続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

とにかく歩く。

2012-10-11 06:22:26 | 日常
 所用の帰り、Aさんにバッタリ。
「毎日この時間にウオーキングをしているの。午後二時から三時ごろまで・・・でも今夏はあまりの暑さなのか年なのか・・・二ヶ月ほど休んだわ。・・・テキメンね、不調が出て。」と言った。

《歩かなくては》というのはわたし達年代の共通の思いである。昔と違って家事は重労働ではない。炊事洗濯掃除・・・全てが手作業というわけでなく、時間にゆとりができた分だけ運動不足にもなっている。
 もし、病魔が・・・いえ、出来得る限りそうならずに済むように現在では予防、メンテナンスを考えることが常識になっている。Aさんもわたしも息子ばかり・・・(嫁さんには頼めないね)・・・暗黙の決意。


 だから、歩く。
 歩きながら健康状態をまさぐり確認する。自分と向き合う時間も大切な療法であって、成長は望み薄だけれど、現状維持は悲願である。

 Aさんと立ち話をしていると、その脇を自転車で通り過ぎていったBさん、軽運動を奨励するカーブスへ通っている。Cさん宅の路地、Cさんもまたパートの往復をバスに乗らず徒歩で通している。

 みんな同じようなお年頃・・・せっせと歩きながら、日が暮れていく日常である。

『ひのきとひなげし』17。

2012-10-11 06:14:07 | 宮沢賢治
「しませうな」
「それでは誠になんですがお序での節、こちらへもお廻りねがへませんでせうか。」
「さう。しかし私はその先生の書生と畏怖でもありません。けれども、しかしとにかくさう云ひませう。おい。行かう。さよなら。」

☆精(魂、霊)が叙べる説(ものがたり)の界(世界)。
 死(命の終わり)の千(たくさん)の星、諸の星の運(さだめ)の光がある。

『城』1060。

2012-10-11 05:57:16 | カフカ覚書
「いや、それは、誤解というものです。わたしは、この手紙に重要さを見そこなっていませんし、自分だけの解釈でその価値を軽視してもいません。

 手紙/Briefes→Bitz/電光。

☆いえ、それは誤解です。わたしはこの電光の意味を理解していませんし、軽視もしていません。(あるがままです。)