そのうちミシンの販売員に・・・。
「あれはボランティアでした。売れなければ、一円の収入にもなりませんでしたから」と、失笑。
 彼の父親の見舞いに行った帰り、彼の車で送ってもらったけど某地区を通ったとき
「この通りには、初めて一台買ってくれた家があるんです。嬉しかったなぁ」とつぶやいた。


 そんな経由を経て宅配の業務に・・・朝早く、遅くとも六時には車の発信音、夜は八時以降。
「九年間頑張ったけど、父親のお墓を買うつもりの貯金は妹の葬式代に消えました。賃金は安くなる一方なのに就労時間は更に長くなり、これから年末のかけては休みも取れません。九時まで待機で配達していては帰宅は十一時、朝四時に起きて出かけるなんて・・・もう限界です。死んでしまいますから・・・今月一杯でこの仕事は辞めます」と言った。

「おばさんが死ぬまでは元気でいてね、」そういうのが精一杯。

 自由競争の下のしわ寄せ・・・ニートが増え、働くものも喘いでいる。

 満月を仰ぎながら、ため息をついているわたし。

『ひのきとひなげし』7。

2012-10-01 06:13:46 | 宮沢賢治
 いちばん小さいひなげしが、ひとりでこそこそ云ひました。
「あゝつまらないつまらない、もう一生合唱手だわ。いちど女王にしてくれたら、あしたは死んでもいゝんだけど。」
 となりの黒班のはひった花がすぐ引きとって云ひました。

☆消えていく運(さだめ)が溢れている。
 業の傷(悲しみ)を、主に叙べる。
 往(死ぬこと)の試みを告げる。
 半(半分)は、仮(空想)を隠して運/めぐらせている。

『城』1050。

2012-10-01 05:59:18 | カフカ覚書
小づくりな顔だけは、ろうそくの光のなかでくっきりと浮かびあがり、年波からくる衰えのおかげでかろうじてやわらげられてはいるものの、はっきりした、するどい線を見せていた。

 小づくり/Kleins→Klan/氏族。
 ろうそく/kerzen→Karzen/監禁。
 線/Linie・・・戦線、家計、血統。

☆ただ氏族の冷静さだけは監禁に向けられた中で古びて衰退しており、かろうじて静まって入るものの、あきらかに厳しい戦線を見せていた。