続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

小野元衛。

2012-10-08 11:46:50 | 美術ノート
 28才での夭折は無念というよりほかはない。

 展示された作品群を見ると、胸を衝き動かされるエネルギーを感じた。時を経た無言の対話ながら、声が聞こえるのである。

 自由闊達を地でいく青春の謳歌・・・すべては否定から始まる心の眼に、やがては映る景色の未来。その時間を閉ざされた無念は察するに余りあるものがある。

「兄は上には反抗的でしたが、実家は医者でしたから様々な人たちの出入りがあり、職人さんなどとはごく親しくしておりました。」という。
「研究者の言うことが正しいとは限らない、文盲の人の鋭い観察眼の方が時に・・・」と語った柳田國男。

 小野元衛の作品を観ていると、その線の躍動感から不思議なメッセージを感受する。リズムとかそういう定型的なものでない激白・・・対象に向かってがんがん行く!描きながら対象を私物化するような奇妙な情感。忙しく筆を動かす息遣いが聞こえてきそうな緊迫感。

 色(たとえば赤/バーミリオン)への執着、色への畏敬の念。描き方は即興だけど、眼差しは至極繊細である。

 
《大好きだよ》

 作品の向こうの今は亡き画家に慟哭の思いでつぶやいている。

なほ華やぐ。

2012-10-08 06:43:50 | 日常
 年を重ねる、つまり高齢者に領域に進む。、けれど老いるというより華やぐ人がいる。
「小野元衛」展が、神奈川県立近代美術館の別館で催されている。妹である志村ふくみさんのゲストトークを拝聴した昨日、実にしなやかで美しいその方のお話を伺っているうち(ああ、やっぱり若い頃の精神の基本が軸として動かぬ指針になっている)と察せられた。

「昭和14年ごろでございましょうか、御茶ノ水駅では文化学園の生徒が帰る頃は花が咲いたようだと評されたことがあります。」と。駅は東大生なども合流していたというから、さぞや若い活気に燃え立つような光景だったのではと推し量られる。

 世の中全体が戦争に向かう暗い時代背景の中で、自由を詠った反骨精神はひときわ異彩を放つ存在だったと思われる。銀座を闊歩の楽しい時間を懐かしむように話された志村ふくみさん。あの時代、それを支えて下さった先生方はまさに命がけの思いだったのだと回想を新たにしていた。
 グループの中心だったであろう小野元衛。自由闊達、反骨精神の若者の叫びをごく至近に聞いて大きく胸を揺さぶられたに違いない青春。夭折の悲しみを乗り越えて大切に抱え込むように保存していた兄(小野元衛)の初の展覧会に嬉嬉たる思いを水沢先生に伝えていた志村ふくみさんの上気した笑顔。
 
 染色作家としての名声は聞くに及んでいるけれど、実際にお逢いすれば楽しい語り部。他家で育てられた身ながら、実兄の看病を貫き最期を見届けたのは、やはり尊敬の念、情愛の絆無くしては為しえぬ事。長いこと抱き続けた無念の思いが、形(展覧会)となったことは青天の霹靂だったのではとお察しする。

 年を重ねてなほ華やぐ・・・華美というのでなく資質の持つ艶やかさを垣間見せていただいたこと、うれしいひと時でした。

『ひのきとひなげし』14。

2012-10-08 06:26:20 | 宮沢賢治
 女王のテクラが、もう非常な勇気で云ひました。
「何かご用でいらっしゃいますか。」
「あ、これは。えゝ、一寸おたづねいたしますが、美容院はどちらでせうか。」
「さあ、あいにくとさういふところ存じませんでございます。一体それがこの近所にでもございませうか。」

☆叙べる往(人が死ぬ)、悲しい情(気持ち)の憂い。
 化(形、性質を変えて別のものになる)の運(めぐり合わせ)、化(形、性質を変えて別のものになる)の様(すがた)。
 溢れる駿(すぐれた)の魅(もののけ)の陽(光)。
 隠れている尊(とうとさ)、逸(かくれている)態(ようす)、金の如くである。

『城』1057。

2012-10-08 06:15:53 | カフカ覚書
全体として言いますと、この手紙の意味するところは、あなたが伯爵家の勤務に採用された場合に、クラムが個人的にあなたのことを気にかけてあげるつもりであるというだけのことにすぎないのです」

 伯爵家の/herrschaftlich→schaffen/創造する。
 勤務/Dienst・・・礼拝、尽力。

☆全体として言いますと、この電光の意味するところは、あなたが創造主の礼拝を受け入れた場合に、クラム(氏族)が人としてあなたのことに心を痛め、企てたものなのです。