続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

理由。

2012-10-23 06:32:41 | 日常
 恥ずかしながら、絵を描いている。多少手馴れているとはいえ、それだけかもしれない。
 それでも描く。
 一年に一度の公募展、一年に一度のグループ展に苦慮しながら続けている。他人の作品を緊張感を持って見るいい機会でもあるし、続けることで見えてくる作画の微妙なプロセスにおける心理に触れることもできる。故に、その手を止めないことで作品の秘密を看破する愉悦にも遭遇することがあるからである。


 特別難しいことを考えているわけではないけれど、率直に感想が湧き出てくる妙に(やっぱり)、対象を見つめている眼の必要さを感じるのである。


 絵を描いていることを知られるのは少し恥ずかしい。(どこか自信が持てないから)

 でも人生はまだまだ続くかも知れず、どこを目指しているのか漠然とした迷子のようなわたしでも、いつか何かを掴めるかもしれないという大望(希望)を抱いている。

「楽しいスケッチ」さんの作品を観て愕然としたわたし・・・。上達はあり得ないことを悟ったわたし、でも(わたくし)を考えるいい機会を得、彷徨ってはいるけれど、描き続ける所以である。

『ひのきとひなげし』29。

2012-10-23 06:17:10 | 宮沢賢治
「お医者さん。わたくしおあしなんか一文もないのよ。けども少したてばあたしの頭に亜片が出来るの世。それをみんなにあげることにしてはいけなくて。」
「ほう。亜片かね。あんまり間に合はないけれどもとにかくその薬はわしの方では要るんでね。よし。いかにも承知した。証文を書きなさい。」

☆異なる視野(思考、見解)、溢れる悶(苦しみ、悩み)にも照(普く光があたる)等(平等)というのが、吾(わたくし)の編(文章)である。
 吾(わたくし)の編(文章)は換(入れ替わる)。
 業による厄(災い)も法(仏の道)の容(許し)で消え、智(さとり)の精(心)で問い、庶(もろもろ)を逸/のがす経/道筋を辿る。

『城』1072。

2012-10-23 05:58:36 | カフカ覚書
こちらと城のあいだには、きまった電話回線もないし、こちらからの呼びだしをつないでくれる交換台もありません。こちらから城のだれかに電話をかけると、あちらでは下級の課のあらゆる電話のベルが鳴りだすのです。

 下級/unterstem→antasten/手で触る、触れる、傷つける、侵す。
 課/abtailungen→abtretung/退場、死。
 あらゆる/fast→vast/荒地。
 
☆こちらと終末(ほんとうの死)のあいだにはきまった思念伝達もないし、こちらからの呼びかけを伝えてくれる仲介もありません。こちらから終末(ほんとうの死、死界)の誰かに思念伝達をしても、あちらでは(名誉を)傷つける死である荒地の死は、ただ離して置かれているだけなのです。