続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

植物観察。

2012-10-09 06:30:59 | 日常
 小さい頃から野生の植物に惹かれていた。何気なく座った土手に生えていた野蒜やタンポポ、アザミ。芽が出て膨らんでやがて葉や茎が伸び、思いがけずに花が咲く。
 飽きずに見ていたのに、それを学習するという意欲にまで結びつかなかった。

 長じてからは心に引っかかりながらも、あえてそれを眺めるなどということからも遠ざかっていたけれど、十分に時間の取れる今になって「植物観察」なる講座を受講している。
 草木に触れる、その名を確認し、根、茎、葉、花・・などとその成り立ちを教えていただき、新鮮な感動を覚えている。
 けれど、石の上にも三年・・・三度目の受講。この辺りで卒業しないと次の人たちに申し訳ない、そう思う。


 ただ、この講座には「野外学習」という楽しみがあって、学習は外して「野遊び」の感が強いわたしのワクワク。馬堀自然教育園での授業もそれなりに興味深く小山の散策も捨てたものではない。この次の授業は「大楠山」(どうか雨が降りませんように!)


 友人たちからは「今日のサークル休んじゃってごめんなさい、じつは今、尾瀬に来ていて・・・」とか「剣岳に登って来たわ」などという報告を聞くけれど、遠出はいろんな理由から考えていない。近く、至近距離の野山や浜辺で十分。
 
 植物の魅力は尽きない。その誘惑に身を任せるだけで至福である。

『ひのきとひなげし』15。

2012-10-09 06:12:31 | 宮沢賢治
「それはもちろん。現に私のこのむすめなど、前は尖ったをかしなもんでずゐぶん心配しましたがかれこれ三度助手のお方に来ていたゞいてすっかり術をほどこしましてとにかく今はあなた方ともご交際など願へばねがへるやうなわけ、あす紐育に連れてでますのでちょっとお礼に出ましたので。では。」

☆元(はじめて)の試みは、全て遷/移り変わり、新しく排/おしひらかれる。
 太陽への旅の如くであり、趣(心の向かうところ)は、法(仏の道)であり、雷(神なり)。
 述(自分の考えを述べる)の襟(心の中)は法(仏の道、真理)である。
 講(話)は、済(救い)が眼(かなめ)を注/書き足す。
 逝く(人が死ぬ)ことの憐(あわれ)を推しはかる。

『城』1058。

2012-10-09 05:55:25 | カフカ覚書
「村長さん」と、Kは言った。「あなたは、この手紙をみごとに解釈してくださいましたが、とどのつまりは、なにも書いてない白紙のうえに署名だけが残ったということになりますな。

 手紙/Brief→Blitz/電光。
 署名/Unterschrift→Unterschieden/差別ある。
 leeren・・・無意味。
 紙/papier・・・想像上の。

☆村長(死への入門)さん」と、Kは言った。この電光を、非常に見事に推論して下さいましたが、無意味な想像上の差別だけが残ったことになります。