続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

思いがけないこと。

2012-10-22 06:13:02 | 日常
 思いがけないことは、日常茶飯事である。
 連なる日常は、同じように見えても非なるものであって喜怒哀楽の凸凹は予測がつかない。不測の事態を漠然と想定していても、どこかで(まさか)の気持ちがあることは否定できない。

 生老病死・・・人はこの変化を免れない。

 先日の散策で同行した友人は、つい先頃夫を亡くしたという。
「丈夫だったの、元気だったのよ。それが・・・」
「急性心不全?」
「ううん」

「食中毒・・・同じ物食べたのに。夫は時間が経ってから食べたからだと思うの」
「鯖、牡蠣?」
「生卵(玉子かけごはん)・・・あんなもので簡単に死んでしまうのねぁ」と、ため息をついた。
「・・・」

 スーパーなどで廉価で並ぶ玉子は、冷凍してあるものを解凍して販売すると聞いている。(でも、まさかね)生卵として食べる場合は少々値が張っても必ず「地玉子」を買う。それでも玉子の殻に細菌が付着してると聞いたことがあるので、玉子を割る際には気をつけているわたし。

 それでも《まさかね》の思いは消えなかった。些細なこと、思いがけないことで突然姿を消さざるをえない運命に見舞われることの恐怖。
 無念の思いは消えることはないかもしれない。


 山頂で昼食を広げた彼女、手拭を忘れたからとペットボトルの飲料水で手を洗っていた。それを笑ったわたしに話してくれた(思いがけない出来事)である。

『ひのきとひなげし』28。

2012-10-22 06:03:36 | 宮沢賢治
 お医者もちらっと眼をうごかしたやうでしたがまもなくやっぱり前のやうしいんと静まり返ってゐます。
 その時一番小さいひなげしが、思い切ったやうに云ひました。

☆遺(死後に残した)赦(罪や過ちを許す)願い。
 精(たましい)は変(移り変わる)。
 弐(二つ)に逸/隠れて伴う衝(重要なところ)に、死を救う運(めぐり合わせ)がある。

『城』1071。

2012-10-22 05:36:05 | カフカ覚書
これは、たしかあなたも聞かれたに違いありません。ところが、このざわめきと歌ごえこそ、村の電話がわれわれに伝えてくれる唯一の正しいもの、信頼にあたいするものでしてね。それ以外はすべて当てにならんのです。

 ざわめき/Rauschen→rasen/熱狂する。
 歌ごえ/Gesang →Gesinung/信念。
 正しい/Richtig→Lichten/明るくなる、解明される。

☆ところがこの熱狂と信念こそ、当地(来世)の思念伝達がわれわれに伝えてくれる唯一の解明、信頼なのです。それ以外は錯覚です。